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【訃報】“キックの鬼”沢村忠が死去、具志堅用高も初代タイガーマスクも憧れた昭和のスーパースター「自分の時間は寝る時ぐらいしかなかったですね」

2021/04/01 12:04
【訃報】“キックの鬼”沢村忠が死去、具志堅用高も初代タイガーマスクも憧れた昭和のスーパースター「自分の時間は寝る時ぐらいしかなかったですね」

キックボクシング黎明期に颯爽と現れ国民的スーパースターとなった沢村忠

「真空飛びヒザ蹴り」で一世を風靡、“キックの鬼”としても知られる元キックボクシング界のスーパースター・沢村忠が肺がんのため2021年3月26日に死去していた。78歳だった。


(写真)沢村の代名詞、真空飛びヒザ蹴りに日本中が熱狂した。若い時は跳躍力がありすぎてロープ最上段から転落したことも

 沢村は1943年1月15日、満州出身。日本大学芸術学部卒。剛柔流空手三段の腕前を買われ、1966年に旗揚げされた日本キックボクシング協会でプロデビュー。同年4月に大阪府立体育会館で行われたデビュー戦ではラークレイを2RでKOするも、同年6月のサマン・ソー・アディソンに惨敗を喫したことを機に猛特訓を積み、日本キック界のエースとなっていった。真空飛びヒザ蹴り、飛び前蹴りなどの必殺技でタイ人を次々とKO。1976年7月に最後の試合を行い、翌年10月10日に引退。生涯戦績232勝(228KO)5敗4分。元東洋ライト級王者。


 引退後は表舞台から姿を消し、様々な噂が飛び交ったが1994年6月発売の格闘技雑誌『ゴング格闘技 8月号』に17年間の沈黙を破って登場。元プロボクシングWBA世界ライトフライ級王者・具志堅用高と対談を行い、具志堅は「テレビでいつも見ていました。私が最初に憧れたスポーツマンが沢村さんなんです。私にとっては、とにかくヒーロー的存在でした。普通は野球の選手とかに憧れるのだろうけれど、そんなものは目に入らなかった(笑)」との想いを本人へ直接伝えている。

 沢村も「日本人の観客というのは、ただ強いだけでは選手に面白みを感じないんです。具志堅君もそうだけれど、人間性のあたたかさというか惹きつけられるものがなければダメなんです。具志堅君にはそれがあったね」と、具志堅を評した。


 また、初代タイガーマスクとして同じく一世を風靡した佐山聡とも『ゴング格闘技』で対談を行い、佐山は「僕が格闘技を好きになったのは、沢村さんのせいなんですよ。小学生の時、沢村さんをテレビで見て、蛍光灯のスイッチコードに回し蹴りとかやってたほどです」と、やはり憧れていたと言い、「キックを教えてもらったんですけれど、その理論の凄さに驚きました。失礼ですが昔の方なのに、こんなにしっかりとした理論を持っているなんて、と」と明かした。


 沢村は現役当時を振り返り、「自分の時間は寝る時ぐらいしかなかったですね。でも僕らはキックボクシングという名前すらないところから始まったわけです。ですから、街を歩いていて『あ、沢村だ』と言われたりすることは嬉しかったんですよ。ああ、名前を覚えてきてくれたんだなって。ロードワークにしても、最初は一人で黙々と走っていたのが、始めて1年で車に乗っている人から『頑張れよ!』と声をかけられるようになったのが喜びだったんです。みんなにキックボクシングを知って欲しかったですから。お客さんも最初はあまりいなかったですから。新聞には『軍鶏の喧嘩だ』とか書かれたりしてね(笑)。でも、いつかは…という気持ちでやっていましたよ」と、キックボクシング黎明期のエピソードを話していた。

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