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【追悼】アントニオ猪木はなぜモハメド・アリと戦い、どう攻略しようとしていたのか[インタビュー特別公開]

2022/10/01 15:10

とことんやってもいいということであれば、私は何でもやります


──まだ「MMA」という言葉が無かった時代に、現役ボクシング世界ヘビー級王者をリングに上げ、「何でもありなら絶対に勝つ」と確信していた。それだけの自信をどのような練習で身につけたのですか?

「昔、日本人のヘビー級ボクサーがいたんです。そんなに大きくはないんですが。でもボクシングをやっても私の方がパンチが強くて。ボクシングというのは体重でそれだけ違ってしまうんだな、と思いました」

──猪木さんもボクシングのスパーリングをやられたんですか?

「何ラウンドもやりましたよ」

──アリ戦前にはシリーズを休んで合宿所で練習されたようですね。竹刀の先にグローブをつけて突いてきたものをかわしたり、スライディングキックをしたり。

「もう少し、キックボクシングの蹴りを学んでいればとは思います。接近したところでもっと体重をかけて蹴れば、もっとダメージを与えられたかもしれません。でも、あと数センチ入ればパンチをもらうかもしれませんから、かなり危険ではあったでしょうね」

──当初、猪木さんはどういう作戦を考えていたんですか?

「とにかく捕まえれば倒せる、とは思っていました。そこから先までは考えていません。計算してどうこうしようはなかったですよ。この野郎、と言われるくらい自惚れていましたからね(笑)」

──その自信の裏打ちは何だったのでしょうか? 日本プロレス時代のカメラマンに聞いたことがあるのですが、猪木さんは巡業に行っても1時間早く会場入りして、1時間みっちりと練習して汗をかいていたと聞いたことがあります。

「それに加えて朝はランニングしていました。走るのはそんなに得意ではなかったんですが、ある時からランニングを始めました。大体5~10Kmは走っていましたね。新日本プロレス時代は社長業もあったので、リングで汗をかくというよりは自分で体調をコントロールしておかないといけなかったので。ランニングのあとはストレッチをやったり。零下10~15度のロシアでも、テロが起きていたニカラグアでも走っていました(笑)」


──しっかり練習しないと気がすまなかったのですか?

「それが仕事だと思っていましたから。本音を言えば、余計なことは一切やらずに練習に専念していればよかったんですけれど、そういうことが出来ないタイプですからしょうがないですね。あれもこれもとチャレンジしていきたい性分なので」

──猪木さんは十代でブラジルに渡ってからも陸上選手権での砲丸投げや円盤投げで優勝するほどの選手でした。その身体能力は、ブラジルでの農園での仕事で培われたものなのでしょうか。

「朝から晩まで働きましたからね……。市場に移ってからも夜中から朝方まで野菜などを上げ下ろしする肉体労働でしたから、身体も強くなりました」

──ところで当時、猪木さんがブラジルで生活されていた周辺で、柔術の道場を見かけることはありませんでしたか?

「見なかったですね。青果市場は町なかでしたから」


──猪木さんの格闘技術の根幹はカール・ゴッチさんから学んだレスリングですか?

「元々は兄貴たちが空手をやっていたので、その実験台に使われていたのが最初ですかね。私はその頃から身体が大きかったので。小学生なのに兄貴たちが蹴りを入れて、小便を漏らしたことがありますから(笑)。肉体労働の後、どんなに疲れてもランニングをしたり、空手の突きを兄貴たちが教えてくれたりしていました。それとゴッチさんの出会い、全く違ったタイプのルー・テーズさん、もうひとつは力道山。この3人が私の師匠ですね」

──猪木さんは、アームロックで相手の肩を外したり、いざとなったら目を指で突いたりする裏技も繰り出しました。いざとなったらやるということは、やられる覚悟も出来ていたということでしょうか。

「それは……多分、時代が違うのかもしれませんね。やはり自信がなければ、そういうことも出来ないでしょうし。戦いは下がるか、出るかのどっちかでしょう。とことんやってもいいということであれば、私は何でもやります」

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