MMA
インタビュー

前田日明の十年弟子・RyoがPANCRASE参戦「未来君から『Ryo君、僕、RIZINに出ることになったんですよ』って言いに来てくれたんです」=10月25日(日)新木場

2020/10/24 20:10
 2020年10月25日(日)東京・新木場スタジオコーストにて開催予定の「PANCRASE 319」(PPVライブ配信あり)に、前田日明が推薦する“THE OUTSIDER時代の朝倉未来を最も追い詰めた男”Ryo(35・RINGS)の参戦が決定した。フェザー級(65.8kg)で、滝田J太郎(47・和術慧舟會/KINGCRAFT)と対戦する。  空白の2年を経て、PANCRASEに参戦するRyoは、前田とのマンツーマンのトレーニング、横浜グランドスラムでの練習を経て、「進化した姿を見せたい」という。一度は「勝利」となった朝倉未来戦の真実、そして前田日明のもとへいざなった、“あの人”に今回の試合を届けたい、という想いとは? 前田さんとの練習を続けて10年経った今、ある日、急に物語が変化していった ――Ryo選手は『THE OUTSIDER』で活躍していましたが、2018年7月以来、試合から遠ざかっています。どんな状況だったのでしょうか。 「試合は2年4カ月ぶりになりますが、トレーニングは引き続きしていました。『THE OUTSIDER 51』のときは、OUTSIDERがラスベガスの『FFC(Final Fight Championship)』との提携を発表していて、米国進出に繋がるような話になっていたんです。そういった兼ね合いもあったので練習は続けていましたが、試合間隔が空いていました」 ――現在の練習環境は? 「勝村周一朗さんの横浜グランドスラムで、この10年くらい前から主に練習させていただいていまして、グランドスラムの戸塚ジムと行き来しています。そして、もう1箇所、“あるところ”にずっと通っています。グランドスラムでは、一般クラス、プロクラスの両方に出ているのですが、プロクラスでは田中路教選手、伊藤盛一郎選手、PANCRASEフライ級暫定王者の翔兵選手も来ていますね。みんな意識が高い選手でレベルが高いですし、フィジカルも強い選手たちなので、刺激のある練習をさせていただいています」 ――もう一カ所というのは? 「前田日明さんに10年ほど指導していただいています」 ――それは個人レッスンのような感じですか。 「そうですね。ゴッチ式トレーニングといいますか、まずはスクワット500回というような。その中で、昔のプロレスのときのお話も聞いたり、それを踏まえた上で、もっとこうしなきゃいけないんだという練習を、前田さんの目の前でレクチャーをいただいたりしています」 ――そのカール・ゴッチ式の前田さんの格闘技のアドバイスというのは、一般的なMMAジムで習うものとは異なるような独特なものなのでしょうか。 「独特ですね。厳しさという点でも、たとえば柔道では日体大柔道部に4年間いて、非常に厳しい練習でいろいろな先輩がいましたが、(前田は)今まで出会った中で、たぶん一番と言っていいほど、次元が違います」 ――どういう次元の違いなのでしょうか。 「まず練習内容もそうですし、練習中にかけてくる言葉の内容も違う。気付いているポイントが人と違うんです。基礎練習のときから、『反動を使うな』とか、『目線を上げろ』『練習のときは大きくしっかり速くやる』『試合中は全部上目使い』など、一つひとつの動作の“本当にこんな細かいところまで言うの?”という部分まで。例えばスクワットをするときに、手の位置がちょっとでも下がっただけで注意されます。レスラー式腕立てで、本当に腰をもっとぐっと中に入れて、そこから上げろと。その腰の入れ込みがちょっとでも甘いと指摘されます」 ――前田さんの新日本プロレス時代のエッセンスをRyo選手は感じている感じなんでしょうか。 「とにかく厳しいです。1回の練習で『駄目』ってたぶん100回以上言われてます」 ――そんなに駄目出しされるんですか……大変ですね。 「仕事をされている方で、もし上司から『いや、それ駄目だよ』って、1日100回言われる気持ちを想像してもらえたら、僕の気持ちは分かると思います」 ――でも、Ryo選手はそこに通い続けていると。 「もちろん前田さんを尊敬しています。それに今、前田さんが直に継続的に教えている選手がいるのかといったら、たぶん僕しかいないと思うんです。僕は10年、THE OUTSIDERにいて、前田さんとのこの関係を築かせてもらったので、重みがあります。前田さんのイズムを、選手としてこれほど浴びられる人間はもうたぶんいないと思うので」 ――だから前田さんもPANCRASEにRyo選手を上げることに尽力されたんですね。 「THE OUTSIDERでチャンピオンになった選手って、みんな『外で試合がしたい』と言って、朝倉兄弟も含め、それぞれの道へ行った。唯一、僕だけが前田さんが敷いてくれた道をずっと歩いていたんです。気付いたら誰もいなくなってしまった……。でも、僕は前田さんが好きだから、そのまま練習を続けて10年経った今、ある日、急に物語が変化していったという感じです」 [nextpage] 前田さんの技はどの格闘技ジムでも見ない技です ――そういえば、朝倉海選手の動画で、前田日明さんとコラボするなかで、投げのひとつで、「こういうやり方もあるんですね」と感心していた動画を見ました。 「これまで僕もいろいろな格闘技のジムに出稽古に行かせてもらったり、いろいろな技を見せていただきましたけど、前田さんの技はどの格闘技ジムでも見ない技です」 ――それは……カール・ゴッチ式ということなんでしょうか? 「そうですね。ゴッチ式もありますし、実際に前田さんがかけられたことがあるとも話されていて。あとは、藤原喜明組長の関節技とかも踏まえて、ここからこうするんだよ、というのを僕は教えてもらっています」 ――海選手が前田さんからレクチャーを受けていたのは、バックからの投げのようでした。 「あれは、ディテールは話せませんが、スタンドバックで片方が後ろから抱きついていて、もう片方が背後につかれている状態。そのときにクラッチの組み方が違うんです。そして持ち上げる方向、落とす角度が違う。通常は上にリフトして横に落としたりするようなイメージもあると思うんですけど、それが、持ち手の組み方、落とす角度・方向が違っている。そこに体重のかけ方とか、自分の立ち位置、ポジショニング、そういう細かい部分の指摘があります」 ――なるほど。それはキャッチレスリング、あるいはロシアの選手から伝わったのでしょうか。 「ロシアからだと思います」 ――バックを取られて腰を出してアームロックでクラッチを切ろうとしても……。 「切れないですね。切れない理由があります。そういったことを一個一個教えてもらって、忘れないようにメモに書いて、口に出して読み書きをしなさいと言われています」 ――藤原さんがカール・ゴッチから教わった技をノートに記したように。 「そうですね。その上で繰り返し練習し、身体に覚えさせています。そういう姿勢を前田さんも見ていてくださったのだと思います。懸命に覚えたかったし、前田さんの背中が好きだったから。僕が言うのはおこがましいですけど、前田さんがいいと感じる“色”が僕もいいと感じられた。僕もその色になって生きていくなら、その色を見せてもらっていいですか、というところから繋がった関係性なんです。  それに国内で“リングス所属”を名乗る、数少ない選手の一人なので、“まだ継承してるんだぞ、まだ前田日明のイズムを持っている選手がいて、これだけ頑張っている選手がいるんだぞ”、というところを見せていきたいです」 ――前田さんも愛弟子の活躍に期待しているでしょうね。その前田さんの技術に、いまのMMAの技術が横浜グランドスラムでミックスされているのは興味深いです。 「そうですね。勝村さんとコミュニケーションを取らせていただいて、様々なプロ選手から刺激を受けて、前田さんから教わった技を試してみたり」 ――動画で見せていた「当たる瞬間まで前蹴り」は伊藤盛一郎選手が受けた、と言っていました。 「あれも動画では大事な部分は見せていないんです」 ――横浜グランドスラムで練習ということは、小見川道大選手のあのヴォンフルーチョークも経験したのでしょうか。 「はい。小見川先輩のヴォンフルーチョークも、ナラントンガラグが朴光哲選手を極めたときに、どうやって相手の気道を塞いで落としているのか、自分も研究していました。小見川先輩はあれをアングルを変えて、ご自身が今までやってきた柔道の抑え込みにアレンジしたサイドからの頭を入れない肩固めにしていましたね」 ――柔道といえば、Ryo選手はもともと吉田道場でしたね。柔道ではどんな実績でしょうか。 「日本体育大学出身で柔道は四段です。そんなに大きなタイトルを獲ったことはないです。講道館杯という日本一の体重別決定戦で優勝をした方、田中秀昌選手に勝ったことがあるくらいです。当時、66kg級でした」 ――吉田道場ではどのような練習をされていたのですか。 「当時の吉田道場には、吉田秀彦さん、中村和裕さん、滝本誠さん、小見川道大選手、村田龍一選手、和田竜光選手、長倉立尚選手、それに真騎士=マキシモ・ブランコ、大澤茂樹選手らがいて、長南亮さんも参加されていました。自分は、吉田道場で子どもたちに柔道を教える立場で、大学を卒業してから社員として雇っていただいていたので、なかなかプロ練習に参加できなかったのですが、すごいメンバーだったと思います」 [nextpage] 未来くんとの再戦に『心残り』はなかったです ――アマチュアMMAを経て、Ryo選手の試合で最も有名なのは、2016年3月の「THE OUTSIDER 第39戦」での「65-70タイトルマッチ」で王者・朝倉未来選手に挑戦した試合です。Ryo選手が2Rに、ギロチンチョークで後方に回してマウントギロチンで絞めたときに、リングサイドにいた主催者である前田日明さんがタオルを投入し、試合が終了。あの試合、マウントギロチンになったときはかなり絞め上げましたが、その後は片手になっています。ネックロックになっていたのでしょうか。 「そうですね。右手でネックロックで、返されるのが嫌だったので、左手でバランスを取っていました」 ――あの時の手応えはいかがでしたか。 「あの状態で極める時もありますし、正直五分五分といったところで、相手がもし体力が厳しい状況であれば、あれで極まっているだろうなという感じでした。同時に、やっぱり片手じゃ不十分だなという気持ちもありましたね」 ――前半でダウンを奪われるも、後半はかなり組み技でドミネートし、未来選手のスタミナもかなり削られていた感があります。タオル投入でRyo選手は、後に「ノーコンテスト再試合の申し出」をしています。出来れば再戦をしたかったですか。 「まず最初に、本人(未来)が(ストップに)納得している状況ではなかったということと、レフェリーの和田さんも(『落ちていない』と言い)納得していない様子だったのを感じました。前田さんにすぐに、『僕、ちょっとマイクで言っていいですか?』と申入れをしたら、前田さんが『言っていいよ』と言ってくれたので、あのマイクパフォーマンスになりました。周囲のサポートがあって、僕たちはスポットライトを浴びることができるということを考えると、もう一度やるという形がみんなの中でも、自分たちの中でもしっかりとした形になるんじゃないかなという思いがあって、再戦の提案をリング上でしたんです」 ――結果的にはそれが実現しなかった。あの後、朝倉兄弟も『THE OUTSIDER』を離れ、それぞれの道を歩む形になりました。再戦が実現しなかったことに「心残り」はありましたか。 「『心残り』という“残った”ことはなかったです。正直、いろんなことがありました。でも未来くんのほうが、『Ryoくん、僕、RIZINに出ることになったんですよ』って言いに来てくれたんですよ」 ――え、直にですか? 「直接、試合会場でしたね。再戦の話はあったんです。『じゃあすぐにしましょう』という話になったんですが、相手のコンディションや、その他諸々が整わないから、もう少し時間がかかるということがあって、僕も待っている間に中国遠征があって『WLF』で戦ったりもして、『THE OUTSIDER』に戻ったときに、リング上で挨拶をしたら、その後、未来くんから僕に言ってきました」 ――『THE OUTSIDER』を離れ、外で試合が決まったと。Ryo選手はどう答えたのですか。 「自分でそうやって新しい道を切り拓いて、そっちでも応援してくれる人がいるならば、それで頑張って行くのはいいんじゃないの、っていうふうに言いました」 ――そこでRyo選手の中では、区切りはついたと。 「そうですね。そこだけに固執もしていませんでしたし、自分は自分で、未来くんは未来くんであって、道は異なるけれども、格闘技を辞めるんじゃなく舞台が変わるんなら、そこでまた自分を表現できたらいいので」 ――ちなみに当時の朝倉未来選手に関しては、戦ってみてどんなところが強いと感じましたか? 「判断力の早さですね。あとはちゃんと的を射る、パンチの的確性、それと、目がとてもいい。試合の配分ペースも熟知している……そういったところがやっぱり他の選手よりも長けていますね」 ――当時から今に繋がる強みがあったのですね。ただ、組技の部分では、Ryo選手が分があった。 「当時はそこにおいては僕のほうに分がありましたね」 ――その後、エドモンド金子戦とか、マックス・ザ・ボディ戦は、なぜかライト級でした。実際のRyo選手の適正体重は? 「フェザー級ですね。当時の前田さんの信念みたいなところがあって。フェザーにしようかライトにしようか、迷っていると相談したことがあって。初めの頃は、『いまはナチュラルでバンバン練習して勝って、変に減量しないで取れるものを取ってもっと強くなることを考えなさい』と言われたので、それに準じてライト級でもやっていましたね」 [nextpage] J太郎選手との再戦、上原譲さんなくして僕はここにいなかった ――今回は、フェザー級で滝田J太郎(和術慧舟會/KINGCRAFT)選手と対戦します。実は、J太郎選手とも1回、対戦して勝っていますね(2017年5月「THE OUTSIDER 46」)。このときの極まり手は? 「そうなんです、J太郎選手ともやって。あれは横のセンタクばさみでした」 ――センタクばさみは、横三角絞めの流れで柔道時代からやっていたのでしょうか。 「柔道時代はそういう技をやっている先輩とかもいませんでした。僕が柔道から総合格闘技に行ったきっかけは、小見川先輩がいてくれたおかげなんです。当時、『自分も総合格闘技をやりたいんです』と言ったら、『じゃあ明日から練習に来ればいい』と。当時、ZSTで活躍していた清水俊一選手がまだ大学生で、吉田道場に一般会員として通っていたんです。それで清水選手にいろいろと教えてもらっていく中で、センタクばさみも教えてもらって、あの試合でも出しました」 ――その後、J太郎選手は本当に息が長くて、47歳ながら、2019年には「ZSTバンタム級王者決定トーナメント」で決勝戦まで勝ち上がり、ジェイク・ムラタ選手と素晴らしい熱戦を繰り広げています。 「J太郎選手にはとても良い印象を持っていて、すごく尊敬できます。僕自身も滝田選手とやって、当時は僕が勝ちましたけれども、その後の滝田選手の行動や言動も、SNSを通じて見ていたんですけど、敗戦が一つの転機というか、悔しかったのか、ものすごく練習内容をアップしていたりとか、あとは試合も積極的に出るようになって、試合経験もさらに重ねて4連勝していました。自分との試合を一つの分岐点として変わろうとした。変わった滝田選手を尊敬できるなという印象を持ちました。今回、あの時と違う滝田選手とやれるという楽しみもありますし、もちろんそれと同時に、ファイターとして負けてしまうかもしれないという怖さも、もう1回感じたいと思っています」 ――J太郎選手のセコンドには、かつて対戦経験(RyoがRNCで一本勝ち)のある吉永啓之輔氏がついています。 「相手サイドがいろいろな想いで作戦を練ってきたりすると思うんですけど、そこも踏まえて新しい進化、前田さんに教えていただいた技をどう見せるか、期待していてほしいです」 ――PANCRASEでの目標をどのように立てていますか。 「まず目標でいうなら、前田さんに教えてもらっている選手の一人として、まずは、PANCRASEでチャンピオンを取れるように、一歩一歩努力をして、1試合1試合やっていきたいです。ファンのなかには、朝倉選手との兼ね合いを知っている人も多いと思います。その中で、やっぱり“どれくらいのものか?”という期待も含まれていると思うので、そのプレッシャーをしっかりと楽しんで、自分らしい戦い──グラップラーではありますが、打撃にも力を入れてきたので、前田さんに教えていただいた打撃の進化を見せたいというところです」 ――『THE OUTSIDER』から『PANCRASE』でのデビュー戦に注目しています。 「1点だけよろしいですか。前田さんにこうして見ていただき、PANCRASEに出ることになっているのですが、前田さんを紹介してくださった方がまずいるんです。それがZSTで当時代表をやっていらっしゃった上原譲代表です。上原代表には、僕が吉田道場という環境の中で、なかなかプロの試合に出れなかった時から、親身になって考えてくれて、仕事を辞めず生活をしながら、プロの格闘技選手になれるようにアドバイスをしてくださいました。いろいろな紆余曲折がある中、上原さんは最後まで見届けてくれて、前田さんがいる場所へいざなってくれたんです。だから、上原譲さんなくして僕はここにいなかった。今回、自分を紹介いただけるなら、唯一そこだけは挙げていただきたいと」 ――承知しました。前田さんと上原さんに、いい試合を届けられるといいですね。10月25日(日)新木場でのJ太郎選手との試合を楽しみにしています。
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