(C)ONE Championship
2020年2月7日(金・現地時間)インドネシア・ジャカルタのイストラ・セナヤンで開催されるONE Championship『ONE: WARRIOR'S CODE』にて、ナイリン・クローリー(ニュージーランド)が平田樹(K-Clann)と対戦する。
当初はMMA5勝5敗のビー・ニューイェン(米国)が平田と対戦予定だったが、ニューイェンが負傷欠場のため、代わってMMA3勝2敗のクローリーがここまで無敗(アマ4戦&プロ2戦)の平田と対戦することになった。
クローリーにキャリアを聞くと、その多才さに驚かされる。
ニュージーランドのイーストオークランドで生まれ育ったクローリーは、10代の頃から熱心にスポーツに取り組んだ。2008年に重量挙げで国内ジュニア大会を制覇。タグラグビーリーグでは、ニュージーランド代表だったという。接触の少ないタグラグビーではスピードや瞬発力が要求される。本場ニュージーランドで代表クラスになるのは大変なことだ。
それもそのはず、ナイリンの祖父パット・クローリーは、ニュージーランドのラグビーユニオンの名選手として名を馳せ、1949年から1950年まではNZ代表であるオールブラックスのフランカーとして活躍している。
そんな祖父の血を継ぐクローリーは、自身が置かれた環境について「私にとってニュージーランドで育つということは、スポーツをして育つということ。毎日、毎日。スポーツでは本当に勝ちたいという気持ちが強くなった。それが私の競争心の源泉だと思う」と、語っている。
クローリーは時間がある時に歌うことが好きで、それを人前で披露することもあったが、スポーツ以外で熱心に取り組んだのは学業だった。実際、オークランド工科大学に通い、コミュニケーション学の学士号を取得している。
「主専攻はテレビ制作で、副専攻はジャーナリズム。メディア業界に入るか、学位を生かした良い仕事に就くと決めていて、ニュージーランド政府で働くことにしました」
クローリーは母国の政府のなかで働き、快適な暮らしを送っていた。十分な給料をもらい、時間が許す限りスポーツも続けた。だがやがて、彼女の生活は予期せぬ方向に向かう。ラグビーの次の試合の準備に取り組む中で、クローリーは多くの格闘家と出会うことになるのだ。
「友人から、いわゆるブートキャンプ(軍隊式のトレーニング)を紹介されて行ってみたら、たくさんのファイターで溢れていたの。そのブートキャンプはかなりキツくてヤバかった。でも、そこに行けば行くほどトレーナーたちが声をかけてきて、『ジムに来ないか』と誘ってくるようになった。それでジムに行ってみてトレーニングを始めたら……すぐ夢中になってしまって」
根っからのアスリートであるクローリーは急速に上達した。トレーニングを始めてからわずか半年で、ファイターとしてデビューを果たす。最初はムエタイだった。その試合で熱狂と興奮を経験したクローリーは、時間の許す限り、トレーニングにつぎ込むことにした。
「その時やっていた他のスポーツを全て辞めたの。あまり喜んでいない人もいたけど、そのくらい格闘技にのめり込んだ。最初の試合の直後だったわ。『これがこれから自分がやっていきたいことだ』って思ったのは。格闘技ほど人間のもろさをさらけ出すものはない。より良い人間になるために、そしてより良い格闘家になるために真剣に取り組まなければいけない」
格闘技ジム「Auckland MMA」と「Wild Stables」でトレーニングを始めてまもなく、クローリーは新たな夢を追い求めるため、仕事を辞めてタイに移ることにした。安定した政府でのキャリアを捨て、ファイターとしての夢を追求することにしたのだ。だが、未知の世界へ飛び込むことは、若きクローリーにとって困難なことも伴った。
「私にとっての最大の試練は、両親の賛同を得ることでした。家族はいつも私を愛し、支えてくれました。でも、格闘技についてはあまり理解できるものではなかったと思う。私のことで彼らなりの夢や計画があって、それはいつも私にとってベストなことを願ってくれていましたが、そこに私が格闘技をすることは想定されていなかったのだと思います」
【写真】現在ONEムエタイアトム級で活躍中のアルマ・ユニクと。
しかし、結局のところ、自分の新しい生き方について両親に告げたとき、思っていたほどの騒ぎにはならなかった。
彼女の姉チェリーはかつて“イーヴィー”と呼ばれ、現在では米国のWWEに参戦し“ダコタ・カイ”のリングネームで戦っている著名プロレスラーだ。クローリーの両親は既に、一般的とは言えない職業に引き寄せられる子どもたちの生き方に適応しなければならないことを知っていた。
さらに、クローリーは自分が選んだキャリアについて、家族の心配を消し去ることができた。タイに移り住む前に、ニュージーランドでの試合を見に来るよう説得することさえできたのだ。
「勝ち続けるほど、私の道はこれなんだって両親を安心させることができるし、応援してくれると思いました。私がケガをしたり、目を黒く腫らした時の写真を見せたりすると、両親はやはりいい顔はしません。私にとって一番大変だったのはおそらく、両親から応援してもらうこと。もし両親に応援してもらえなかったら、格闘技を嫌いになっていたかもしれない」
両親からの賛同も得たクローリーは、格闘技を嫌いになる必要がなかった。2017年2月には中国で「GLORY OF HEROES」に出場。地元のシェ・ワンにリアネイキドチョークで一本勝ちをマークする。シェ・ワンは後に日本のEDGEにTKO勝ちするなど4連勝を遂げる強豪だった。
2018年初めにはタイからインドネシアに引っ越し、バリ島の「バリMMA」で、コーチのアンドリュー・レオーネをはじめとするONEのベテラン勢とともにトレーニングを始めた。
また、バリMMAの打撃ヘッドコーチのマイク・イキレイは、GLORY初の女子王者ティファニー・ヴァン・ソーストやONE女子ストロー級世界王者のション・ジンナンらも指導した名将。そのイキレイのもとでクローリーはさらに打撃を磨くことができた。
そして、バリ島に到着してすぐクローリーは、インターネットでONEウォリアーシリーズ(OWS、ONE若手発掘のためのリアリティ番組・大会)に関する告知を目にしたのだ。OWSは将来有望な才能を探しており、クローリーは興味をそそられた。
「バリに2カ月くらいほどいて、それからチャンスがやってきました。インターネットでOWSの告知を見ましたが、最初は参戦することは考えてもいなかったの。場所がジャカルタだったし、飛行機代を払えるかどうか分からなかったから。そのことをトレーナーに話して、それから2週間くらいしてから呼び出されました。ヘッドコーチが『準備に取り掛かるぞ。トライアルは2週間後だ。航空券はもう手配済みだ』って。エアチケットは私が知らないうちに私の代わりにオンラインで取ってくれていました」
クローリーはOWSへの参戦が決まり、コーチたちの粋な計らいは報われた。
OWSでクローリーはいきなり2勝を挙げる。まず2018年3月のシーズン1でキム・ソユル(韓国)を相手に判定3-0で勝利。そして同年7月のシーズン2で、アニタ・カリム(パキスタン)を2Rにリアネイキドチョークで下した。その後は、ミシェリ・フェヘイラに2連敗を喫したものの因縁の対決を煽られるほどの熱戦を展開したことから、ONEでニュージーランド女性として初の本戦契約を勝ち取った。
クローリーにとって、2月7日の「ONE:WARRIOR'S CODE」は大きなチャンスだ。無敗の平田に勝利できれば、さらに最終目標に向かって一歩近づけるかもしれない。しかし、今回はニューイェン欠場によるスクランブル参戦のため、2週間弱で準備を整えたことになる。
「このチャンスは本当にレフトフィールドから来た(不意に訪れた)もので正直、動揺しました。私のコーチとパートナーが『この試合を受けるか?』と聞きました。私はそれについて考える間もなく答えました『Yes, I want it!』と。ニュージーランドを離れて以来、私が目指していたことの一つだったから」
平田は手強い相手だ。アマチュアを含む6戦すべてで一本勝ちをマークしている。クローリーが準備をしていなければ、気難しい相手だっただろう。しかし、幸運なことに、クローリーは最後の試合の後、ジムでリラックスすることはなかった。いま彼女は俊敏で調子がいいと感じている。
「12月の試合の後、私はジムに直行しました。そのハードワークは報われました。私は完全に準備ができています」と30歳の“キーウィ”は説明する。「この2週間のキャンプのために私のコーチたちはイツキの最後の戦いの分析を行ってくれました。もちろん、彼女がタフなことは分かっています。でも、すべての女子ファイターはタフなんです。私は完全に、私のコーチを100%信頼しています」
柔道ベースの平田にとって、ウィークポイントはまだ経験の浅い打撃だ。キックでタイトルも獲得したクローリーにとって、試合が必ずスタンドから始まるMMAはチャンスがある。そして、ラグビーで培った腰の強さが生きる場面も出てくるだろう。
「私はムエタイから始めたので、古典的なスタンドアップ対グラップラーの試合になると見られるでしょう。それがどうなるか見ていてください。私はとても興奮しています。私にとって本当に良い挑戦になるだろうし、勝つか負けるか、この試合は私をより良い武道家にしてくれることは間違いない。私たちチームが取り組んでいるゲームプランを実行することに非常に集中していますし、決心は出来ています」
ONEの最初の女性キウィアスリートとして、たとえオッズが彼らに逆らっても、これから続く人が自分が来た道を辿れるように、インスピレーションを与えることをクローリーは望んでいる。
「私は勝つ準備をしています。私にとって、この旅は人々に夢を諦めず、心の炎を燃やすものを追いかけることを伝えるものです。何よりもニュージーランドの人々に、物事が可能であることを見せたい。
夢を追い求める勇気と決意があれば、私たちの夢はすべて実現できると思っています。犠牲があり、涙と幸福もあります。そしてこのスポーツに対するすべての愛があります。格闘技というこのスポーツで成功するために私たち全員がどれだけ犠牲にしたかを知っている人は多くありません。そしてそれは私の人生でそれに出会うまでに経験したことのない、最もやりがいのあることです。
私はたくさんのことに恵まれています。素晴らしいチーム、私を愛し、あらゆる面で私をサポートしてくれる家族や友人、そして私を信じる以上に私を信じるトレーナー。彼がいなければ、私は今日ここにいないことを認める必要があります。私はあなたを誇りに思うために戦います。この世界で持つ価値のあるものは、恐れなくして達成できません。恐怖に打ち克つ勇気は、人生の最大の課題のひとつです」
日本期待の平田樹が怪我続きの柔道からMMAに転向し、この階級で王座を目指しているように、クローリーにも物語があり、夢がある。
「ニュージーランドを離れたときの目標は、2年以内に世界タイトルを獲ることでした。そのために一生懸命取り組んでいます。ONE Championshipで、タイトルを獲得したい。そのために一つひとつ戦っていきます」。