朝倉海選手や未来選手と練習し、ピュア柔術にも取り組んできた
──現在、約1年間近く試合を行なっていません。この現状にフラストレーションはありましたか? それともプラスになった期間と考えますか。
「プラスにはなったと思います。(この期間)次の試合が決まらなかったというより、ボカン戦のオファーがずっとONEから来ていました。ただ、ボカンが体重オーバーをした時から直ぐのオファーだったりとか、何回か交渉が続いての流れがあり、自分のコンディションも怪我があったりとかして、逆に向こうに待ってもらったりもありました。今回はお互いのタイミングが合って、成立したと思います。お互いのタイミングが合っていたら、もっと早くに試合は行なわれていたと思います」
──この1年間、どのような練習などを積んできましたか。そこでの手応えなどは?
「ウチのジム(総合格闘技道場STF)の柔術部門をトライフォースの管轄に置きました。MMA選手がやる柔術と、柔術の専門家がやる柔術だと根本が違う。MMAの人間が教える柔術は『そこはMMAでは使わないし』みたいなこともあり、柔術オンリーとは違うので、新しい観点、物事を見るキッカケになったと思います。自分の柔術力が上がったかは、試合に出ていないので分かりませんが、知識量は増えたと思います。
それに今は、フィジカルも、ボクシングも継続して行なって、柔術はトライフォースの先生達に学んで、MMAはこれまで同様にやってと、大きく変えた点はないです」
これからフライトです
— Hiroba Minowa 箕輪ひろば (@Hirobad724) April 17, 2023
行ってきます pic.twitter.com/DxGL0E8qx4
──箕輪選手は練習方法や戦術など、全ての面を自身で構築し実践する選手に見えますが、メンター的な存在の方はいますか。
「それは自分がMMAを始めた当初から面倒を見てもらっている、ここSTFの代表(飯島浩二氏)です。やはり僕のことを一番よく理解できていると思うので。
僕は柔術、ボクシング、レスリングを一つの場所ではなく、色々な所でバラバラに学んでいます。トライフォース赤坂に行って、ストライキングの強い朝倉海選手や朝倉未来選手と練習を行なったりもします。その目的は自分と正反対の選手とやったりすること。そして、揃えた多くの“武器”について、使えるものとそうでないものを判断しなければいけないのですが、その作業を(飯島)代表とやる感じです。
その上で、どこにもない“自分達だけの技術”を研究し作り出しています。ウチの道場では、『一を一として捉えない』という言葉があるのですが、一つの技術をそれぞれの選手が独自の形にどう変換できるかを大切に考えています」
──この1年間の成長具合で、今回の試合を観戦したファンが感じられるであろうポイントがあれば教えて下さい。
「普通ならここで、『めちゃくちゃ打撃が進化しました』とか言うべきなんでしょうが、僕は違う表現になります。例えば、昔からずっと美味しいと言われるラーメン屋さんがあるとすると、それはずっと同じ味な訳ではない。(客は)飽きる訳じゃないですか。昔から変わらず同じ味でやってきて、10年続いて、ずっと10年間客がくるのはおかしい。多分、客に分からない位でちょっとずっと何かを変えていると思う。僕はその考えでMMAに向き合っています。
専門家以外が見て、パッと見は分からないけど、『なぜコイツは勝っているんだろう?』と。それは間違いなくちょっとずつ強くなっている訳で、僕はそういうことを心がけながらやっています。結果として、どう“変化”したかよりも、どういう“味”になっているかが重要だと思います」
──『一を一として捉えない』にも繋がる考え方ですね。「どういう味になっているか」。
「これまで“箕輪は強い”と言われたことがそうないんですよ。“大したことがない”、“パッとしない”とよく言われます。ただ、前より強くなっていかなければ、アレックス・シウバやリト・アディワンなどの強豪には勝てていない。勝利にフォーカスして、変化させて勝つのが大切。取り敢えず、結果を見てください、と思います」
──箕輪選手は試合中での視野の広さ、アジャスト能力が抜きん出ている選手だと思います。修斗時代から、一つの戦術に固執せず、動きや流れを意識的に修正し勝ちを引き寄せる戦いをしていると感じます。
「その視点は素晴らしいです。格闘技とは、想定外が起きた時の適応能力の勝負だと思っています。もし試合が想定内だったら、例えば、戦術がAしかなければ、戦いはワンサイドになりやすいと思います。そのプランAが通用しなければ、一方的に試合は終わるので。
でも、プランAが通用しなくなった時に、プランB、Cを展開していき、その選択肢が無くなった方が負けになる。ブルックス戦で自分が負けたのはそれが理由です。ブルックスに全ての選択肢を潰されてしまった。自分は13年間、人生の半分を格闘技に捧げてきました。最初からMMAでスタートしたので、純血のMMAスタイルなのですが、引き出しの数の勝負で負けていたら、その意味がなくなる。その中で、いかに自分が持つ適応能力を発揮するかが勝負だと思っています」