シュートボクシング
コラム

【1998年4月の格闘技】一本背負いでムエタイが宙に舞う、村浜武洋がガウナーにリベンジ

2020/04/18 20:04
【1998年4月の格闘技】一本背負いでムエタイが宙に舞う、村浜武洋がガウナーにリベンジ

一本背負いで鮮やかな弧を描いてガウナーを投げた村浜。見事な投げだった

 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。34回目は1998年4月26日に横浜アリーナで開催された『SHOOT the SHOOTO』から、村浜武洋(シーザージム)がムエタイ強豪を打ち破った一戦。


 1993年12月にプロデビューして以来、村浜の躍進ぶりは目覚ましいものがあった。回転の速い連打と一発の破壊力、柔道仕込みの投げ技、そして爆発的なアグレッシブさであっという間に頭角を現し、11連勝を飾った。


 しかし、12戦目でムエタイ9冠王であり、近代ムエタイの最高傑作とも謳われたスーパースターのチャモアペットと対戦し、大善戦するも初黒星。その3戦後に対戦したのが当時ラジャダムナンスタジアム認定フェザー級1位だったガウナー・ソー・ケッタリンチャン(タイ)だった。

 試合は村浜のパンチとガウナーのヒジ&ヒザが真っ向から激突。ガウナーが左ミドルやテンカオで突進を止めても、村浜は構わず突っ込んでいってパンチを当てに行き、大激闘となった。


 今回はその試合から約2年後の再戦。村浜は悪夢の4連敗から脱出し、1997年11月に東京ドームで行われた『K-1 JAPAN GP 1997フェザー級トーナメント』で優勝するなど7連勝でガウナーとの再戦に臨んだ。

 前回のムエタイルールとは違い、今回は村浜の土俵であるシュートボクシングルール。「ルールで認められているんですからね。どんどん投げますよ。それにアイツ、投げありの方がいいとか言ってるらしいっすよ。ナメてますね」試合前日の記者会見後、村浜に投げは使うのかと聞くと、彼は“当然”というようにそう答えた。


 投げ技はシュートボクシング最大の特徴でありながら、同時に最も反感を買ってきた技でもある。「投げでキックやムエタイに勝った」「投げがあるから面白くない」といった誹謗中傷にシュートボクサーたちはさらされてきた。現在は総合格闘技の存在もあってか、格闘技が多種多様化しているためか、シュートボクシングルールの試合で他の競技の選手が投げられても、むしろ盛り上がるのだが、当時は「キックやムエタイの選手に投げを使うのは卑怯」との見方が多かったのである。


 試合で村浜はよく前に出た。ロングフックから入って右アッパーにつなぎ、下がってガウナーを誘ってはカウンターを狙っていく。手数とアグレッシブでは、ミドル・ヒザ共に単発のガウナーを上回った。

 勝負の決め手となったのは1Rと3Rに放った一本背負いだった。ガウナーの身体は空中で大きな弧を描き、マットに叩きつけられた。鮮やかな投げにシュートポイントが入り、30-29、30-27.5、30-28.5(※この時代は0.5ポイント差があった)の判定3-0で村浜がリベンジに成功した。


 村浜は「タイ人を倒すのは難しい。もっと向かってきてくれればカウンターで倒せただろうけれど。この階級なら日本でなら誰にも負けないっすね」とコメント。リング上では自分が今の真のエースだ、とアピールもしたが、観客の反応は今ひとつ。

 シュートボクシングルールでシュートボクシングの戦いをする。この当たり前のことが、当時はまだファンに受け入れられていなかった。もし今、この試合を後楽園ホールでやったら大いに盛り上がるだろう。だが、当時はまだ「ムエタイに投げで勝つなんて…」との見方が強く、村浜の勝利がそれほど評価されなかったのが今思うと残念だ。

MAGAZINE

ゴング格闘技 NO.335
2024年11月22日発売
年末年始の主役たちを特集。UFC世界王座に挑む朝倉海、パントージャ独占インタビュー、大晦日・鈴木千裕vs.クレベル、井上直樹、久保優太。武尊、KANA。「武の世界」でプロハースカ、石井慧も
ブラジリアン柔術&総合格闘技専門店 ブルテリアブラジリアン柔術&総合格闘技専門店 ブルテリア