2003年3月1日、K-1 WORLD MAXの日本トーナメント決勝戦で一度だけ直接対決している魔裟斗と武田
魔裟斗と武田幸三。『K-1 WORLD MAX』で対戦し、共に世界と戦ったライバルが魔裟斗のYouTubeチャンネルで対談を行った。
「この先にヤバいヤツが待っています。俺の脚を一番痛めたと言っても間違いじゃないですね」と魔裟斗が向かったのは、武田が代表を務めるYashio GYM。
(写真)魔裟斗のYouTubeチャンネルにて久しぶりに対面した魔裟斗と武田(C)魔裟斗チャンネル
2002年から始まった『K-1 WORLD MAX』。日本人ライバルたちを蹴散らしていた魔裟斗の対戦相手に、ファンが待望していたのが元ラジャダムナンスタジアム認定ウェルター級王者の武田だった。“超合筋”の異名を持つ武田はローキックと右のカウンターを得意としており、当時は打倒ムエタイ路線を突っ走っていたためK-1参戦はないと思われていたが、2003年3月1日に有明コロシアムで開催された『K-1 WORLD MAX 2003~日本代表決定トーナメント~』に電撃参戦。決勝戦で魔裟斗と対戦し、魔裟斗が判定3-0で勝利を収めている。
直接対決はこの一度きりだったが、武田はその後もMAXに定期参戦し、魔裟斗、小比類巻貴之らと共に世界の強豪たちと戦った。
魔裟斗が「武田さんとは2003年に戦って」と紹介すると、武田は「あの生意気な時ですよね」と先制パンチ。武田がK-1に初参戦した時に「(魔裟斗が記者会見で)ライオンがウサギを狩るようにやってやる、みたいなことを言っていて。冷静なふりして聞いていましたが内心は『クソガキ、この野郎』そんな感じでした(笑)」と当時の心境を明かし、「ギラつき感というか、獲りに行く人間の燃えるものみたいなのは(感じた)。僕はちょっと(K-1への)お客さんだったような気がします。慢心があったかもしれない」と振り返る。
武田はその時のことを「自分が入場すると男たちから『魔裟斗殺してくれ~!』って。で、魔裟斗選手の入場ですってなったら『キャー! 武田死ね~!』と完全にファンが二極化していた」と、魔裟斗を応援する女性ファンの黄色い声援と武田を応援する男性ファンの野太い声援で真っ二つに分かれていたと話す。
魔裟斗は「63戦戦った中でも一番痛かったローキックが武田さんのローだった」と言い、「気持ちが強かったから、あの時3Rだったけれど5Rいっても立ってた自信があって」と、例え3分5Rだったとしても気持ちの強さで耐えられたと言うと、武田は「無理です」と負けん気を見せて魔裟斗は爆笑。
2人とも引退した後、同じくK-1ファイターの安廣一哉が間に入って一緒に飲んだこともあったが「話が盛り上がらない。自分も魔裟斗君もトゲトゲしていた」と微妙な空気だったと笑い、魔裟斗は「ゴン格の対談の時なんて、正面で向き合っていると『これ始まっちゃうんじゃないか』って空気感があって」と、格闘技雑誌『ゴング格闘技』の2012年1月号にて、お互いに引退してから2年後(両者とも2009年に引退)だったにも関わらず、まだピリピリしていたと明かした。
(写真)引退から2年後、『ゴング格闘技』の2012年1月号にて対談した2人だが、まだこの頃はお互いピリピリしていたそうだ
武田は30歳で引退した魔裟斗に「その辞め方も気に入りません。だって一番いい時でしょ」と問うが、魔裟斗はMAXで世界の強豪たちと対戦して「これ以上やってたら壊れる可能性あるなと」いう感覚があって早めの引退を決意したと説明し、武田は「僕も壊れました」とつぶやく。
そして、話は6月19日に東京ドームで行われる『THE MATCH』の那須川天心vs.武尊のことに移り、武田が「今の2人、どっちが魔裟斗君なんでしょうね。ギラギラ感がある、獲りに行ってるのはどっちなんでしょうね」とどちらが“獲りに行っている男なのか”と言い、魔裟斗は「お互いに喰いに行ってる気がする。天心が若くて、当時の僕と武田さんの年齢差みたいな感じですよね、まさに」と、両者が当時の魔裟斗的な意識で行っているとした。
武田のキャラクターが光る対談の最後は、今度K-1同窓会をやろうという約束で締めくくられている。