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インタビュー

【ONE】高橋遼伍、芸人と格闘家の二刀流時代を経て、勝利のパフォーマンスを

2020/05/22 03:05
【ONE】高橋遼伍、芸人と格闘家の二刀流時代を経て、勝利のパフォーマンスを

【写真】コントユニット「ミディクロリアン」を組んでいた江見拓也さんと高橋遼伍

 ONE Championshipフェザー級で戦う高橋遼伍は2013年の春、2つの大きな夢を抱いて故郷の関西から東京に引っ越した。

 1つ目の夢は格闘家として成功すること。当時高橋は23歳。2011年にプロデビューし、日本で最も有望な若手選手の1人として台頭しつつあった。そして、さらなる強さを追い求めるため、日本格闘技の伝説的存在である故・山本“KID”徳郁が設立したジム「KRAZY BEE」(東京都大田区)に入門を決めた。

 さらに、高橋は東京で格闘技とは全く違った分野でも挑戦を始めようとしていた。吉本興業のタレント養成所・NSC(吉本総合芸能学院)東京校に入ったのだ。高橋のもう1つの夢は、お笑い芸人になることだった。

 高橋は、小学校時代からの親友の江見拓也さんに誘われて「ミディクロリアン」というコントユニットを結成。NSC東京校に19期生として2013年4月から翌年3月まで在籍し、2014年の秋頃まで芸人として活動していた。

「エンタメの仕事に興味関心がありました。当時は、格闘技でやろうと思っていたけれども、芸人にもいくか、という感じで」

 高橋達は兵庫県明石市出身。お笑いの本場である大阪の方が距離的に近いが、あえて東京を目指した。

「芸人として大阪だけ売れても、東京でもう一度売れないといけない。それだったら、手っ取り早く東京でやった方がいいな、というのと、格闘技をもっとやりたかったので、東京に行ってしまおうとなりました」

 高橋は「KRAZY BEE」の近くに住み、格闘技のトレーニングに加えて芸人としての修行というスケジュールをこなした。朝のトレーニングの後、養成所へ。授業を受け、コントの練習をして、夜は焼肉店のキッチンでバイト。

「よくこのスケジュールでやっていたと思うくらい、結構カツカツだったけれど、充実はしていたと思います」と、当時を振り返る。NSCは、ダンスや演技など多様な授業を提供していたが「基本的に自由参加」。高橋達は用意したお笑いネタを評価してもらう“ネタ見せ”の授業に主に参加していた。

「ネタ見せは、先着順。1回の授業で10組しか見てもらえないこともあった。だから、みんなネタ見せををするために早く来る。例えば正午からだったら、朝の10時半に来る。相方と当番を決めて早めに行っていましたね」

 ネタへの評価は様々だった。

「面白かったネタに1枚送られるMVPシール制度というのがあって、そこで高い評価を得て、特別に2枚もらったこともありました。けれども、1時間半待って、2分ネタ見せして、“お前ら意味が分からん”って一言だけで終わることもありましたね」

 相方も格闘技マニアで、幼い頃から一緒に観戦を楽しんでいた。そのため、格闘技をネタにしようと試みたこともある。

「やれって先生に言われていましたが、格闘技をお笑いに変えられなかった。何より、当時の尖った自分たちの思想で、格闘家が芸人をやっていると言ったらキャッチーだけど、それを使ったら逃げだと思っていて」

 格闘技にも真剣に取り組んでいた。2014年3月、養成所を出る直前に修斗に出場、土屋大喜を相手に白星を挙げ、通算戦績を5勝1敗とした。

 養成所を出た後は、2週間に1度のペースで渋谷の「ヨシモト∞(無限大)ホール」で公演を始めた。生活はさらに多忙を極めた。

 コロナの影響でジムが閉鎖される以前の高橋は、朝に1時間半ほどスパーリング、夜に1時間半ほどランニングやウェイトトレーニングというメニューをこなしていたが、当時はそうした練習量を確保するのは難しかった。

「(当時の練習は)朝の1時間半だけ。忙しくて毎日疲れていたので、合間にやっているという感じでした。今と比べたら格闘技の練習も疎かだったと思います」

 前回の試合から2カ月たった5月、高橋は修斗の試合で西浦"ウィッキー"聡生を相手に判定負けを喫した。

 お笑いの方もなかなか芽が出なかった。「名も無き芸人すぎて、パンフレットに載るレベルじゃなかった」し、『キングオブコント』にも出場したが、予選を勝ち抜けなかった。高橋は「照れに負けた」のが原因だとしている。

「もうちょっと芸人をやっていたら、一世風靡ができている自信がありましたが、当時の自分じゃ回らなかったことがたくさんあって。当時はシャイで、(人前で)殴り合いは出来るのに、お喋りは出来ませんでした」

 徐々に格闘技とお笑い、二足の草鞋が破綻していった。

「当時からSNSをやっていましたが、コントをいつやりますっていう告知をするのが恥ずかしかったんです。試合(の告知)は載せていたのに。売れない芸人が多すぎて、自信がなかったんだと思う」

「格闘技も真剣にやっていましたが、お笑い芸人としての意識も高くなり、対人練習は(舞台の)2、3日前から止めるようにしました。顔にアザを作ってコントをして、っていうのは良くないなと思い始めて……結局(格闘技とお笑いが)バラバラになっていました」

 2014年10月、決定的な出来事が起こった。5月の黒星に続いて、ヴァーリ・トゥード・ジャパンの高谷裕之戦でKO負け。初の連敗を喫し、高橋は決断の時が来たと気づいた。

「二刀流じゃ、格闘技一本でやってる人たちに勝ち切ることは出来ないな、と思いました。中途半端かなと。そこで、芸人と格闘技どっちをやりたいかとなったときに、格闘技の方が情熱が強かった」

 相方は、高橋が本気で格闘技に取り組んでいることを知っており、納得して送り出してくれた。

 格闘技一本に絞った高橋は、2016年11月にフェザー級で平川智也にKO勝ちし、修斗環太平洋王者に。怪我に苦しんだ時期もあったが、2019年5月、「ONE: FOR HONOR」で、ケアヌ・スッパ(マレーシア)と対戦し、2ラウンドTKO勝ち、華々しくONEデビューを果たした。

 回り道になったかもしれない「二刀流」だったが、高橋は「やってて良かったと思います。(格闘技もお笑いも)見せる点は共通しています」と語る。

 格闘技の試合の解説を務める時などは、当時磨いたトーク力が役に立っている。だが、再びお笑いの道に戻りたくなる時はないのだろうか。

「劇場でしたいとかいうのはない。コントって、言葉を1つ間違えたら、全部が終わってしまう。この恐怖が(公演前は)毎回よぎっていた。(ONE:A NEW TOMORROW」の)タン・リーとの試合の時よりも嫌な緊張をしていた」

 大変な緊張を強いられるのは、格闘技の試合も同様だ。だが、格闘技の緊張は「耐えられる」のだという。「たぶん、格闘技の方が好きなんだと思う」と、その理由を分析する。

 カーフ(ふくらはぎ)キックの“壊し屋”として、名を馳せた高橋は、MMA8連勝をマークし、2020年1月の「ONE: A NEW TOMORROW」で強豪タン・リー(ベトナム/米国)と対戦。無念の1R KO負けを喫した。このコロナ禍が明けたら、再起を誓う。また、弟の高橋昭五(警視庁)は、東京五輪代表選考を兼ねた12月のレスリング全日本選手権で、グレコローマンスタイル67kg級で優勝を果たしており、兄弟揃って世界の頂を目指している。

 ところで、芸人時代の高橋はどのくらい面白かったのだろう? 当時の劇場公演の写真や動画は「1年目の芸人は底辺すぎて」存在しないという。

「試合に勝った時のパフォーマンスに注目してほしい。世界中を笑わかせられる、シンプルなパフォーマンスを3つくらい持っています。言葉が分からなくても確実に笑うと思う。だから、それを見るために自分を応援してほしいです!」(協力:ONE Championship

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