武蔵(左)のローキックに腰をひいてよけるだけのグッドリッジ
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。39回目は1999年4月25日に横浜アリーナで開催された『K-1 REVENGE』から、“K-1対PRIDE”として話題になった武蔵(正道会館)vsゲーリー・グッドリッジ(トリニダード・トバゴ)。
グッドリッジはアームレスリング世界王者の肩書を引っ提げて、1996年2月のUFCでプロデビュー。ドン・フライやマーク・コールマンと戦い、1997年10月の『PRIDE.1』からは日本を主戦場に活躍。PRIDEにほぼ毎大会出る人気選手となった。
そのグッドリッジが1999年4月、K-1に初参戦。武蔵と対戦することになった。K-1対PRIDEの異種格闘技マッチとなった。
1R開始すぐ、武蔵は右ローを蹴る。その後もジャブを突き、右ローを蹴る武蔵。グッドリッジが近づこうとするとサイドキック気味の前蹴りで突き放し、距離の遠いグッドリッジのフックは空を切る。
グッドリッジは状況を打破すべくハイキックを放ったが、スピードが明らかに遅く武蔵に簡単にかわされる。すかさず武蔵がローを2発蹴ると早くも腰を引いて嫌がる素振りを見せるグッドリッジ。
右ローを蹴られたグッドリッジが走って前へ出ると、武蔵も走って回り込み、あざ笑うかのように距離を取る。左右に構えを変えてローを蹴り、グッドリッジが前へ出てくると距離を取る武蔵。一方的な展開が続いたが、武蔵に組み付いたグッドリッジはヒザ蹴りを2連打。しかし、これは1発目がローブローとなって武蔵が倒れ込む。
意識を失ったかのように大の字となる武蔵。ドクターとレフェリーが様子を確認し、ようやく起き上がった武蔵にグッドリッジが詫びる。武蔵はコーナーで椅子に座って回復を待ったが、ドクターが武蔵の試合続行不可能を告げ、審判長の角田信朗はグッドリッジの失格反則負けを宣告。急所へヒザ蹴りが入った後、さらに攻撃を加えたことで武蔵が脳震盪を起こしたとの説明だった。1R2分15秒だった。
武蔵はレフェリーに手を上げられるも、片手を大きく横に振って納得のいかない表情。石井和義館長からは「武蔵に休憩を与えて、続行できるようなら他の試合の後に続行します」とのアナウンスがあったが、再開はなかった。
試合後、武蔵は「向こうは勝とうなんて思っていない。2Rまでいったらやられると思ったんでしょうね。作戦も完璧にハマっていたのに悔しいですよ」と、グッドリッジが苦し紛れに急所攻撃をしたと批判した。
しかし、石井館長は「試合に勝って勝負に負けた。あれ(金的)を先にやらなければ。武蔵が脱皮するためには一番いい相手だったんですよ」と、何をしてくるか分からない相手に対しての“覚悟”を見せて欲しかったと総括している。
なお、両者は2003年4月に再戦し、この時は3分5Rフルに戦ってのドローに終わった。