1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。7回目は1993年4月30日に東京・後楽園ホールで開催された『リングス 後楽園実験リーグ ROUND2』より、アダム・ワット(オーストラリア/正道会館)vs岩下伸樹(龍生塾)。
前田日明率いるリングスが「ウェイト80~90kgの中量級選手を対象に、試合ルールやレフェリング、大会運営、試合進行に関する細かいことを含めた様々な実験の場として行っていく」との趣旨で『後楽園実験リーグ』の開催を発表したのは1993年1月。
ワットの左ハイが岩下にクリーンヒット。この後、ワンツーを立て続けに浴び最初のダウン 旗揚げ当初から重量級にスポットを当ててきたが、それよりも軽い選手たち(当時は中量級と称された)にチャンスを与えようとの大会だった。前田は「いろいろな方向性を見てみたい。リングスが井の中の蛙になってはいけないし、特に日本の格闘技界はヘビー級が僅かで中量級の中に技術を持っている人間が多いからね。これは2リーグ制を敷くための実験でもあるし、ルールについてもいろいろな格闘技の選手が飛び込みやすいものにしたい。様々な団体に呼び掛けて参加してほしい。最終的には3階級くらいに分けていきたいね」と、その目的を語っていた。
ROUND1は後楽園ホールを1969人満員札止め(主催者発表)にして行われ、開会セレモニーで前田は「中量級の大会を開き、新しい実験を始めたいと思います」と宣言。メインイベントでは平直行と後川聡之が、その後「ミックスルール」と呼ばれる試合形式(1・2・5Rがキックルール、3・4Rがリングスルール)で対戦し、大きな話題に。
そして行われたのが1993年4月30日の『リングス 後楽園実験リーグ ROUND2』である。同日同時刻、東京・国立代々木競技場第一体育館では第1回の『K-1グランプリ』が開催されていたが、正道会館からはアダム・ワットが送り込まれ、当時シュートボクシングで“キングコング”と呼ばれエースとして活躍していた岩下伸樹とキックルールで対戦した。
まさにボーダーレスの一戦。後楽園ホールには1780人(主催者発表)の観客が集まった。
試合後、岩下の控室に訪れた前田日明(左)は「まだこれから、またやろう」と岩下を激励した 接近戦からヒジ打ちを飛ばすワットを、岩下は得意のフックを振り回して追い詰めていく。しかし巧みに体勢を入れ替えたワットが岩下のアゴに右ヒザを一発。さらにがら空きとなった顔面にワンツーを叩き込み、早くもダウンを奪う。
うつ伏せとなったままピクリとも動かない岩下だったが、10カウント直前、勝利を確信したワットが「ダン!」と歓喜の足踏みをすると、ヨロヨロと覚束ない足取りで立ち上がった。
再開後、ワットの右ハイキックがクリーンヒットするが岩下は前進しながらパンチを振り回して応戦。しかし、ここで岩下にドクターチェックが入り、鼻血を止血するために試合は一時中断となる。
その間、コーナーでジッと岩下を見据えていたワットは、試合再開と同時に右バックハンドブロー。まったく無防備に直撃された岩下は、次の瞬間、仰向けにマットに横たわっていた。KOタイムは1R1分56秒だった。
後年『ゴング格闘技』のインタビューに答えたワットは、この試合について「バックブローはあの試合で生まれたんだ。自然に出したらすごくいいブローが決まったから、後々も使うようになった。イワシタ戦で『使える』と手応えを得たんだ」と、この試合を振り返っている。