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【RIZIN】朝倉海の「原点」。師匠と再会もベルトを持っていかなかった理由

2020/10/13 11:10
 RIZINバンタム級王者の朝倉海(トライフォース赤坂)が地元・愛知県豊橋市の禅道会豊橋支部を訪れ、自身の原点を振り返る動画をYouTubeにアップ。地元の後輩たちに稽古をつけた海は、かつての師匠たちと鼎談し、あらためて「世界」を目指す決意を語った。  朝倉海は、小学生の頃に兄の未来と共に空手と相撲を始め、高校時代に未来から突然仕掛けられた“路上スパーリング”をきっかけに、兄に連れられて禅道会豊橋道場に入門。本格的に総合格闘技を始めた。  今回、豊橋道場を再訪した海は、『地元のジムの後輩たちにガチ稽古つけてきた』と題した動画の通り、10月25日の「DEEP HAMAMATSU IMPACT 2020」に出場する壁谷勇佑、小谷壽彦らを相手にスパーリングを敢行した。DEEP浜松大会は、THE OUTSIDERで活躍していた朝倉未来&海の兄弟が2012年にプロデビューを果たしたマットでもある。  地元の後輩たちを相手に、連続でかけ稽古に応じた海は、スパーリング後の道場生からの質問にも丁寧に答えている。  カウンターを取るコツを問われると「相手のリズムを読むこと。みんなパターンが素直すぎる。フェイントを入れること」「相手の打撃に下を向かず、怖がらずに相手を見ること」とアドバイス。さらに「もっと脱力して、打つ瞬間だけ握れるようにミット打ちから練習すること」などを指摘している。  そして、師匠である禅道会豊橋支部長の宮野勝吉氏と、柔術&レスリング担当の勇川モラディ・メハディ氏との鼎談では、朝倉海の知られざるアマチュア時代の原点が語られている。  宮野氏は、1989年の「全日本北斗旗空手道選手権大会」軽量級準優勝者、仕事の関係でいったんは引退するも、1992年に4年間のブランクから復帰し、1994年の「全日本北斗旗空手道選手権大会」軽量級で再び準優勝となっている。また、禅道会の全日本RF(リアルファイティング)大会の基礎となる「ヴァーリトゥード実験マッチ」にも出場するなど、日本総合格闘技の黎明期を生きてきた指導者だ。  また、モラディ氏は、2005年の「第7回全日本RF空手道選手権大会」マスターズの部で82.5kg以下級優勝者。グレイシーバッハ長野で柔術も学び、2009年の「第10回 全日本ブラジリアン柔術選手権大会」では、アダルト紫帯レーヴィ級に出場。シングルレッグから飛行機投げでテイクダウンを奪い勝利するなど、レスリング経験を活かした動きも見せている。  豊橋で、この2人の個性的な指導者に巡り合った朝倉兄弟は、まもなくTHE OUTSIDERで結果を残していった。  今回、後輩たちとのスパーリング動画に続き、海は『黒帯三段もらった記念に昔勝てなかった師匠とガチスパーリング』を公開。自身のMMAの原点に触れた。  冒頭、宮野支部長から、禅道会5級の青帯だった海に「RIZINのチャンピオンになったので」と、飛び級で黒帯三段が授与された。嬉しそうに空手衣に黒帯を巻き、上段の蹴りを披露する海。  練習を始めて半年で新人戦で優勝。「夜勤で一睡もせずに出場した」という海だったが、入門当初は宮野氏は「最初は続かないだろうなと思っていた」と笑う。  それもそのはず、「兄貴が最初に入っていて、その半年後に兄貴が『俺よりセンスあるかもしれないからお願いします』と紹介されて。まだ小っちゃかったですよね。体重も軽かったし、総合格闘技を何も知らなかった」と海は言う。  それでも「ちょっと喧嘩したことあるくらいだったけど、最初から避けるのは得意だった。めちゃくちゃなんだけど当たらないみたいな」と、格闘センスには自信があった。宮野支部長も「なんかマトリックスみたいに(スウェイで)オーバーアクションだけど避けてた」と振り返る。 「格闘技を始めてから本当に楽しくて。毎日来てましたよね。皆勤賞でした」という海に、「よく来るなって。クリスマスイブの日も来たから『彼女、大丈夫?』って言ったら、『大丈夫です。彼女より練習が大事』って。マジかと思いました」と、宮野氏は兄を追って格闘技にハマっていく弟を頼もしく見ていたという。  入門当時の朝倉兄弟については、宮野氏は禅道会のホームページで下記のように記している。 「始めの出会いは、兄の未来くんが私が支部長をする、空手道禅道会 豊橋支部へ電話してきました。喧嘩に明け暮れていた彼は生意気にも『空手二段なのですが、体験させてください』『僕より強い相手がいないので』と言うので、『僕も空手三段だけど、多少君の相手にはなれると思うよ』と伝え稽古の約束をしたんです。ここでも稽古の成果が出たと思います。実際に稽古に来た未来君と相手をすると、格闘技の未経験だったのでまったく相手にならず。その人生初の敗北? がとても楽しかったようですね、正式に禅道会 豊橋支部に入門しメキメキと強くなっていきました」 「半年くらいして未来君が『自分より才能があるかもしれない』と豊橋支部に海君を連れて来たんです。その時の印象は学校帰りの彼をみて、静かでナイーブな内気な少年が来たな、と思いました。私が気さくに『練習やる?』と聞くと言葉少なく、こくりとうなずく。そんな感じでしたね。実際に練習をすると『楽しい』と嬉しそうにしていたのを今もありありと思い出します。始めた当初からパンチや蹴りの避け方に異常な身体能力の高さを感じたので、これはプロとして第一線で活躍できるな! と直感がありましたね」 [nextpage] 海は簡単にタップしない。「この人我慢強いなあ」と絞め続けたら── 【写真】宮野氏とモラディ氏を中心に。未来、海はまだ金髪姿だ。(C)禅道会豊橋支部 「空手」を名乗るが、禅道会は総合格闘技色が強い団体だ。小沢隆師範に師事した宮野氏は、MMA空手の稽古、ムエタイ修行、柔術習得にも励み、豊橋支部を設立する。  そこに指導のパートナーとして加わったのが、柔術&レスリング担当の勇川モラディ・メハディ氏だ。  イラン出身のモラディ氏は、来日の経緯を「私はクルド人でイランの首都テヘランに生まれました。少年兵としてイラン・イラク戦争を体験しており、身を持って戦争やそれに伴う貧困を味わってきました。クルド人ということで様々な差別に合いましたが、『七人の侍』や『おしん』に憧れ、夢を抱いて1991年4月に来日。母国に比べて平和な日本を気に入りました」と語っている。  寝技を指導したモラディ氏は、今に繋がる海のファイターとしての気質をスパーリングでの出来事とともに振り返る。 「グラウンドやるときになかなかタップしない。もうあんまり我慢してね。意識が無くなっている。1回、ヤバかった。意識戻らなくて。彼、タップしないから。ずっと(道衣を)持ったまま『え、なんでタップしない? この人ちょっと我慢強いなあ』と思って見たら、もう意識無い!」(モラディ氏)。「癖になるから止めた方がいい、と言ったんだけどね」と苦笑する宮野氏。  師匠たちの証言に、「あーよく失神してましたね」と苦笑する海。「ほんとうに負けず嫌いで。モラディさんとかにも絶対に勝てないのに、負けず嫌いで極められたくないからタップしないんだよ。で、いつも失神する。しょっちゅうでしたね。そういうの」と言いながらも、「誰よりも負けず嫌いで、そこは今でも変わってないですけど」と、チャンピオンになった今でもその勝気な性格は変わっていないと話した。そして、「まあ、タップさせられることはもう最近はあんまり無いですけど」と、付け加えることも忘れなかった。 「海、デカいやつでも平気で向かっていったもんね」という宮野氏。 「昔からそうでしたね。自分より体格の大きな人。同じ階級で相手がいなかったから。しかも結構ガチスパーばっかやっていた。上の階級の人に向かっていくことで、勝負度胸みたいなものがついたのかもしれないです。モラディさんも『自分より大きな人とやれ』と言ってましたね」と海は、豊橋の道場で負けん気や勝負度胸がついたという。 「デカイ人とやることでこっち(海)が強くなる。大きな人にメリットは無いけど、小さな人にはメリットがある」と、階級上の選手との練習の利点を語るモラディ氏。  豊橋を離れた後も海の試合は欠かさずチェックし、「グラウンドのレベルが上がっている。この1年の間に、柔術で言えば茶帯から黒帯に上がっている。黒帯、私も出そうと思っている。このくらいの実績だったら認めてもいい」と、知られざる海の組み技の進化についても言及している。  海も「試合で寝技やってないから、寝技弱いと思われている。(隠せているのは)良いことでもあるんですけど。モラディさんは普通の柔術じゃなくて、もともとレスリングをやっていたから、レスリングと柔術がミックスされたようなちょっと特殊な技術だから、僕にもそれのベースがある」と、MMAに必要なレスリング&柔術の技術が、モラディ氏を通してアマチュア時代から育まれていたことを明かした。  2017年6月10日「ROAD FC 039」で海は、ムン・ジェフン(韓国)に3R KO負けした。THE OUTSIDERでは60kg以下級で負けなし。ROAD FCでは2試合連続1Rフィニッシュでフライ級タイトル挑戦も見えていたなかでの敗戦だった。強打を誇る海にとってプロ初の黒星で、KO負け。夜6時までデンソーに務めていた海にとって、1日2時間だけの練習で臨んだ国際戦だった。試合後、「練習内容も考え直していちからしっかり作り直したい」と語っていた海は、兄の未来と共に故郷の豊橋市を離れて上京し、練習拠点をトライフォース赤坂に移している。 「ずっとここで練習して、ROAD FCのときもここで練習していた。負けて、東京に行くことを決めて。そのときに支部長もモラディさんも快く送り出してくれた。そのときどんな気持ちで送り出してくれたのかなって」  海の問いかけに、宮野氏は言う。 「昔、北斗旗で戦っていたとき、俺もサラリーマンで仕事しながらやっていたけど、2、3時間しか練習できなかったから。専門でやっているプロの連中には勝てないなと思った。トップでやっていくには厳しいと。そういう気持ちがあったから、海も一緒だなって」  モラディ氏も同じ思いだった。 「私も自分の息子が歳が近くて、当時ブラジルに住んでいた息子と重なってね。いつも息子と同じ目で見てる。それで(海が)東京に行くときになんかすごく悲しくなって。結婚して家から出る感じ。そんな気持ちになっていたけど……でも行かなくちゃいけない。なぜなら、もう教えること終わったから。これ以上のレベルはウチでは教えられない。もっと上に行かなくちゃいけない。だからその気持ちも、目指すんだったら日本だけじゃなく世界を目指す、UFCを目指す、そういうレベルの高いものまで目指す(べき)」 「守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」の言葉通り、海は、師匠の教えを守り、その型を破り、型から離れて自在となるも、根源の精神は見失わなかった。 「そう言われていたんで、もう。いまRIZINのチャンピオンになりましたけど、全然、そこ(日本だけ)を目指してなかったんで、ほんとうに最初からUFCのチャンピオンしか目指してないんで、まだまだ通過点だと思っています」と海は語る。 「将来は明るい。ただ、あんまり自分が満足して鼻が高くなったらダメ。なぜなら上を見るとまだ上がいる」とモラディ氏は教え子に諭す。  2020年8月10日、扇久保博正に1R TKO勝ちで王座を獲得した海は、今回の帰郷を地元凱旋とはしなかった。 「もうほんとうにトップ目指しているんで。ここから世界チャンピオンになって、UFCのベルトを持って帰って来ないと。だから、僕、RIZINのベルトを今日、持って来なかったのは、そこがゴールじゃ無いんで。やっぱりUFCのベルトを持って来て見せたい。そのために頑張ります。また豊橋に来たときにはぜひここに来たいと思っているんで、今後もよろしくお願いします」 「楽しみ。私の夢はそこ。それだったら私も満足」と目を細めるモラディ氏に大きくうなずく宮野氏。  鼎談後には、師匠2人とのスパーリングを行った海。詳しくはYouTubeの「KAI Channel」を見てほしい。そこには、新たに巻かれた黒帯の道衣を着た海と、55歳の宮野氏による、格闘家同士の魂の交流が見られるはずだ。
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