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【1989年4月の格闘技】新日本プロレス初の東京ドーム大会で“赤い怪鳥”ベニー・ユキーデが10年ぶり復活

2020/04/10 22:04
【1989年4月の格闘技】新日本プロレス初の東京ドーム大会で“赤い怪鳥”ベニー・ユキーデが10年ぶり復活

怪鳥ユキーデがマシンガンパンチを放つ。ブランクはあったがパンチは重たかった

 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。11回目は1989年4月24日に東京ドームで開催された新日本プロレスの『格闘衛星 闘強導夢』で約10年ぶりに日本での試合を行ったベニー・ユキーデ。

 新日本プロレスが初めて開催した東京ドーム大会『格闘衛星 闘強導夢』で、なぜかキックボクシングの試合が1試合だけ組まれた。そこに登場したのは、1970年代に日本で旋風を巻き起こしたベニー・ユキーデ(アメリカ)。


 ユキーデは全米マーシャルアーツまたはプロ空手と日本で紹介されたアメリカン・キックボクシングの選手で、WKA世界ライト級王者。1977年8月2日、新日本プロレスに初来日してキックボクシングの試合を行い、以後、日本のキックボクシング団体で活躍。赤いパンタロンのコスチュームを着用していたことから“赤い怪鳥”と呼ばれるようになった。

 1978年から『週刊少年マガジン』で連載された格闘技劇画『四角いジャングル』(梶原一騎原作)に主人公のライバルとして登場し、さらに人気を博したが、1979年10月の試合を最後に日本では試合を行わなくなった。

 そのユキーデが約10年ぶりに来日し、新日本プロレスのリングで元MA日本ライト級王者・飛鳥信也(目黒ジム)と対戦。ルールは2分5R、KOがあった場合は勝敗が決まるが、フルラウンド戦った場合にはドローというもの。そのためジャッジはおらず、審判はレフェリーのみ。


 すでに36歳となっていたユキーデだが、試合展開は一方的なものになった。「リングのスプリングが弾みすぎて、上手く蹴りが出せなかった」と試合後ユキーデは話したが、それでもミドルキックと代名詞である“マシンガンパンチ”と称される左右フックで攻勢に出た。フルラウンド戦ってKO決着とならなかったためドローとなったが、採点を付けるとするならば全ラウンド、ユキーデに付いただろう。

 最終ラウンドにはパンチで飛鳥の鼻から出血させ、一応はユキーデ健在をアピールする形となった。試合後にはオールドファンにはおなじみであったバック宙も披露した。

「久しぶりのリングだったけれど、まだまだやれるよ。ただ、今は映画の仕事が多くてなかなか練習に時間が取れない(ジャッキー・チェン主演のスパルタンXやサイクロンZにも出演)。アクターとしての仕事がどうしても中心となるけれど、ハートはリングにある。近いうちに、また試合をやるから楽しみにしていてほしい」とコメント。


 この時点で、同年6月23日に日本武道館で開催の全日本キックボクシング連盟主催興行にて元ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王者・藤原敏男と、お互いが現役時代には実現しなかった対決がエキシビションマッチとして行われることが決定しており、キックボクシングファンの間では大きな話題となっていたが、ユキーデは来日せず中止となった。

 ユキーデはその後、1993年12月4日に引退試合としてK-1で活躍した田上敬久(正道会館=当時)と対戦。2分12Rを戦い抜いて判定勝ちし、現役にピリオドを打った。

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