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インタビュー

【INOKI BOM-BA-YE×巌流島】元Bellator王者ラファエル・ロバトJr「ブラジルで柔術をやり、日本でMMAをやるのは自分の“やりたいことリスト”の中にあった」

2022/12/27 10:12
 サウロ&シャンジ・ヒベイロの黒帯で史上3人目の米国人ムンジアル王者のラファエル・ロバトJrが、2022年12月28日の『INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国』(U-NEXT生配信)で初来日。大道塾・空道覇者でMMA8戦無敗の岩﨑大河と対戦する。  UFCが始まってすぐに柔術を習い始め、少年時代にボクシングも習得していたラファエルは、2014年9月にMMAデビューすると、10連勝でBellator世界ミドル級王者となり、「海綿状血管腫」と診断を受けたことで、無敗のままMMAから離れた。 「PRDEを見ていてずっと戦いたかった」という日本で、なぜラファエルはMMAに復帰するのか。シャンジとともに来日した“柔術ガイ”に聞いた。 間違いなく僕は「柔術ガイ」だから、自分の柔術を勝利のために用いる ──柔術のセミナーも行っていましたが、来日したのはいつでしたか。 「21日、水曜の夜です」 ──早目の日本入りですが、コンディション整えるためでしたか。 「はい。体調管理と時差ボケ対策もありますし、初来日なので日本の雰囲気を楽しむため、というのもあります」 ──この数日で感じた日本の印象はいかがですか。 「すごくいいです。食べ物が美味しそうでいろいろ食べたいんですけど、契約体重があるので、美味しくないものばっかりになっちゃって(苦笑)。お寿司をちょっと食べたくらいなんです。ともあれ、人々がとてもフレンドリーですし、清潔でとっても綺麗なところですね。だから、試合後にもっと満喫しようと思って、あともう1週間滞在予定です。新年はこちらで迎えます。楽しみにしてます」 ──この大会に出場しようと思った理由は? 「それは……ロングストーリーになりますが。まず、夢だったんです。子供のころから、日本で戦うことが。それで、自分にはキャリアを形成していくなかでたくさんの不遇があったもので、自分はもう再び戦う機会は得られないだろうと思いつつも、決して希望は捨てず、諦めていませんでした。そして、パンデミックがちょっとずつ終わりかけてきたところで、日本も開かれてきたところで、自分のマネージャーが日本で働く機会がないかを探し始めてくれた。そして残念なことに猪木さんが亡くなりましたが、彼のメモリアル興行としてこの大会が再び開かれることになり、自分に出場機会が与えられることになった。ついに夢が叶ったわけです、そしてついに、自分がもっとも大切にしているサムライスピリットというものの起源である国のエナジーというものを味わえるということになったわけです」 ──アントニオ猪木さんをご存知でしたか。 「はい。彼がプロレスラーとして活躍していたことは知っていましたし、この巌流島というイベントについても知っていましたよ。僕のコーチのひとりであるアンドレ・ジダが巌流島で戦ったことがありますし、それから彼の歴史については実はちょっとだけ知っていることがあります、というのは、自分のマネージャーがリョート・マチダもマネジメントしていて、マチダはアントニオ猪木さんと関係がありましたよね。だから、ちょっとだけ彼のパーソナリティーを知ってはいて。だから彼の追悼興行に出場することを、とても光栄に思っています(※当初、巌流島はジダにオファーをしていたが出場出来ず。ジダからの推薦で初参戦) ──対戦相手の岩﨑大河選手については、どれくらいご存知でしたか。 「オファーをもらうまで知りませんでしたが、対戦が決まってからリサーチして、YouTubeでいくつかの試合動画を見ました。うん、彼は強くて若いファイター。とても良いキックのテクニックを持っているから、この試合は素晴らしい挑戦になります」 ──ストライカーとの今回の試合が、巌流島ルールではなく、MMAルールになったことに躊躇はなかったですか。 「とても嬉しいと思いましたよ、MMAでやれるのは。やっぱり慣れていますから。そのことが自分の持っているスキルセットを見せる一番の方法ですし、彼は優れたストライカーですが、自分自身すごいストライカーたちとたくさん戦った経験がありますし、あらゆる形で戦えるように準備もしていますし」 ──MMAの前戦は2019年6月の「Bellator 223」で、Bellator世界ミドル級王者のゲガール・ムサシに挑戦し、判定勝ち。王座獲得に成功したものの、2020年2月に「海綿状血管腫」と診断を受けたことで王座返上。以降はグラップリングに専念していたかと思います。MMAの試合から長く離れていましたが、脳の病気の問題はいかがでしょうか。 「脳の病気は常に気にしていなくてはいけない状態というか、というのは完治ということはないものですから、ただ何の症状も無くて、これによってどうこうという問題もゼロなんですけど、ただアメリカのコミッションが厳しくて、もうMMAの試合はしてはいけないと、許可が下りないということなんです。担当医たちはまた自分が続けられるように尽力し続けてくれても、何も変わらなくて。健康状態が良くなろうと……。  だからとても幸せです、いまここに来れて。最後の試合が3年半前です。そんな風に長いブレイクになってしまったのは自分自身が望んだことではないんですけど、ただ、前回の試合から遠ざかっている間に、柔術の大会にずっと出てトップ戦線のコンペティションのなかでしのぎを削ってきました。ずっと、日本が入国の封鎖を解いたということを知ったときから、新しいマネージャーが機会を探してくれて、自分はそういう機会に備えて、MMAの練習も再開していました。だから、準備はできています」 [nextpage] MMAから離れ、グラップリングのトップで戦ってきたことで前より良くなっている ──その間、グラップリングで活躍し、今年のADCCでは、1回戦でペルトゥ・テポネンをフェイスロック、2回戦で昨年準優勝者のヴィニシウス・フェレイラに2-0勝利。実に5度目のADCC世界大会準決勝進出を決めました。決勝でも前回大会99kg超級の覇者にして、今年の世界柔術も制している優勝候補筆頭のカイナン・デュアルチを相手に極めさせず、レフェリー判定で敗れている。MMAが出来なかった期間でグラップリングが進化したという部分はありました? 「それは確かです。これはおかしな話ですが、MMAを長いことやってなくて、久しぶりにやったら前よりも良くなっているんだ。自分の柔術、グラップリングを確固たるものと築き続けて、そしてさらにそこに特化した経験というものを経て、フィジカル的な意味で体つきもすごく良くなっているし、すごくハードにトレーニングして、自分のキャリアのなかでも一番タフな状態にあると言えるかもしれない、今が」 ──柔術家として、組んでテイクダウンすること、下になっても上を取り返すこと、バックを奪うことでゲガール・ムサシに勝利しました。しかし、Bellatorはケージです。今回の危険なストライカーに対して、戦う舞台がリングなのは有利なのか、不利と感じますか。 「それは何とも判断はつかないところですが、というのも手も合わせたことがないし、お互いリングでは戦ったことがない。あ、彼はリングで戦っていないのかな? と思って言ったんだけど(※岩﨑もMMAはすべてケージ)。とにかく自分は初めてリングで戦う。これはやはり違いがある。ケージは、サークリングして逃げることができるが、リングは相手との距離をぐっと詰めてコントロールすることがより容易だと思う。だから、僕が思うに、とにかく間違いなく僕は“柔術ガイ”だから、自分の柔術を勝利のために用いるということは確かだ。だから、リングは自分がテイクダウンをしてグランド勝負をしようと思っているという点においては優位性があるかもしれないね」 ──クラッチの部分ではいかがですか。 「ケージだと、つまり壁だから身体に手を回すことをブロックしますね。リングだとそれができる。ロープとロープの間に手が出たりするから。試合に備えてリングでスパーリングをしているんだけど、リングの恩恵みたいなものっていうのがあることも分かっている。とはいえケージで戦うのも好きなわけで、そこはどちらかが、というのは問題ないかな」 ──この試合後、また日本で戦う可能性はありますか? 「日本で試合をするのが夢だったので、様子を見たいですね。まずはこの試合に集中している。もう結構おっさんになって、アラフォーだし、実は生まれたばかりの双子の赤ん坊を家に残して試合に来ているし、人生の次のフェーズとして考えていくことになると、今回は自分自身の夢を叶えるということがあったから。とりあえず今の試合に集中しして、たとえば良い機会が訪れてオファーがあればしっかり考える。とにかく今はこの試合が、人生最後の試合となってしまうかもしれない、という心意気で挑むつもりだ」 ──大道塾、空道についてはご存知でしたか? 「対戦相手の所属だよね? いや、知りませんでした」 ──大道塾はかつて初期UFCに挑戦しています。「UFC 2」で大道塾の市原海樹選手がホイス・グレイシー選手と道衣を着て戦い、片羽絞めで敗れた。ここにもロングストーリーがあります。 「あああ、そうなのか! だからイワサキは『リベンジ』と言っていたのだね、その意味が今やっと分かったよ! てっきり僕のことが嫌いなのかと(笑)」 ──ロバト選手もグレイシー系でグレイシーウマイタからサウロ・ヒベイロという系譜ですよね。誰の黒帯になるのでしょうか。 「サウロ・ヒベイロ、そして今回、コーナーマンとして帯同しているシャンジ・ヒベイロです」 ──戦極でも戦ったシャンジがコーナーマンなのですね。ところで、日本で戦うことが夢だった、というのは何がきっかけなのでしょうか? 「ウチは格闘一族でね。父親も格闘家で、お父さんとトレーニングして教わって育った。ルーツとしては、子供のころはジークンドーを学んでいたんだ。父はダン・イノサント師父の弟子の一人でね。ジークンドーを通じて、父親がブラジリアン柔術というものにたどり着いたというか、見つけた感じですね。グレイシー柔術というものと出会い、彼はグレイシー柔術についての情報をかき集めて、僕たちはヒクソン・グレイシーについてテープをかき集めたりしてすごく研究した。  そしてはるか前のことですが、1994年とかそれくらいに、日本のバーリトゥード・ジャパン・オープン(VTJ)に出ていることを知ったんだ。僕はヒクソンを見たことがなかったけど、彼のテクニックやエネルギー、彼の呼吸法や、あの冷静さというものが彼がすべての試合に勝利するときに現れていて、そうやって子供の頃からヒクソンの影響を受けていて、そしてPRIDEを見るようになって、日本がすごく好きな憧れの場所になったんだ。12歳くらいの頃から、いつか日本で試合がしたいなあと。あれだけの観衆がいるんだけど、すごい静かに観戦してフィニッシュに近づくと『うおお』『わあ』と歓声が沸く。だから、マーシャルアーツが生まれた場所だ、と思っていた。ブラジルでブラジリアン柔術をやり、日本でMMAをやるっていうのは自分の“やりたいことリスト”の中にあったもの。それらを叶えたんだ」
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