1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。7回目は1992年5月30日、東京・後楽園ホールで行われた立ち技女子格闘技の女王決戦。
(写真)藤山は渾身のハイキックを放つが、キャリアに優る熊谷は完璧なブロック ついに実現したシュートボクシングとキックボクシングの女王対決。「SPECIAL WOMENS FIGHT」と題された試合で、SBのリングに乗り込んで来たのはキックボクシングの女王・熊谷直子(不動館)。迎え撃つはSBクイーンの藤山照美(大阪ジム)。熊谷50.1kg、藤山47.5kgと体格差はあったが、立ち技女子格闘技の頂点を争うのはこの2人しかいなかった。
1R、藤山は接近戦からの投げを狙いに行くが、首相撲になるとキャリアで優る熊谷の方に一日の長がある。ロープ際まで追い込んでも巧みに身体を入れ替えられ、ヒザ蹴りを喰らってしまう。
さらに左ミドルからの左ストレートでダウンを奪われる藤山。この衝撃で藤山は試合後に倒れ、病院に運ばれるほどのダメージを受けた。しかし、立ち直った藤山は熊谷のヒジ、ヒザを何とか封じ込んで首を抱え込むと奇麗な首投げでシュートポイントを獲得。
2R、勢いに乗った藤山は、積極的だった1Rとは別人のように下がる熊谷を攻め、2度の首投げのうち1回をポイントに結び付けて1Rのダウンを帳消しにした(投げは1ポイントとなる)。
本戦2R(1Rは5分)は19-19、18-18×2でドロー。延長戦になると、投げ技への対応に戸惑いながらも前へ出る熊谷を首投げに捕らえ、藤山はダメ押しとなるシュートポイントを奪った。
(写真)接近戦でヒジ・ヒザを狙う熊谷に藤山は首投げで対抗、シュートポイントを奪った 試合は最後までシュートボクシングのスタイルで戦うことで相手の武器の威力を半減させた藤山が、判定3-0(10-9×3)で完勝。
しかし、敗れた熊谷が「完敗です」と言った後で「今度はキックルールでやりたい」と語ったように投げの有無が勝敗を左右した試合であり、「投げがなければ熊谷が勝っていた」との声も大きかった。
その後、藤山は熊谷のホームである全日本キックに乗り込み、キックルールでも熊谷に勝利。この時の勝利がルールに守られたものではないことを証明した。さらにその後、2人は2度対戦して熊谷が2勝。両者の対戦成績は2勝2敗となっている。
女子格闘技の黎明期ともいえる時代に、女子の存在を示した2人のパイオニアの名勝負数え歌。その第一章となる試合であった。