2019年6月1日(土)神奈川・横浜文化体育館で開催されるムエタイのビッグマッチ『BOM SEASON II vol.2-The Battle Of Muaythai』。
今大会でムエタイ界の“レジェンド”WMC世界ウェルター級王者パコーン・PKセンチャイジム(タイ)と対戦する、松本芳道(KICK-DIET吉野町)のインタビューが届いた
パコーンは2008年に17歳でラジャダムナンスタジアムのスーパーフライ級王者となり、以後トップクラスで活躍。2013年にはタイ国スポーツ統括局年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した。昨年3月には八角形のリングで、5分1Rで行われるワンデートーナメントの『REAL HERO』に参戦し、67kg級で優勝している。9月にはWMC世界ウェルター級王座も獲得するなど、いまだその実力は健在。BOM4月大会ではNJKFウェルター級王者・中野椋太を、MMAでよく見られるカーフキック(ふくらはぎへのローキック)でKOしている。
松本は強打を武器にK-1 WORLD MAX2010日本トーナメント第3位、新日本キックボクシング協会の日本ライト級王座に就いた後、プロボクシングに転向すると10勝(8KO)2敗の戦績を残し、東日本新人王トーナメント準優勝も果たした。その後、引退してリングを離れていたが今年1月の『KNOCK OUT』で突如復活。元J-NETWORKスーパーライト級王者・杉本卓也に勝利すると、4月には元J-NETWORKライト級王者・前口太尊(PHOENIX)にも勝って連勝している。
『環境』と『知識』があれば年齢なんて関係ない
――老舗団体・新日本キックボクシング協会認定の日本ライト級王者からK-1(元祖のFEG運営)に殴り込み、いきなり“爆腕”大月晴明からダウンを奪って快勝、“K-1ライト級の魔裟斗”として期待された上松大輔をKOし、一気に名前を売りながらボクシングに転向。12戦10勝(8KO)2敗という好成績で駆け上がりながら、突如としてキックボクシングに復帰し今年1月16日、KNOCK OUTに出場されたことには驚きました。
「ボクシングをやめてから2年のブランクがあったんですけどね」
――今年37歳と若くはない年齢で再度立ち上がった理由は?
「ダイエットエクササイズ専門ですが、自分のジム(KICK-DIET吉野町店)を立ち上げて、毎日何時間でも練習できる環境になったら、パワーもスピードもスタミナも向上して、マススパーリングをしても後輩から「●●よりも松本さんの方が強いですよ」とか言われてその気になっちゃって(笑)」
――しかし、成長している自覚は確かにある?
「これまで15年以上も格闘技してきましたけど、今になってわかりました。『環境』と『知識』があれば、年齢なんて関係ないってことを」
――実際、今年1月の杉本卓也戦、前口太尊戦で復帰から連勝中です。
「全然ダメですね。練習じゃ全然強いんですが、そこがまったく出てないです」
――それでも両選手とも日本王者クラスだけに流石ですが、6月1日、BOMの横浜文化体育館興行におけるスーパーファイトで、現在ムエタイを代表するスーパースター、パコーン・PKセンチャイムエタイジムとの大一番が決定しました。
「色んな奴と闘ってきたけど、断トツで一番強い男、横浜育ちだけに横浜文体ってでかい会場も含めてワクワクしかありません!」
――「ドラゴンボール」の主人公・孫悟空のような口ぶりです。
「ドラゴンボール、大好きっす! 小さな頃からバトルものが好きで、キン消し(人気漫画「キン肉マン」の消しゴム人形)集めたり、ファミコンも対戦ゲームばかりしていました」
学生みたいなヒョロっとしたのにボコボコにされた、それが後のUFCファイター
――その延長戦上で格闘技を始められた?
「初めてキックボクシングジムの門を叩いたのは21歳で大分遅いんですけどね」
――それまでは?
「ヤンチャをして遊びまわっていました」
――いわゆる不良?
「っていうのでもないけど、目立ちたがり屋ではあったし、スリルが好きで、やたら高い所に登ったり、小学生の頃に隣り町の不良のたまり場に行って悪口言って逃げてくるとか、ちょっと頭がおかしい子だったかも。中学くらいでK-1見て面白くって、喧嘩に強くなりたくって、自主練で筋トレしまくったり、サンドバッグ持ってる友達のところで自己流のキックをしたり、そんなことばっかしてました」
――そこまで入れ込んで?
「中二の時、はじめて喧嘩に負けて、それが悔しくて」
――それまでは無敗?
「“強い”って言われる奴は、皆、ぶっ飛ばしてましたからね」
――それでも不良ではない?
「イジメっこをイジメるみたいな?(笑) 妹をイジメる奴は、全員やっちゃうとか」
――初敗北した相手に自主練をしてからのリベンジマッチは?
「何度やっても決着つかないで、そのうちお互いの強さを認め合って仲良くなっちゃいました(笑)」
――体育会のクラブに所属したことなどは?
「中学は、サッカー部でしたけど、クビになっちゃいましたね。そうそう、中3で極真空手を習ってみたんですけど、こっちはすぐに組手がしたいのに全然させてくれないからあまり続かなかったです」
――その後は?
「高校時分は、喧嘩したくても相手にバックがあって下手打てなくって、自分も暴走族に入っちゃってました」
――けど、不良ではない?
「はい、仕方なくなので(笑)」
――21歳でジムに入門するまでの期間は?
「まー、適当に遊びまわっていました」
――それがどうしてジムに?
「独り暮らしになって、就職もして落ち着いたからですかね」
――始めた動機は?
「頭っからプロ狙いでした。『自信あるんで!』『プロになりたいっす!』『がんがんスパーお願いします!』って言い放ちましたから(笑)。そしたら、年下の高校生だったのかな? 学生みたいなヒョロっとしたのにボコボコにされて悔しくって。それが若かりし日の水垣偉弥(UFCでも活躍したMMAトップファイター)で。これが縁で水垣は、今もうちのジムに来てくれています」
海人もコリンズもやってやりますよ
――2005年7月17日のプロデビューからほぼ負けなしの15戦目、小野寺力や石井宏樹と激闘を繰り広げた強豪、朴龍からダウンを奪って勝利し日本ライト級王者となると、すぐにK-1 WORLD MAXシリーズの軽量級版「K-1 WORLD MAX 2010 -63kg Japan Tournament 1st Round」に招聘され、いきなり優勝候補筆頭だった大月選手に激勝します。
「『いきなり大月さんかよ!』とビビりましたが、なんとか。強かったですね」
――続く2010年7月5日は、8名によるワンデイトーナメントで、スター候補生の上松選手に3ラウンドTKO勝利。見事3位に輝きました。
「『上松は余裕』って思ってたけど、その通りでした。準決勝戦の久保優太(このトーナメントで優勝)は、苦手なサウスポーだっていうのもあるけど、上手くやられちゃいました」
――それにしてもそれまで知名度の高い強豪に打ち勝ち破格にジャンプアップできたのでは?
「自分も『これでキックで飯を食える』って期待しいたんですけどね。結局、ファイトマネーは、ごくごく少額で……」
――この2年後、旧K-1は、経営難から解散に至りますが、この頃からその陰りが始まっていたと。
「家族もいたし、それじゃどうしょもないからボクシングにいったんです」
――井上尚弥選手など超一流王者がひしめく大名門・大橋ジムで東日本新人王トーナメント準優勝しA級ボクサーにまでなったわけですから、日本タイトルに爪がかかっていたでは?
「日本を獲っても食えやしませんからね。『世界やってやろう』って気張ったんですけど、タイのスーパーライト級チャンピオン(カンピー・ファヨム)とやったら、まー、これまで喰らったことないほどパンチが強烈で判定負け。『タイ王者でこれなら、世界は無理』と見限ってしまいました。当たり前だけど、蹴りたくても蹴れないし。そんなこんなでボクシングがつまんなくなってしまって、最後の試合で負けたその夜に会長に『辞めます』と告げて引退しまして、次の日から自分のジムを始める準備を開始しました」
――話が冒頭に戻りますが、そうしてご自身のジムを立ち上げて甦ったと。
「後輩がKNOCK OUTのスーパーライト級トーナメントの動画を持ってきて、俺の方が強いって言うわ、優勝賞金300万円だってんだから、やるしかないなと。小野寺力プロデューサー(当時)に自分で連絡して売込みました(笑)。7年ぶりのキックでここまでの2試合、全然納得はできてないっすけど、体力も技術も戻ってきてることをひしひしと感じます。相手がムエタイMVPだろうがなんだろうが5ラウンドあれば倒せます」
――あのパコーンをどうやって倒しますか?
「ムエタイにつきあったら100パーセントやられます。蹴りの距離でもないヒジ・ヒザでもない自分の得意なパンチの間合いを作る。それができるようになったんです。俺は、相手が強ければ強いほど燃えます。最高に強い奴とやれば、最強の俺が出せるって自信あります。前回、前々回のダッサイ試合見て幻滅した人たちにこの試合を見せつけてやりたいです!」
――パコーンは、疑いなき世界最強クラスではありますが、最新情報として、そのパコーンをくだしたオーストラリアのチャド・コリンズは、最近、KNOCK OUTスーパーライト級王者、不可思選手に続き日本スーパーライト級最強が確実視されるシュートボクシングの海人選手にまで勝利しています。
「面白いっすね。いいじゃないですか。海人もコリンズもやってやりますよ。まずは、パコーン、こいつからです!」
(取材・文:BOM広報部)
リングネーム:松本 芳道フリガナ:マツモト ヨシミチ所属:KICK-DIET吉野町生年月日:1982年4月11日(37歳)出身地;神奈川県横浜市身長:174cm戦績:24戦17勝(7KO)6敗1分、ボクシング12戦10勝(8KO)2敗ステータス:元日本ライト級王者、K-1 WORLD MAX 2010 -63kg Japan Tournament 第3位、ボクシング東日本新人王決定トーナメント準優勝