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WKAムエタイで北米王者となり、MMA(総合格闘技)に転向。女子MMA団体のインヴィクタFCストロー級王者に就き、UFC参戦を果たした女子格闘家のアンジェラ・ヒル(米国)。今週末の5月16日(日本時間17日)には、米国フロリダで活動を再開したUFCの「UFN: Overeem vs Harris」にて、王座挑戦経験もあるクラウディア・ガデーリャ(ブラジル)と対戦する。
美術学校で学士号を取得し、ファイターになる前はアニメーターとバーテンダーをしていたというヒルは、本誌既報の通り、気合の入ったゲーマー兼コスプレイヤーでもある。そして、祖父は米国で最初の「UFO誘拐報道」として知られる「ヒル夫妻誘拐事件」のバーニー・ヒルであることも、2020年2月のジョー・ローガンポッドキャストにて、アンジェラは明かしている。
“Overkill(やりすぎ)”のニックネームを持つヒルは、1986年生まれの33歳。米国メリーランド州プリンスジョージズ郡に生まれ。クーパー・ユニオン大学の芸術学科で美術の学士号を取得し、卒業後アニメーターとバーテンダーの仕事に就いた。
ニューヨーク市マンハッタン区イースト・ヴィレッジ地区にある私立大学クーパーユニオンは1859年に実業家のピータークーパーにより「最高の教育・技術学校は、人種、宗教、性別、貧富または社会的地位とは関係なく、資格のあるものたちが受けることができ、すべてに無料で開かれるべきである」との信念に基づき設立された大学。財政難のため2014年に学費無料制度は撤廃されたが、現在でも入学が許可された生徒は、最低でも授業料の半額分の奨学金を受けることができる。
著名な卒業生として、発明家のトーマス・エジソン、「I LOVE NY」をデザインしたグラフィックデザイナーのミルトン・グレイザー、バットマンを生み出したボブ・ケイン、日本人ではプリツカー賞を受賞した建築家・坂茂らが名を連ねる同校は、その教育レベルの高さから、全米でも最も倍率の高い大学の一つとされており、アンジェラが通ったアートおよびアーキテクチャのスクールの合格率は5%以下とも言われている。
持ち前の勤勉さで難関を突破し、アニメーターとして活躍したヒルだが、ある日「夫とのワークアウトとしてトレーニングを始めたの。そしたら2人とも夢中になっちゃって」と、格闘技との出会いをUFC公式サイトで語っている。
2012年にニューヨークのムエタイキックボクシングジムに足を踏み入れたヒルは、「最初のセッションでこのスポーツに夢中になった」という。「大学卒業後、もともとセルフディフェンスを学びたいと思っていたの。ブランドン・レヴィの『エボリューションムエタイNYC』で最初のクラスと無料トライアルを受けて、すぐにムエタイに夢中になりました」
アマチュアで14戦(無敗)を経てプロムエタイでも2勝。長いリーチとハンドスピード、フットワークを生かし、WKAでは北米タイトルも獲得した。
「従来のキックボクシングではパンチとキックしか使用できなかったけど、周囲から『ムエタイルールならヒジもヒザも使うことが出来るから、絶対にやるべきだ』と言われたの。毎日、首相撲を練習して、それがヒジ打ちやヒザ蹴りと結びついていて、私にとって本当に魅力的でした」
ヒルについて特筆すべき点のひとつに、ハードワーカーであることが挙げられる。ムエタイ時代から2カ月に1試合をこなしてきた彼女は当時、通常110ポンド(49.89kg)で戦っていたが、ときには121ポンド(54.88kg)の相手と戦うこともあったという。約5kg重い相手との対戦は「体重差があったため、3分2Rでしたが、私の最も厳しい戦いのひとつでした。でも、私は判定で勝ちました」
MMAファイターになったいまでも、「朝起きて、馬肉を食べて、ウエイトを挙げて、鶏を追い、5フィートの男連中を相手にスパーリングして、寝る、の繰り返し」というハードな練習を続けている。
周囲のUFCファイターに比べ、格闘技のキャリアにおいて遅れをとったことは認めているが、格闘リアリティーショー「The Ultimate Fighter 20」に出演していた頃、自身のストロングポイントも再確認したのだという。
「TUFで閉じ込められた寮生活をしていたとき、私がとても強い労働倫理を持っていて、それが生まれ持った才能を超えて、私をここまで早く成長させたのだと気づきました。私はいつもジムで隣の人に勝とうとしているし、苦手なことを完璧にするために一生懸命トレーニングしてきました。他の女の子の頑張りを見ていても、私に匹敵するような人はいなかったんです。番組に出ていたから、彼女たちがどれだけ怠け者なのかが分かりました。だから、MMA経験は浅くとも、短時間で追いつけると確信したんです」
名将エリック・デルフィエロ、そしてドミニク・クルーズが率いるアライアンスMMAでトレーニングを積むヒルは、2019年にUFCで4試合、2020年もすでに2試合をこなし、現在3連勝中だ。実に14カ月で7戦目のファイトとなる。
ファイターとしてのヒーローが「ジョゼ・アルド(元UFC世界フェザー級王者)、ミリアム・ナカモト(WBCムエタイ世界王者からMMAにも挑戦)、ラモン・デッカー(藤原敏男に続く外国人選手として2人目のルンピニー王座挑戦)」というガチガチのムエタイMMA志向の彼女は、ムエタイファイターのようにダメージを負わないディフェンス力を持って、試合を厭わない姿勢でキャリアを積み上げてきた。
「常にトレーニングしている。試合で出来たアザが癒えたらすぐにジムに戻る。それが私の人生、それが私の仕事。だから常に準備は整っているし、常に身体を作っていて、いつでも試合に出る気満々なの。ただ鍛えるためにトレーニングだけをしているよりも、試合に向けたファイトキャンプの方がいろいろと学べる気がするし」
キャリアの初期や上位陣との対戦では、経験の浅いグラウンドで一本負けするなど辛酸をなめたが、近年ではケージレスリングに首相撲を活かしたヒジ&ヒザや、長い手足を活かした組み技でも進化を見せている。
2019年9月に12連勝中だったアリアニ・アルネロッシ(ブラジル)を3R、ヒジ打ちでTKOに下すと、2020年1月にハナ・サイファース(米国)を首相撲で見事にこかしてマウントからヒジ&パウンドで2連続フィニッシュ。そのわずか1カ月後の2020年2月22日には、PANCRASEでも活躍したローマ・ルックンブンミーの本場ムエタイMMAにも対応し、体格差も活かして判定勝ち、3連勝を飾った。
5月16日(日本時間17日)にヒルは、ランキング6位の強豪クラウディア・ガデーリャと対戦する。新型コロナウイルスの影響で、これまで3試合がキャンセルされたガデーリャは、“常在戦場”の構えのヒルに対し、「私は自分の健康がもっと重要だと感じています。特にこんな時期には。健康である限り、隔月で体重を増やしていれば私はクールです。でも、(アンジェラのように)1カ月おきに15ポンドを落とすのが健康だとは思いません」と、試合へのスタンスが異なることを語っている
対するヒルは、「ずっと言っていることだけど、私にとっては心理戦が一番ハード。怠け者じゃないから毎日必死に取り組むことができるし、レスリングクラスを休んだことは一度もない。私の問題はグダってしまったときに自分を疑い始めて動揺することだったけど、直前のオファーで試合を受けたら、いろいろなことを考える時間も少ない。練習に練習を重ねてより上手くなっていれば、他の誰かが私に何をしてこようとも心配せずにいられる。事実上、常にファイトキャンプにいるようなものだから、10日前のオファーだろうと関係ない」と、スクランブル参戦についても語っている。
2014年のMMAデビュー後、2015年に一度はUFCに参戦するも、ローズ・ナマユナスら強豪に跳ね返されリリース。Invicta FCでキャリアを積み直し、4連勝したことでUFC再出場を果たした。
「過去の(敗戦の)経験や将来起こるであろうことを頭の中に入れないように、“今、この瞬間を大切に”するようにして、試合では、少しでも早くフロー(集中している)状態に入るようにしたら、少しずつ自分を信頼できるようになったの。これまで大舞台に立ち、最高の環境のなかで最悪の状態を見られるというプロセスを経てきたのは間違いないと思う。オクタゴンの中では、自分がどれだけ(勝利を)望んでいるのか、早い段階で決断を迫られます。多くの人は、目標に到達するのが簡単なことだと思っていても、それを成し遂げることがどれだけ大変なことなのかに気づかないのです。だから、私があの敗北を跳ね返すことができたのは、キャリアの最初の頃に私の実力を疑っていた人たちが思っていたよりも、私はずっと強いということの証明だと思う」
公開計量では、『ストリートファイター』のダルシム、サガット、『アフロサムライ』、RPGゲーム『Fallout4』などのクオリティの高いコスプレを披露してきた。コミコンにも参加するなど筋金入りのコスプレイヤーのヒルは、その多彩な才能と弛まぬ努力について、UFCで解説を務めるジョー・ローガンのポッドキャスト(2020年2月)でも語っている。
「“もしものことが起きたら”と常に考えていると、試合に入るのは難しい。無敗のファイターは負けた時の恐怖感がないけど、戦績が白星と黒星が混在しているファイターにとっては、その恐怖を乗り越えるのが難しいの。けど、去年はそれが分かった気がしたし、何度も試合に出られたからこそ、不安を解消することができた」
そして、そのポッドキャスト後、ヒルは驚くべき事実もローガンに明かしている。アンジェラ・ヒルの祖父バーニー・ヒルは、米国で最初の「UFO誘拐報道」として知られる「ヒル夫妻誘拐事件」の当事者であると語ったのだ。
ベティ・ヒルとバーニー・ヒルの夫妻は、1961年9月19日から9月20日まで地球外生命体に誘拐されていたと主張。UPI通信社が、夫妻の講演や医師による催眠療法などをもとに書かれた地元新聞の記事を取り上げたことで、国際的な注目を集めた。
その後の研究は諸説あるが、バーニーは郵便公社に勤め、妻のベティはソーシャルワーカーという社会的な立場もあったことから、精神科医、天文学者、民俗学者らを巻き込む騒動となっている。
孫のアンジェラはその真偽について知る由も無い。ただ、父から“その夜”のことをこう聞かされたという。「お父さんもその夜、お爺ちゃんと外出する予定だったの。でも、寸前でやめて家にいることにした。『そうすることにしてよかった』と言っているのよ」