キックボクシング
インタビュー

【REBELS】工藤“red”玲央「早くベルトを獲って『26歳でデビューしても、チャンピオンになれるんだぞ』と胸を張りたい」

2019/07/31 22:07
【REBELS】工藤“red”玲央「早くベルトを獲って『26歳でデビューしても、チャンピオンになれるんだぞ』と胸を張りたい」

ファイヤー原田の魂を受け継ぐ男・工藤

2019年8月10日(土)東京・後楽園ホール『REBELS.62』で、Mr.ハガ(ONE'S GOAL)と対戦する工藤“red”玲央(TEAM TEPPEN)。

「打ち合って盛り上がる試合を見せる」と言いつつも、リスク覚悟で「有言実行」できる選手はそう多くはない。工藤“red”玲央は、どんな相手にも正面から打ち合いを仕掛け、「外れのない試合」を見せられる稀な選手の一人。その理由は、彼のミドルネーム「red」にある。(文・撮影=茂田浩司)

ミット購入をめぐって大喧嘩&ジムをボイコット

 工藤“red”玲央は、今、働きながら練習に打ち込める、格闘家として恵まれた環境で生活している。

「仕事はサラリーマンです。株式会社クラフティというOA機器&映像・音響機器のレンタル・リースの会社とアスリート契約をしていて、給料を貰いながら、月曜日から金曜日は朝9時から昼12時まで会社の総務部で働いて、午後はTEPPEN GYMのプロ練やフィジカルトレーニングをしています。

 前は肉屋で働いてて、包丁で腕の動脈を切ったこともあるし、それ以外にもちょこちょこ怪我してて。『今日も怪我しちゃいました』と話していたら『ウチで働きなよ』とクラフティの風間社長に言っていただいて。社長は、以前、ファイヤー高田馬場ジムの会員さんだったんですけど、格闘技のスポンサーはやったことがないんです。僕は、正直、めちゃめちゃ強くて試合も勝ちまくってる選手じゃないのに、心で動いてくれているんです。めちゃめちゃお世話になっているので、結果を出してベルトを見せたいんです」


 工藤がキックを始めたのは18歳。先輩に誘われて、地元の松戸にあるキックジムに入門したが、そんなに熱心でもなければ、真面目な練習生でもなかった。

「最初に入った高校は1年で辞めてます。超ヤンキーってわけじゃなかったんですけど、タバコを吸ってるのがバレたり、いたずらが好きなんで(笑)。すごく厳しい学校で4回停学になって(苦笑)。

 それで、通信に行きながら職人をやってる時、地元のキックのジムに入門したんです。正直、一番期待されてたんですけど、20歳の頃に『地下格闘技』が流行り始めたら乗ってしまって。ジムに内緒で出場してバレて怒られたこともありました(苦笑)」

 転機は22歳。テレビでK-1に出場した「ファイヤー原田」を見たことだ。不器用ながらも、打ち合い上等の熱い全力ファイトを繰り広げる男の姿に、工藤は感じるものがあった。


観る者の心を震わせたファイヤー原田(右)。2010年5月、TDCホールで開催されたK-1 WORLD MAXにおける入場時の会場の一体感はまさに伝説

「僕は行動が早いんで(笑)、テレビで見てすぐジム(ファイヤー高田馬場ジム)に行ったんです。最初『プロは受け付けない』といわれたんですけど『いやいや、あなたもプロじゃないですか』って。最初は週2会員からでした」

 松戸時代からアマチュア大会に出ていたが、ファイヤージムに入門するとファイヤー会長から「アマチュア大会から出ろ」と命じられて、工藤は素直に従った。

「ファイヤーさんに『ジムを替わったんだから、最初から出ろ』と言われて、J-NETのBリーグから出ました。正直、早くプロでやりたかったですけど、J-NETのアマチュアの試合に15試合くらい出て、負けたこともあるんです。だから、僕はまだプロのレベルじゃなかったし、よかったと思います」

 2013年12月、26歳でプロデビュー。その後、工藤は地元の松戸から高田馬場に転居した。

「ずっと職人として働いてたんですけど、ファイヤーさんに『高田馬場に来い』と言われて、職人の仕事を捨て、自分の車も捨てて、高田馬場で一人暮らししながらジムで指導員をしたり、アルバイトをしながらプロで試合する生活を始めたんです。松戸だと駐車場代5000円とかですけど(笑)、都内は駐車場代も高いし、バイト生活では無理だったんで」


 2017年10月まで、工藤はファイヤー高田馬場ジムで過ごした。

 ファイヤー会長との師弟関係は「熱い」ものだった。

「よく言い合いもしました。それはジムを良くしたいからなんです。たとえば、ミットがボロボロになると会員さんは僕に言ってくるんですよ。会長には言いにくいし、プロ選手は僕ひとりなんで『玲央君、ミットが臭わない? ボロボロだけど』って。

 それで、僕は会長に『会員さんからそういう声も出てるんで、新しいものに替えましょう』と言ったらキレ出すんです。『新品を買うには金がかかるんだよ! 偉そうに言うな!』って。僕は、サンドバッグとかなら高額だから分かるけど、ボロボロのミットも替えられないって何のためにジムやってんだって。言い合いになって『いいよ、こんなとこにもう来ねえよ!』って本当に3日間ジムに行かなくて。電話が掛かってきてジムに行くと、ミットは新品に替わってたんですよ(笑)」

 何度ぶつかっても、工藤はファイヤー会長が好きだった。


「教えるのって、自分の持ってるものしか教えられないんです。ファイヤーさんには教われるものは全部教わりました。これを言うとファイヤーさんは怒るかもしれないけど(笑)技術的なものよりも気持ちの部分ですね。

『チケットを買って見に来てくれる人を大事にしろ』ってずっと言われてて、僕は今でも試合が終わると、チケットを買ってくれた人全員に試合翌日から2日間掛けて『ありがとうございました』って連絡します。そういうことがスポンサードして貰うことにつながったのかな、と思うし、正直、今の子は昔に比べたらそういうことをしないですよね。

 ただ、あの人は営業が出来ないんですよ(笑)。試合になると80人ぐらい呼んでたんですけど『行くよ』『お願いします』なんです。

 僕は人なつっこくて(笑)『お願いします。いい試合するんで』ってお願いして、チケットをMAXで150枚とか売りました。ファイヤーさんには『現役の時に知っておけばよかった。勉強になった。見習いたいよ』って言われました(笑)」

 2017年、ファイヤー氏は会長職を辞め、ジムの名称も変わった。それを機に、工藤はTEPPEN GYMに円満移籍。ただ、ファイヤー氏との関係は今も続いている。

「たまに連絡を取ってます。ファイヤーさんが志村三丁目に『ネオファイヤージム』を作る時に手伝って、オープンしてからも行ったりしています。ジムは会員さんも増えてて、調子いいみたいですよ」

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