津崎善郎 馬木選手には日本人初敗北をプレゼントできれば
津崎は現ラジャダムナンスタジアム認定ミドル級王者・石毛慎也を師に持ち、2020年9月の新日本キックで同団体のウェルター級王者リカルド・ブラボと引き分けている。現REBELS-REDスーパーウェルター級王者の吉田英司とは過去3度に渡って激闘を繰り広げた。12月のREBELSでは渡慶次幸平に判定勝ちも、今年2月のREBELSではブラボとの再戦で敗れている。
――自ら“バックパックファイター”を名乗られる津崎選手は、以前に収録されたインタビューを拝見するだに一風変わった人生経験を積まれているようでお話をお聞きするのが楽しみです。
「バックパッカーの世界では、自分が回った25カ国なんてどうってことない規模なんです」
――25か国、十分凄いです。
「いやいや、南米大陸やアフリカ大陸を攻める上級者は、100か国を超えるつわものも珍しくないですから。ただ、僕の場合は『どこに行っても現地のジムで練習する』ってコンセプトがあるので特徴的ではあります」
――相当面白そうな具合ですが、その前にTKPガーデンシティ千葉へ会場移動で延期もなく実施されることとなりました。この急展開についてどんな心持ちでおられましたでしょうか?
「緊急事態宣言の話が出た時は『やんのかなー?』と不安にはなりました。ただ、コロナに関してはもう慣れちゃったというか、1年以上もこの生活が続くと惰性もあって、『五輪中止』『飲食店の酒類販売禁止』とかやり過ぎだろーとさえ思えてしまうことも確かです。昨年、志村けんさんが亡くなった時の緊張感は全くないですよね。だからこそ、自分は試合が『あるつもり』と信じ込んで気を抜くことはありませんでした。それにしてもKNOCK OUTなどの他イベントが延期を発表するにつれ心が揺れはしましたよ(笑)」
――そこでまさかの千葉市移動となったわけです。
「凄いですよね。はじめ聞いた時は『他県かー!』と声に出しちゃいました。正直、そのビジョンは見えなかったです。販売していたチケットの移動は、何名かのキャンセルは出ましたが何とか穴埋めできましたし、とにかく良かったなと。INNOVATIONには感謝です」
――今回、INNOVATION初登場となる津崎選手とは、どんなキックボクサーなのでしょうか?
「正直、華麗なテクニックのない僕は、前に出続けて最後まで倒しに行く姿勢を貫きます。面白い試合しますよ」
――テクニックに関しては、現役のラジャダムナンスタジアム認定ミドル級王者である石毛慎也会長がご指導されるだけに環境は整っているのでは?
「自分は、海上自衛隊時代が9年で、そこから27歳のキックボクサーキャリアスタートで、かなり遅咲きです。それだけに器用にハイテクニックを収めるには無理がありますが、自分のようなファイターがテクニシャンを仕留める方法は石毛会長直伝の秘伝があるので、そこはお楽しみに(ニヤリ)」
――対戦相手の馬木愛里選手は、確かに日本人としては卓越したテクニシャンと言っていいでしょう。
「彼のことは、最早、タイ人だと思ってかかっています」
――それ程の高評価ということでよろしいのでしょうか?
「強いのは、強い。間違いないでしょう。VTRがあまり沢山見れていないのですが、J-NETWORK興行(2019年10月17日、愛里の2ラウンドTKO勝ち)で番長兇侍選手を一方的に下した試合を見ていて、一言『強いな』と。向こうの土俵で勝負するとあのハイテクに巻き込まれてやられるでしょう。それをさせんようにガンガン前に出る」
「縦ヒジ打ちには特に気をつけなくちゃならないし……」
――更にそこまで言ってしまって大丈夫でしょうか?
「大丈夫。それだけの作戦があります! 彼は、一昨年から1年8カ月も試合なし練習なしのブランクを作ったんですよね? Twitterをチェックしましたが、4月6日のツイートで『1年半ぶりの練習/痺れましたなぁ』って、試合約1カ月前ですよ? 普通なら一番追い込んでいる時期です。これって舐めてるって言うより『ああ、タイ人なんだな』ってことで自分を納得させています(笑)」
――殺気溢れる感じから、不穏な具合を漂わせての破顔一笑、御見それいたしました。そんな津崎選手のプロキャリアは、日本ではなくオーストラリアで始まったとか?
「ですね。カナダに1年いたのですが、豪州は2年で最も長いし思い出深い場所です。向こうのジムは、キックボクシングではなくてムエタイを前面に出していて、デビュー戦からヒジ打ちあり、首相撲無制限でした。それ以前にいくらか練習していた経験者だったからとはいえ、4戦した全部の相手が後の一流選手ばかりでバカ強くて参りました。1勝3敗で生き延びましたが良い経験です。そこで対ムエタイも色々習ったので、今度の馬木戦には役立つことでしょう」
――そこからバックパックファイターの本領が発揮される?
「ブラジルは特に強烈でしたたね。シュートボクセ系のアンドレ・ジダのジムではRIZINで活躍しているルイス・グスタボ選手やUFCのカルロス・ネトBJJ選手など世界一流のファイターがゾロゾロいて、そこでマススパーなんてあったもんじゃないガチスパーの連続ですからね。それでも彼らの動きを見ると荒々しく脇の空いたフックを連打してくるなど隙が多そうに見えたので、実際やる前、少しは自信があったんですよ。それが手を合わせてみると恐ろしいほどのフィジカルパワーが嵐みたいで。そのまま相手を変えながら10ラウンド、ボッコボコにされました(笑)」
――日本人がまったくいない孤独の中、そんな危険に目に遭うのは相当な経験です。
「日本人……あ、それでいいこともありました。リオで歩いていたら前からショートボクセのランニングシャツを来た兄ちゃんがスケボーに乗って来たので話しかけたところ『ナカシマヒロキを知ってるか?』と訊かれて、『知り合いではないけど知ってはいる』といった感じで答えたら、えらく喜んでくれて、そのままジムに案内してくれて良い練習ができたことがありました。グラウコ・キャンプとか、そんな名前だったかな?」
――バックパッカーとして世界格闘技放浪記の話は、まだまだ尽きないとは思いますが、最後に一番怖かった話だけ教えてください。
「ブラジルのスラム街でえらく筋骨隆々の黒人と白人の二人組の女に後ろからいきなり組み付かれて引きずり込まれてやられそうになったことですね(笑)。向こうは商売なんでしょうが、こっちには恐怖でしかないので命からがら逃げだしました。えらい剛力で自衛隊出身の僕が何もできなかったほどですが、今となってはあれ、ホントの女性だったのやら?(笑)」
――すべらない話、ありがとうございます。それにしてもそれだけの膨大な経験は、人間力増大に寄与していることでしょうし、ファイターとしての強さにも関係がありそうです。
「そこははっきりと繋がっていると自分的に確信します。言葉が100パーセント通じない海外で時として極限状況で機転を利かせるということは、同じく極限状況のリング内で頭を使って冷静に闘うことと相通じると思います。それが僕の強味ですし、馬木選手よりも大きく優れている点です。お客さんには、自分のファイターぶりを見て、そんな僕の人生を感じていただきたいですし、馬木選手には、日本人初敗北(馬木は対日本人無敗)をプレゼントできればなと」
「ずっとムエタイでやってきたので、どんなに華やかだろうと、今更、K-1やRISEにも興味はないし、この道で踏ん張って、結果、いただけるチャンスは全てモノにしてやろうと思います」
――馬木選手ほどの強豪に勝利すれば、当然、そこは目前となることでしょう。
「好んで他人と違う人生を歩んできた僕の生き様を馬木選手から金星を奪う自分の闘いで表現できれば最高です」