MMA
インタビュー

【RIZIN】必然の跳びヒザ──新王者・牛久絢太郎と下馬評を覆した“夢の力”

2021/10/26 14:10
 2021年10月24日(日)神奈川・ぴあアリーナMMで開催された『RIZIN.31』のRIZINフェザー級タイトルマッチで、斎藤裕(パラエストラ小岩)にTKO勝ちで新王者となった牛久絢太郎(K-Clann)が、激闘から一夜明けた25日、出稽古先の「POWER OF DREAM」に勝利の報告を行った。  試合は、2R 4分26秒、牛久の左跳びヒザで斎藤が右瞼をカット。ドクターストップにより、ベルトが移動した。牛久の蹴り足をニータップのような形で掴みに行こうと斎藤が頭を下げたところに、牛久の左ヒザが右目上を切り裂いた。  試合後、斎藤はフィニッシュの瞬間を、「左のヒザは向こうの作戦だったのかなと、1Rで思いました。相手のセコンドの指示がそういう気がしたので。事前に準備していたのかなと。(それでももらってしまったのは)映像を見直さないと分からないです。タイミングが合ってしまったのか……反応はできていたと思います。(跳びヒザまでは)相手の動きは見えていました。一発の怖さ、というか」と、悔しそうに語った。  一方、勝者の牛久は、「(斎藤の)右と返しの左フックは試合中に注意していました。右を思い切り振ってきたところで頭を左に傾ける印象が強かったので、僕はそこに右フックを合わせようと対策していました」と、斎藤の打撃の癖を掴んでいたといい、試合を決めた左跳びヒザ蹴りについても「狙っていた」と明言した。 「あれは狙っていました。1R目に距離感を自分なりに調整して、2Rにインターバルが終わった瞬間に狙おうと思って。あのタイミングで出たのは身体が勝手に反応しました」  なぜ跳びヒザだったのか。 「僕の今までのスタイル的に、絶対にタックルが来るだろうという警戒があったと思う。タックルを切るということは下に重心が行くじゃないですか。跳びヒザは下に重心が下がっている人に入ると思っていました」と、牛久は自身の最大の強みであるテイクダウンを餌に、裏をかく跳びヒザでチャンスをモノにしたと語った。  牛久の言う通り、乾坤一擲の跳びヒザは「狙っていた」一撃だった。  足立区出身の牛久が出稽古に通う「POWER OF DREAM」の古川誠一会長は、本誌の取材にこう語る。 [nextpage] 牛久を見て「サウスポー構えの方がいいんじゃないか」って(古川会長) (C)Ushiku Juntaro 「今回はまだ出していない、当たりそうなものは何種類かあって、跳びヒザはそのうちの一つでした」  元K-1王者の武居由樹・江川優生らを育てた古川会長は、打撃に関して牛久と斎藤は「五分五分」と感じていたという。 「自分は携帯電話もガラケーであんまり下馬評とかも見たことが無いので、打撃では最初から五分五分くらいじゃないかなと思ってました。『お前が打撃を使えれば五分じゃないか』と言っていて、(試合後に)そんな下馬評だったの? って驚いたくらいで」と苦笑する。  牛久の打撃の指導をするようになったのは、2017年頃からだという。 「真面目ですね、もう3、4年前からコンスタントに週3、4回はウチに来ていて、朝練習から参加しています。朝から走って、フィジカルトレーニングもして、2部練習でジムでも練習する」と、その取り組みを評価する。  牛久の強い体軸を活かした現在の打撃スタイルは、古川会長のアドバイスから、固まっていった。 「連敗しているときだったかな。打撃を見て、顔の位置とか、何となくサウスポーに向いている子って分かるんです。これまでも何人か構えを変えるアドバイスをした選手がいるんですけど、牛久もサウスポー構えの方がいいんじゃないかって」 【写真】K-1の佐々木洵樹のミットを持つ「POWER OF DREAM」の古川会長  牛久は、小学1年生から高校2年生まで柔道部に所属、「部活で趣味感覚でやる程度」だったが、中学生の時にテレビで「DREAM」を見て、総合格闘技を始めた。  柔道では、利き手を釣り手として相手の襟を握る組み手、さらに利き足を基点に回転する・ステップを踏む動作が多いため、利き足を前にする選手は少なくない。  牛久も柔道時代は右足を前足にしていたのではないか、そう聞くと、古川会長は「そうなんですよ、聞いたら。最初に打撃を習ったときにオーソドックス構えに変えられたみたいで、間合いが悪くて、あまりパンチが見えていなかった。それで変えたら、パンチも見えて、左の攻撃もスムーズに出るようになった」と、構えを変えたことが転機となったという。  サウスポー構えにして、先に学んだのはディフェンスだ。相手のパンチをよく見て避けること。それが出来て、初めて攻防一体の動きとなる。  古川会長は、「構えを変えて、いろいろな避け方の練習をしましたね。攻め方より避け方の練習を多くしてきました。落ち着いてだいぶパンチも見えるようになっていたんで、打撃もスムーズになった。ただ、それを使うタイミングが無くて、これまでもいいものを持っていたんですけどね。来た当初は全然、打撃がうまく使えてなかったけど、もっと出来ると思っていて、ウチの(打撃の)選手とも練習をやっているけど、試合では使わないから(苦笑)、今回、いい流れで使えたのかなと思いました」と、大一番に決めた打撃を語る。  それは、牛久の組みの強さを活かしたMMAの動きだった。 「流れのなかであの練習はしていました。いままでタックル、タックルでタックルしか能が無かったから(笑)。いままでの牛久の戦い方をみんな見ているから、上の攻撃がハマったのかなと思います」 [nextpage] どんな下馬評も自分を信じていれば覆すことができる    そして、それを遂行したのは、PANCRASEからDEEP王者として修羅場を潜ってきた牛久の練習量に裏打ちされたフィジカルとスタミナによるところもあった。  ガードが高めの牛久に、斎藤は左ジャブを突きながら、叩きつける右、さらに右ボディと下にも散らしながら、効果的にポイントを重ねていた。頭を下げ気味に前進する牛久には頭を押さえ、首相撲からヒザ蹴りも突いた。  しかし、この首相撲&ヒザをなぎ倒すように牛久も左を当てて斎藤の腰を落とさせている。牛久は斎藤の打撃をもらっても焦りはなかったという。 「確かに1Rは相手のペースでした。慌てることはなかったです。元々スタミナには自信があって、2、3Rで仕掛けようと思っていました。相手は1Rから飛ばしてくるんじゃないかと思っていたので様子見というか。2R、3Rで仕留めようと思っていました」  アンダードッグとして王者に挑戦の機会を得るなか、挑戦者の実力に懐疑的な声や誹謗中傷の声も聞こえてきた。それでも、これまで力を得てきたチームや仲間に、強さを証明することで、恩返しをしたい気持ちが強かったという。  ゴングが鳴らされ、敗者の斎藤は「出来る! 出来る! まだ出来るよ」とストップに叫び、勝者の牛久も珍しく咆哮した。 「サポートしてくれた周囲のみんなに強さを証明したい、それを一番強く思っていました。“やってやったぞ”って気持ちが強かった。それで思わず叫んじゃいました。試合前に『頭突き合戦か』とか良くないコメントも多かったんですが、自分を信じて、K-Clannやパワーオブドリームのみんなが信じてくれたので、いろいろなコメントがあった中でも力になりました。仲間たちもずっと僕を信じて練習を付き合ってくれたので、日々の練習でパワーをもらってより気持ちも固まりました」と、周囲に感謝の言葉を語った。  リング上ではマイクを渡され、「試合を受けていただいた斎藤チャンピオンありがとうございます。今回、自分が挑戦したいと言って、“いや無理だろ”とも言われましたが、自分を信じて頑張ってればいいことあるんだなと。同じ感じで悩んでいる人がいれば、どんな下馬評も自分を信じていれば覆すことができるんで、そういうみんなの力になれればと思います」と、“夢の力”を持ち続けて得たベルトだと語った。  そんな牛久を見て、古川会長は「“教わろう”という気持ちに長けている子だから。今後も楽しみです」と期待を寄せる。  ドクターストップによる王座移動。試合続行を求める斎藤の声に、牛久は「諦めてない、その強い気持ちを感じました。チャンピオンだなって。チャンピオンになるのは甘い気持ちではなれないと思っているので、そういうのを強く感じました」と、王者の矜持を感じたという。  新王者として、「キッズとか小さい子供たちにも“RIZINの王者になりたい”と憧れられる王者になりたいです。人に影響を与えられる、感動を与えられるファイターになります」という。  中学生のとき、家族に「MMA(総合格闘技)のジムに通いたい」と話したとき、たくさん心配された。「どうしても総合格闘技をやりたいなら自分のお金でやりなさい」と言われ、高校に入ってバイトをしてお金を貯めて地元のジムに入門した。  DEEPに続き、2本目のベルトを巻いた牛久は、「会場を出て何をしたい?」と問われ、「母親が心配して待っているので『勝ったよ』って、帰って顔を見せることによって安心してもらえると思うので、真っ先に家に帰りたいと思います」と語っている。
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