左右への回り込みを強化した佐竹(左)は、直前的なベルナルドのパンチを回ってかわし、ローキックにつなげた
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。38回目は1999年4月25日に横浜アリーナで開催された『K-1 REVENGE』から、佐竹雅昭(正道会館)がマイク・ベルナルド(南アフリカ)を相手に奮闘した一戦。
佐竹とベルナルドは1997年3月に初対戦。劣勢だった佐竹が後ろ廻し蹴りをクリーンヒットさせてあわや逆転かという見せ場を作ったが、2R1分24秒、ベルナルドのTKO勝ちとなった。
それから約2年後のリベンジマッチ。佐竹は米国シアトルのモーリス・スミス・キックボクシングセンターに渡り、かつての宿敵で、ピーター・アーツに敗れるまで8年間無敗を誇ったヘビー級の帝王モーリス・スミスに師事を仰いだ。
モーリスの立てたトレーニングメニューの核となったのは、徹底したシミュレーションだった。
「佐竹はベルナルドと対等に戦うだけの十分な闘志を持っている。あとは、どう戦うかだけだ。猛打に怖気づくことなく相手の動きを理解して確実に対応していけば、勝てるチャンスはある」とモーリス。
「前回、戦った時の経験を元にして、ベルナルドの動きを私が演じながらスパーリングし、イメージトレーニングを繰り返した」(モーリス)という。その内容は「パンチの間合いを避けながら、左右に足を使って距離を保つ」「打ち合いを避け、パンチを打ってきたら、ガードを固めて素早く回り込み徹底したリスクコントロールを行う」など、攻撃を防御を明確に分けたものだっだ。
加えて、ベルナルドが試合後半になると集中力とスタミナが切れることから「1Rから3Rまでは我慢し、4Rと5Rで一気に勝負に出る」という作戦が佐竹に授けられた。
1R、ベルナルドの右フックがヒットして早くも窮地に追い込まれた佐竹は、ジャブやパーリングを交えながら、あわやのところでスリップダウン。懐を深くとるためにやや腰の引けたような構え、ロープづたいに左へ左へと逃げる姿は、観客には“情けない姿”と映ったかもしれない。
2Rでは、相手を追い詰めることに気をとられたベルナルドのパンチが佐竹の顔面ばかりに集中し、3Rにはスタミナと集中力が切れ始めて足が追い付かず、パンチのインパクトポイントが外れ始めた。
(写真)4R、潜り込んだベルナルドの頭が佐竹のアゴを直撃。佐竹は抗議したが裁定はダウンとなった
反撃開始となるはずだった4Rにバッティングからの右フックでダウンを喫したのは想定外だったが、5Rにはあの2年前にヒットした後ろ廻し蹴りを放ちながら、下がりながらも互角に近い勝負をやってのけた佐竹。
判定は3-0でベルナルドの勝利。佐竹のリベンジはならなかったが、モーリスは佐竹の戦いぶりを「パーフェクト。トレーニングしていた全てを出した」と称賛していた。
佐竹はもう若くない(33歳)けれど…との質問には「まだまだ強くなるさ。年を取れば、その年齢に応じた戦い方があるよ。スピードやパンチ、キックだけのテクニックはもちろんだけれど、戦術を含めた戦い方をもっと勉強すればいい」と答えた。
その後、佐竹はヨッキ・オバーホルツァーとゲーリー・グッドリッジから連続KO勝ちを収め、武蔵に判定負けした試合を最後にK-1から去ることになる。