準決勝ニコラス戦でダメージを負ったグラウベ(右)の右足に容赦なく左下段廻し蹴りを放っていくフィリォ
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。28回目は1997年4月20日に東京・両国国技館で開催された極真会館主催『1997全世界ウェイト制空手道選手権大会』の重量級決勝戦で実現したフィリォvsグラウベのブラジル最強同門対決。
極真会館初の世界ランキング決定戦として開催された『1997全世界ウェイト制空手道選手権大会』。1994年全世界選手権準優勝で1996年全日本選手権王者の数見肇を除く世界トップクラスが集った重量級、ベスト4に残った日本人選手は僅かに高尾正紀一人。あとの3つの椅子は戦前の予想通り、フランシスコ・フィリォ(ブラジル)、グラウベ・フェイトーザ(ブラジル)、ニコラス・ペタス(デンマーク)の外国人三強が占めたのである。
三強の実力は今大会でも群を抜いていた。日本人選手が次々に敗れる中、苦戦さえせずにこの過酷なトーナメントを勝ち抜いたのである。準決勝のグラウベvsニコラス戦など、いったい日本人選手の誰がこの怪物たちに勝てるのだろうか、と思わせるほど高度で激しい内容だった。
この3人なら、まさしく誰が優勝してもおかしくはない。明暗を分けたのは、組み合わせにおける運だけだったと言えるだろう。三強のうち、2人が決勝進出を懸けて雌雄を決さなければならないからだ。運が悪かったのはグラウベとニコラスだった。
大接戦の末に決勝へ駒を進めたのはグラウベだったが、その代償はあまりにも大きかった。グラウベの凶器のような上段への蹴りに、必死の抵抗を試みたニコラスの下段廻し蹴りが、グラウベに致命傷とでもいうべきダメージを与えていたのである。
決勝の舞台へ上がる時、グラウベはすでに右足を引きずっていた。一方のフィリォはここまで全て本戦で勝ち上がってきており、ダメージはほぼない。グラウベの上段への蹴りも、ブラジルで来る日も来る日もスパーリングで対戦していた兄弟子フィリォには通じるはずもなかった。
果たして、勝負はあっさり決まった。力強い右下段廻し蹴りから左下段につなぐフィリォに対し、槍のような突きで反撃するグラウベだったが、フィリォの左下段で動きを止められてしまう。フィリォはワンツーから左下段、接近して突きからの左下段とグラウベの右足を狙い撃ち。
勝負の世界は非情である。例え親兄弟であっても、道衣を着ていったん試合場で向かい合えば全力で相手を倒せ、というのが故・大山倍達総裁の教えだ。フィリォはこの教えを忠実に守り、弟弟子の痛めている右足へ情け容赦なく左下段廻し蹴りを放ち続けた。ずるずると後退するグラウベ。フィリォは突きから左下段2連発を叩き込む。前へつんのめるようにして崩れ落ちるグラウベに、ここで技ありが告げられた。
本戦の残り時間は44秒。フィリォの強引な仕掛けに「掴み」の注意1が与えられたが、もはや勝利は動かなかった。試合終了を告げる太鼓が鳴り響くと、兄弟子を超えることができなかったグラウベはガックリと肩を落とした。本戦判定5-0でフィリォが勝利、トーナメント全試合本戦決着の完全優勝で重量級世界王者の座に就いた。
愛弟子同士の決勝戦を裁いた磯部清次ブラジル支部長は「兄弟子に勝つというのは大変なことなんです。ニコラス戦のダメージがあって勝てるほど、甘いものではないですよ」と語った。
フィリォはこの大会時点で、7月20日のK-1に初参戦、アンディ・フグと戦うことが決まっており、それに向けて弾みをつける形となった。