2R終盤、タックルを切られたコピィロフはそのまま起き上がれず、レフェリーが「立て」と促しても首を振る。あわや試合放棄かと思われた場面
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。47回目は2000年4月20日に東京・国立代々木競技場第二体育館で開催されたリングスの『Millennium Combine』から、ヒカルド・アローナ(ブラジル)vsアンドレイ・コピィロフ(リングス・ロシア)の一戦。
(写真)アローナの腕十字を凌いで上になったコピィロフはボディパンチで攻勢に出る。場内がドッと沸いた
これが初来日のアローナはカーウソン・グレイシーの下で柔術を学び、黒帯を授かった。2000年3月に開催されたADCCの1回戦で金原弘光、2回戦でカリーム・バルカレフ、準決勝でティト・オーティズ、決勝でジェフ・モンソンに勝利して優勝。同大会MVPを獲得し、日本でもその名を知られるようになった。その超新星がさっそくリングスで初来日を果たした。
迎え撃ったのは1999年~2000年に初開催された『KING of KINGS』(通称KOKトーナメント)で、柔術世界王者のカステロ・ブランコをわずか16秒で破り、一気に注目を浴びる存在となったコピィロフ。当時、リングスで人気だった柔術vsサンボの対決となった。
試合はADCCでも猛威を振るったタックルで、アローナが何度もテイクダウンを奪う。そして注目のグラウンド戦は、アローナがバックから攻めるという展開が続いた。
アローナはバックマウントから首をこじあけてチョークを狙うが、コピィロフも堅い亀で防御。頭部はルールにより殴れないため(KOKルールはパウンド禁止)アローナが脇腹をボコボコ殴ると、コピィロフは明らかに嫌がったが、それでも首は空けない。あのアントニ・ホドリゴ・ノゲイラも崩せなかった亀だ。
ならばとアローナは腕十字に移行するが、コピィロフはことごとく防ぐ。コピィロフらしいテクニカルなシーンは随所にディフェンス面に現れていたが、自分が攻める展開にまではなかなか持っていけなかった。
スタンドでもアローナはアグレッシブに攻めた。「コピィロフがスタミナがないのは分かっていた。だから動き回ろうと思っていたんだ」というアローナは、ローキックを前足に叩き込んでいき、グローブ着用の拳から放たれるパンチ(KOKルールは素手かグローブを選択でき、コピィロフは素手だった)は脇が開いてしまって不格好だが、それでも前に出て当てていく。
一方コピィロフもパンチをもらいながらも掌底で応戦。リーチ差もあってか、アローナも今一歩攻めあぐねた。
だが、やはりというべきか…1R10分、2R5分という時間は、コピィロフにとって長すぎたようだ。試合が進むにつれ、ガス欠を起こし始める。コピィロフが後半に何度も仕掛けたタックルは、亀になって休むためのタックルといった感じだ。当然、切られてしまいバックに付かれる。途中タックルを切られたコピィロフは、疲労のため立てなくなるシーンも。
結局、コピィロフが攻める場面はほとんど見られないまま、試合は終わった。スタミナ切れでフラフラになる様子が観客を笑いの渦に巻き込み、本人が望んだかどうかは別として、試合を大いに盛り上げることに貢献した。アローナは判定勝ちで日本デビュー戦を飾り、この後、リングス、そしてPRIDEで活躍していくことになる。