MMA
インタビュー

『ストロング本能』青木真也が『棋士と哲学者』戸谷洋志と語る勝負論。

2019/05/24 07:05
青木真也の著作第2弾『ストロング本能』(KADOKAWA)の刊行記念トークイベントが4月下旬、都内某所にて行われた。テーマは青木真也×戸谷洋志「人生と格闘技、勝負はどこで決まる?」。 対談相手を務めるのは、大の青木真也ファンで空手経験もあるという哲学者の戸谷洋志。2018年に刊行された『僕らの哲学的対話 棋士と哲学者』(イースト・プレス)の中でも、青木の言葉を引用しながら「戦い」についての思考を深めている。 格闘技や仕事、あるいは人生における「勝負」について、お互いの「戦い」観が交差する中、いったいどんな言葉が飛び出したのか? シンガポール大会前、青木真也が語っていたこととは──5月23日に発売となった『ゴング格闘技』と『ストロング本能』&『棋士と哲学者』のコラボ企画!(聞き手=藁谷浩一、構成=兼重友子) 戸谷 僕が青木さんを初めて知ったのは高校生の時。柔道部の友達にすごい選手がいると教えてもらったのがきっかけです。それまでの格闘技の見方はどちらが先に一発当てられるかドキドキしながら見守るイメージだったけど、青木さんの試合はフィニッシュに向けて全部計算され尽くしていて、一つひとつが必然的に繋がっている感じがした。それがすごく美しいと思ったんです。 青木 それはたぶん弱い人はそう思うんです。僕も自分自身が弱いことを自覚している。強い人間や怖さのない人間というのは真っ向勝負できる訳ですよ。自分が勝つ自信があるから。ただ、僕みたいに基本的に卑屈で、自分が弱いことが嫌で、それを認められない人間もいる。この「弱いこと」というのがポイントで、これを認めてしまえればいいけど、自分が弱いことを知りつつも、弱いことを認められない。そういう人間って格闘技をやる奴が多くて、そうなるとロジカルに考えますよね。僕の考え方だと、後から答え合わせできない試合はウソな訳ですよ。フィニッシュまでの過程が後から説明できないと、次の試合に再現性がない。それって価値のないことだよね。日常生活も同じで、答え合わせができないとすべて偶然やラッキーで済んじゃうことになる。 戸谷 試合の展開がロジカルだとは僕も思っていたけど、逆にインタビューや煽り映像とか試合の外では無茶苦茶なことを言うなと思っていました。 青木 あ、そう? 戸谷 すごく感情を爆発させたり、人の予想を裏切るようなことをするじゃないですか。試合の中でのロジカルさと、試合の外での予想外の行動が結びついているのが、面白いというか個性的だなと思っていましたね。 青木 ここで僕が言ったことと、リング上で戦っている僕が言ったことが真逆になることはある。やっぱり立ち位置や状況で言うことは変わるものだから。今僕が言ったことをすべて額面通り真実として受け取るのもどうか、という話。だから、その場その場で言うことは変わる。そこで整合性を取る必要はないと思っている。 戸谷 なるほど。試合の時は(自分自身が)別人のように感じるのですかね。 青木 その意識はあるかもしれない。試合中の僕は僕じゃないから。だって辛いじゃん、あんなシリアスな現場。試合をしている僕と普通に外を歩いている僕とは、人格が違います。 戸谷 『ストロング本能』を拝読して、キャラクターとして予想を裏切ることを語る一方で、論理的な試合展開をしている理由がわかった気がしました。本の中の「本能と共に生きる」というキーワードは支離滅裂に生きるという訳ではなく、自分をコントロールすることにも繋がってきますよね。 青木 そうです。「理屈持って自分で答え合わせして生きろよ」ってこと。 戸谷 ただ、手段が目的化してもダメで、あくまでも大事なのは表現することなんですよね。 青木 そうそう、みんな手段と目的を勘違いするよね。僕は格闘技をやっているけど、勝つことはあくまでも(人生を楽しむ)ひとつの手段かもしれない。そこを間違えて、勝つことだけを求めると、人生の豊かさは皆無になる。勝敗ってスパイスだから、それだけに囚われると一気に人生が薄っぺらいというか、貧しくなるよね。じゃあ何のために格闘技をやっているのかというと、やっぱり楽しく生きるため。36歳まで続けているのは、本当に心から好きだから。好きなことをしていれば、人生楽しいでしょ? そこが逆転するとおかしくなってきますよね。 戸谷 青木さんの前著『空気を読んではいけない』(幻冬舎)も読みましたが、そちらでは柔道時代の話など通して「いかにして勝つか」をメインに語っていますよね。でも『ストロング本能』だと、生き方の話になってくる。 青木 「この生きにくい社会でどう豊かに生きていこう」って話ですよね。 戸谷 だからすごく面白かった。青木選手ってこういう人かというのが理解できた一冊。 青木 僕は哲学者でも、格闘家でも、基本的に言っている内容はみんな一緒だと思う。僕は格闘技を通じて哲学というか生き方を学んでいるだけ。要は学ぶ場所が机の上か、リングの上かの差。当然、言い回しとかの違いはあるけれど。だから、「格闘技しか知らない奴は、格闘技のことを何も知らない」と、最近よく言うんです。結局、格闘技だろうと会社の仕事だろうと(学べることは)全部一緒だと思うから、格闘技をやる人間は他のことからも学ばないとね。 戸谷 格闘技以外の世界と繋がることは、格闘技における強さにも繋がる? 青木 強さになる。それは間違いない。日本にしかいたことのない人は日本の良さがわからないのと一緒。でも、海外に行くと初めて日本の良さや悪さが見えてくる。だから他のことを知らないと、格闘技の良さも悪さも当然わからない。さらに言うと、格闘技の技術だけしか知らなかったら、それ以上の価値は越えられない。試合は、試合だけの価値でしかなかったら意味はないと思う。やっぱり格闘技って、人を元気にするものじゃない? 格闘技の価値を上げるというか、格闘技をやることに意味を持たせるためにも、他のことを知るべきだと最近よく思う。 [nextpage] ――それで最近、知ったことは何かありますか? 青木 周りには、僕より金持ちや優秀な人はいっぱいいますよ。この間の試合後に食事していた時、たまたま元UFCのチャンピオンたちが来たので一緒に写真を撮ったんです。その時、メンバーの中で自分が一番稼いでないことに気付いた(笑)。さらに自分より優秀か、社会的に影響があるかを考えたら、自分が一番下だと思ったけど、僕の中では自分が一番豊かに生きていると思ったの。僕の中では自分が一番だって。経済的に成功するかどうかは、ジャンルの強さだと思うんです。メジャーな野球と格闘技の違い、みたいな。僕はやりたいことがあって好きなことができているから、僕の中では一番だと思っている。 青木 ちなみに戸谷さんは、勝負は好きですか? 戸谷 じつは勝負は嫌いで、白黒つけるのが怖いんですよ。 青木 それわかる! でも白黒つけると解放感があるじゃないですか。それってドキドキしない? 戸谷 勝ち負けが記録に残ると、負けた事実が覆せなくなってしまうじゃないですか。だから勝敗をはっきりさせずに、解釈の余地を残しておきたい。 青木 そうなると戦わないことが一番で、進めない生き方になっちゃう。僕の考えは違って、例えば負けたことを人に言われたとしても、「だから何?」って受け取れる。負けたことをそんなに悔やむ必要はないと、最近は思えます。仲の良い北岡悟選手はレコードが全然綺麗じゃないけど、彼は昔から負けても「だから何だ」と言っていて、まさにその通りだと思いますね。 戸谷 なるほど。 青木 格闘技が好きなのと、勝負が好きなのはまた別のこと。そこはやっぱり深いなあ。 戸谷 そういえば僕は子どもの頃に空手を習っていて、練習は好きだったけど、試合はめちゃくちゃ嫌いでした。ひたすら基本稽古をやるのが楽しかった。試合に向けた対策とか嫌だったなあ。 青木 やっぱり僕は勝負が好きですね。格闘技が好きだと、勝負に対して厳しくなりますよ。「相手と楽しもう」というテンションとは違うじゃないですか。格闘技選手である前に勝負師なんだから、勝ち負けにはこだわろうと思うんです。日本の格闘技ですごく嫌いなのが、「勝敗を超えた」という表現。ほんとバカなんじゃないかって思う。それ言ったら見る価値なんてないじゃん、勝負なんだから。勝敗を超えた試合に人が感動する理屈も分かるけど、でもいい年した大人がどんなことをしてでも勝ちたいと、徹底的に勝負にこだわるからこそ、そこで初めて勝敗は超えられると思うんですよ。ようやく勝者も敗者も称賛される。それを最初から言ったら、すごく安い試合になっちゃう。だから、勝負にはこだわるべきだと僕は思います。 戸谷 日本の哲学者に内田樹という方がいるのですが、彼は合気道を評価しているんです。何故かというと、技を掛ける瞬間、自分と相手が一体化する感覚が得られるから。そこでは敵と味方の区別がなくなるのだそう。青木さんの話を聞いていると、そのように相手と一体になるよりも、相手に勝つことが大事だと? 青木 まずは勝負だからね。試合の組み立て方にも表れているけど、僕の試合は面白い内容ではないと思う。「男だったら打ち合えよ」って他人は言うけど、バカなんじゃないって思う。だって危ないじゃん、負ける可能性あるのに。僕の組み立て方は、徹底的に負けるリスクを排除する。実は勝負にこだわっているスタイルだと思います。(世間では)エンターテインメントと勝負とを、悪い意味ではき違える傾向にあるよね。 戸谷 ある種、勝ちにこだわっているからこそ、勝負事は運の要素もすごくあると思う。だからと言って、運を天に任せるとかじゃないけど。 青木 僕は着飾らずに(自分から)「運が良かったよ」とか平気で言っちゃうけど、全然努力してない人に思われるんですよ。運って言うと、日本人は安易な印象を受けますよね。でもそれは、もう最終的に「運しかない」と思えるところまで努力し尽くしたということ。逃げの意味じゃない。そこを勘違いする人が多い。「これほどの努力を人は運と言う」と、幻冬舎の創業者・見城徹さんはおっしゃったそうですが、僕はこの言葉が大好きで、まさにその通りだと思います。だからこそ勝負は面白いんです。 戸谷 最初から勝つことがわかっていたら面白くないですもんね。 青木 一回でも勝負に魅了された人は、人生においてそれ以上の刺激は現れないと思う。僕も36歳だから、「もう大往生でしょ。これ以降は右肩下がりだよ」って、よく人に言われます。でも、本当に人間って面白いもので、もう一回ピークが来ると思っている。それってセックスもドラッグも全部一緒で、最初の興奮が忘れられず追い求めちゃう。だから止められないんだなと思います。 [nextpage] 戸谷 勝負に人生を賭けるのは同時にリスクを背負うことでもあるけど、仮に負けたとしても生活できる保障があるから戦えるのか、逆に保障を絶った方が追い詰められてやる気になるのか。 青木 どうだろう。僕はすごいビビリだから、いつも自分が必ず飯が食えるような算段をしてしまう。23歳で警察を辞めて格闘技一本にした時から、生きていくのに手堅い契約をしてきた。ただ、それも最近は答えが変わってきて、日本で生きていく限り死ぬことはないと思うようになった。よく若い子たちに「おまえら、バイトしたら負けだぞ」と言うんだけど(笑)。つまり、時給を得るために消費した若い頃の時間は戻ってこないから、いま最低限の生活費を確保して好きなことをやった方が将来的には得だ、ということを教えたかった。 衣食住にかけるコストはどんどん安くなっているし、賢い人ほど「働いたら負けじゃない?」と思うようになっている。これ本気で僕は思っていて、例えば月15万円で好きなことをやってストレスのない生活と、月30万円で拘束と苦痛を与えられる生活を比べた時、今の若い子たちは前者の生活を選ぶ気がする。遊ぶのも食べるのもお金がかからない時代に生きてきた訳だし。それなのに若い世代を「貪欲じゃない、やる気がない」と批判するのは違うんじゃないかと思う。人の生き方も変わってきていますよね。 戸谷 僕は大学の教員をしているので入試の傾向を調べたりするんですが、最近、難関大学の倍率は下がっていて、偏差値の低くて入りやすい大学の方が倍率は上がっているんですよ。高校生の中でも安定志向が高まっているのかなと思います。その発想はどこから来ているんだろう? 青木 ちょうど練馬で一緒に練習している新卒の子がいるんですけど、北大を卒業したのに10人くらいの小さな広告会社に勤めていて、昼の練習に出ているんです。「北大出たのにこんなことやってていいのか? もっとちゃんと仕事やれよ」と言いましたけど、彼からしてみれば自分のキャリアを好きなように作りたいみたいで、格闘技で一時代を築いてやるというテンションでもないし、この感性って独特だなと。「おまえ格闘技のセンスないよ」とは、強く言っておきましたけど(笑)。 戸谷 青木さんも早稲田大学を出て、警察になってから格闘家に転身した異色のキャリアですよね? 青木 僕は静岡出身の一人っ子で、格闘技をやること自体、親は反対でした。在学中は遊びだからと許してくれましたが、まさか格闘技の選手になりたいと言い出すなんて思わなかったでしょう。とりあえず警察に入ったけど、人生であれほど辛い時間はなかった。自分のやりたいことがあるのに、自分の人生が送れなかったから。飯が食えるから幸せなのではないと、その時に強く思いましたね。父親には「なぜそんなに試合するんだ。もっと安全なキャリアがあるじゃないか」と言われますが、「銭はもらえても辛いことはあるんだよ」と僕が返すので、よく大喧嘩になります(笑)。それも世代の違いですね。 ――戸谷さんにとって一番辛かった経験は? 戸谷 うーん……。大学院生の最後の年に休学して奨学金がもらえなくなったので、家の近所の某コーヒー店でバイトを始めたんですよ。昔、飲食でバイトした経験はあったのに、数年ブランクを挟んだら全然自分が働けなくなっていて、使えなくなっていて、それが一番辛かったです。若干うつ気味になって辞めたのですが、これじゃ普通の会社では働けないなと思って。 青木 やっぱり賢い人はキツイ状況にならないように、ちゃんと予防する。僕とかは割となんだかんだ生き延びていくし、自分で追い込んでいる感はある。 ――その話は戸谷さんの勝負嫌いの話と何か関係があったりしますか? 戸谷 僕は感情的なものに触れるのが、すごく苦手。本当は会話もできるだけチャットにしたい。 青木 わかる、わかる! 戸谷 職場にスタッフが4人いますけど、全員同じ部屋にいるのにずっとチャットで会話している。全く声を発さない(笑)。さっき話していたコーヒー店のバイトでも、感情的な怒られ方をして、それで精神が参ってしまった。理屈で怒られるのは平気だけど、感情的に怒られるのは嫌。 青木 でも、感情的になっている人を見るのは面白いよね。僕はそこ平気だな。 戸谷 『ストロング本能』にも、北岡選手が試合前にバックヤードで相手の煽り映像を見て怒っていた様子に感銘を受けたことを書いていましたね(笑)。 青木 あれはメンタルトレーニングのセルフトークに近い。声を発するというのは、素晴らしい動作だと思う。自分がやるときも、サポートするときも、声を出すようにしている。そこは理屈じゃなくて声に出したほうがいい。「俺はできる、大丈夫」とか。最終的には手を握るとか、抱き合うとか原始的なところをすごく大切にしている。 戸谷 試合の場合、怒っている状態とクールな状態、どっちがパフォーマンスいい? 青木 僕の論ですけど、勝負事に熱くなる奴はダメですよ。みんな勝負は叩きのめすものだと思っているけど、全く違う。勝負事って揚げ足を取るものだから。例えば高校野球で2アウト満塁なら、やっぱり待つのはエラーでしょ。自分がどうこうするより、相手の失敗を待つ。熱くなると相手を倒すことしか考えないから、自分が揚げ足を取られます。理想的な試合前のルーティーンとしては、まず30分前くらいに一回気分をバーッと上げる。何か叫んだり、暴れたり、蹴っ飛ばしたりしてもいい。それから入場ゲートの前に来たら、すっと落ち着くのが一番いい。試合中は、次の動作を考えているようでは負け。勝手にパパっと身体が「オート」で動くようでないと。「相手がこう来たらどうしよう」とか考えるのは、試合の前まで。 ――「オート」とは、本能で体を動かすということ? 青木 僕は「オート」と言っていますが、「本能」「ゾーン」など、人によって色んな言い方がある。100通りの表現があったとしても、事象は同じことだと思います。割とルーティーン化すればみんなできることだと思う。 ――戸谷さんは哲学の対話の中で、「オート」「ゾーン」とかありますか? 戸谷 多分それに近いのは、学会での発表。僕は自分で「戸谷洋志」を演じている感覚を持ちます。よく本番前は、心の中でショートコントみたいに学会発表のシミュレーションをする。つまり、自分は自分を演じているだけであって、失敗しても傷つかないようにするためだと思う。 青木 失敗するシミュレーションもしますよね? 僕は「こうやってぶっ飛ばされる」みたいな領域までちゃんとやります。(成功と失敗の)両方やるからこそ安心する。 戸谷 打撃の試合だと、オートでカウンターが入ってKOとか、何となくはわかります。でも、青木さんの試合を見ていると、考えながら戦っているようにしか見えない。 青木 いや、あれは無意識でやっています。 戸谷 実はAbemaTV『AOKI AWARD』も見ていますが、青木選手が技術的な解説をされている時って本当にロジカルじゃないですか。微妙な動きの違いがその後の技に繋がるみたいな。 青木 それは練習の時から理屈を積み上げているから。再現性がなければマグレでしかないし、日々の練習でずっと考え続けています。試合で勝とうが負けようが、後から理詰めできないとダメだと思っている。試合は結果でしかなくて、その先が大事だから。(続く) ※青木、戸谷がそれぞれの「勝負」論を語る最終章は、発売中の『ゴング格闘技』7月号にて掲載。 Aoki Shinya1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜される。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身。「修斗」ミドル級世界王座を獲得。大学卒業後、静岡県警に就職するも2カ月で退職して再び総合格闘家の道へ。そして「DREAM」「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。著書に『空気を読んではいけない』(幻冬舎)、『ストロング本能』(KADOKAWA)がある。 Toya Hiroshi1988年、東京都世田谷区生まれ。専門は哲学、倫理学。博士(文学)。現在は大阪大学の特任助教。現代思想を中心に、科学技術をめぐる倫理のあり方を研究している。第31回暁烏敏賞受賞。著書に『Jポップで考える哲学―自分を問い直すための15曲』(講談社、2016年)、『ハンス・ヨナスを読む』(堀之内出版、2018年)、プロ棋士・糸谷哲郎との対談本『僕らの哲学的対話 棋士と哲学者』がある。 『ストロング本能』青木真也 著(KADOKAWA) 日本を代表する孤高の格闘家・青木真也が、本能を呼び覚まし「行動」と「成果」を最大化させる超実践的メソッドを初公開。人間関係、健康、仕事、お金、自己実現、目標達成など、すべてが思い通りに。 『僕らの哲学的対話 棋士と哲学者』戸谷洋志/糸谷哲郎 著(イースト・プレス) 哲学者×棋士という異色の哲学的対話が実現。1988年生まれの同世代の二人が勝負論や幸福論などを切り口に、「人間」を巡る様々な問いを考察していく。 『ゴング格闘技』7月号
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