空道
コラム

【1994年4月の格闘技】日本の総合格闘技の2大源流シューティングと空道が初めて相まみえた日

2020/04/13 16:04
【1994年4月の格闘技】日本の総合格闘技の2大源流シューティングと空道が初めて相まみえた日

元シューティング・ライト級王者の田中(左)が大道塾に挑戦、四天王の一人である飯村と対戦した

 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。19回目は1994年4月17日に宮城県スポーツセンターで開催された大道塾『北斗旗空手道体力別選手権』の1回戦で行われた注目の一戦。

“最も豪華な1回戦”は中量級の第6試合に行われた。

 現在世界中に広まっているMMA=総合格闘技は、ブラジル発祥のバーリトゥードをホリオン・グレイシーがアメリカに持ち込み、UFCを開催したのがルーツとなっているが、日本にはそれとはまったく異なる総合格闘技の二大源流があった。

 ひとつは初代タイガーマスクこと佐山聡が理想の格闘技として創始した「修斗」、もうひとつは極真空手の全日本王者・東孝が柔道の経験も活かして護身術として創始した大道塾の「空道」(この当時は空道ではなく格闘空手との名称)。この2つが同大会で初めて相まみえたのである。


(写真)組み付きに来た田中に飯村はヒザを突き刺す

 同じ“打つ・投げる・極める”を兼ね備える総合格闘技として、大道塾と比較されることもあるシューティング(当時は修斗よりもシューティングの呼び名が普通だった)から、初めて挑戦者が名乗りをあげたのである。シューティング初代ライト級王者の田中健一(総合格闘技津田沼道場)だ。

 迎え撃ったのは“大道塾四強”の一人、飯村健一(総本部)。1989・1992年の中量級王者であり、これ以上はないという豪華カードが実現した。

 田中は寝技を得意とするタイプで、関節・絞め技が認められる延長戦に持ち込まれれば、寝技が不得意な飯村は不利。飯村としては、何としても本戦で決着をつけたいところだった。


(写真)右ストレートをカウンターで入れる飯村(左)

 左前蹴りでけん制した田中は、インステップしての右ストレート。飯村はこれをバックステップでかわし、左ミドルを放つが田中は蹴り足をキャッチして足払いでコカす。ジャブ、左右ローで積極的に攻める田中だが、いずれも飯村のステップワークにかわされて空を切り、逆に飯村のカウンターのワンツー、ヒザ蹴りをもらうという展開に。

 田中は上下左右にフェイントをかけながら前進し、左ロー、右ミドル。それでも待ち受ける飯村に右ストレートでたびたびカウンターを取られ、徐々に後退してしまう。終盤には飯村のワンツー、左フックからの右ローがクリーンヒット。手数で飯村が上回り、勝負は延長戦へ行くことなく本戦判定5-0と飯村の圧勝で決着がついた。

「パンチに反応できなかった。0点でしたね。(田中は)ウチのルールだったら強いとは思いません」と勝者の飯村。


(写真)試合後の田中は終始笑顔だった

 敗れた田中は、シューティング王者になった時には見せなかった笑顔で「スーパーセーフ(頭部の防具)を着けてあれだけ戦えるのは、やはりトップクラス。視界が狭いし、よけたつもりでも必ずどこかに当たるし。これ(スーパーセーフ)はやりにくいですね」と、ルールの違いに戸惑いを感じたと話す。

「相手に強いという感じは受けなかったけれど、上手い。でも、物足りないんですよ。5Rやりたい。自分、本当は軽量級にエントリーしたんだけど、なぜか中量級になってしまって…まあ、試合がやれたことは嬉しかったスよ」と振り返った。

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