初代チャンピオン認定戦に臨んだ関島(左)が、一本勝ちで修斗史上初のプロ王者に
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。4回目は1990年5月12日、東京・後楽園ホールで行われた『PROFESSIONAL SHOOTING 初代チャンピオン認定戦』より、修斗に初の王者が誕生した歴史的一戦。
初代タイガーマスクこと佐山聡が長年温めてきた理想の格闘技のために、東京・世田谷区瀬田にタイガージムを構えたのが1984年2月。1985年1月には三軒茶屋にスーパータイガージムと改名してジムを移転(現在K-1ジム三軒茶屋シルバーウルフがある場所)。1986年6月30日には『プリ・シューティング大会』という第1回のアマチュア大会を開催した。
1987年3月には修斗協会が発足。その後、『クール』(ひと区切り)と名付けられたアマチュア大会が8回開催され、1989年5月18日にプロの第1回大会が行われている。
それから約1年にわたって行われた「クラスA・初代チャンピオンシリーズ」で、好成績を残した渡部優一と関島康人(いずれもスーパータイガージム)が1990年5月12日に王座認定戦に挑戦した。これは、指名を受けた2人が勝てば王座に認定されるというもの(対戦相手は勝っても王者になれない)。
まず渡部がライト級王座認定戦に臨んだが、試合中に腹痛を訴えて試合続行不可能となり、ドクターストップによるTKO負けで王者にはなれなかった。続いて、関島が石川義将(スーパータイガージム)とのミドル級王座認定戦に挑戦。
両者は1月にも対戦して好勝負を演じており(関島が1Rで一本勝ち)、創始者・佐山も「シューティングが現在提供できる最高のカード」と自信を持って送り出す一戦だった。関島は打・投・極の全てを兼ね備えた最強シューターでアマチュア時代から無敗の快進撃を続けていた。
得意のボクシングで攻めようとする石川と、寝技に持ち込もうとする関島。石川が右ローから右ストレートを打つと、関島はダッキングしてパンチをかわして胴へタックル。その関島の頭を脇に抱え込んだ石川はフロントチョークで関島を絞めあげる。だが、石川の優勢もここまでだった。
石川がタックルに行くと関島は素早くバックを奪い、背後から馬乗りになってのリアネイキドチョーク。関島の腕がガッチリと石川の首に巻き付き、石川は絞め落とされた。1R2分1秒だった。
シューティング(修斗)初のチャンピオンとなった関島の腰にベルトが巻かれ、マイクを持った佐山は「真剣勝負の…チャンピオンです」と涙で声を詰まらせながら紹介した。