1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。8回目は1991年5月、4日、東京・国立代々木競技場第2体育館で行われた女子レスリング全日本選手権での山本美憂。
1972年のミュンヘン五輪、グレコローマン57kg級代表だった山本郁栄は、その年に誕生した長女に「ミュンヘン」を文字って美憂と命名。美憂は小学校2年からレスリングの英才教育を受け、1987年に13歳で第1回全日本女子レスリング選手権に優勝すると、翌年も優勝。1989年の第3回全日本からは44kg級から47kg級に転向して優勝、第4回でも優勝した。
当然、マスコミからの注目度も高く彼女の試合にはカメラマンがズラリと並んでマットサイドに陣取っていた。“日本女子レスリング界のプリンセス”としてそのルックスからアイドル的な人気もあり、写真集も(世界選手権後に)発売されたほど。
1991年の第5回全日本選手権は特に注目度が高かった。なぜなら、山本はこの年の8月に17歳を迎えるため、それまで出場年齢規定(17歳以上)に満たず出場できなかった世界選手権への出場が認められるようになるからだった。
山本は今回も47kg級に出場。圧倒的な強さを見せつけて優勝し、47kg級で3連覇、全日本選手権で通算5連覇を達成。初の世界選手権代表の座を確実なものとした。
なお、今大会では世界初の試みとして男子選手によるタッグマッチのエキシビションも行われ、新鮮すぎるタッチワークに場内は大声援に包まれた。