2020年9月13日(日)東京・後楽園ホールで開催される『KNOCK OUT CHAMPIONSHIP.2』。当初、予定した同月12日の大田区総合体育館より、会場と日程が変更となり、第1部(昼12時開始)はBLACKルール(ヒジなしルール)の試合、第2部(夜18時開始)はREDルール(ヒジありルール)の試合という2部制でおこなわれる。
第2部の注目は「創世のタイガGRAND PRIX 61.5kg RED 初代王座決定トーナメント」。4人の現役チャンピオンが集結し、ワンナイトトーナメントでKNOCK OUT王者を決する。
新日本キックボクシング協会からは「神撃キッカー」重森陽太(伊原道場稲城支部)が参戦する。老舗の看板を背負い、プレッシャーの掛かる大一番をどんな思いで迎えるのか。
『あと何年くらいキックボクシングをやれるんだろう?』と思うと毎日頑張れる
重森陽太は、常に笑顔を絶やさず、物腰柔らかで、相手を構えさせない人である。
「一応、ジムではトップなんですけど、小学生に『陽太君、いまゲームは何してるの?』って普通にため口をきかれますよ(笑)。夜中に荒野行動の招待が届いて、やんねえよ、って(笑)。そういうの、多いんですよねぇ」
普段は株式会社日本設計工業に勤務する会社員。兼業ファイター自体は珍しくないが、その多くがスポンサー企業にバックアップして貰う形の中、重森は異色の存在である。
「自分は普通に就職活動をして入社しました。合同説明会に行きまくって、エントリーシートを出して、面接を一次、二次、三次まで受けました」
就活の時はあえて一般の学生とは一線を画し、プロの格闘家の部分を全面に押し出す作戦を採った。
「普通の履歴書とは別に『キックボクサー・重森陽太』の履歴書を作成して提出したんですよ。何歳からキックをやっていて、こんなタイトルを獲ってきて、今はこんな状況です、と会社に提出しました。大学(亜細亜大学)も一芸(一芸一能入試)で入ったんですけど、大学も企業も『オリンピック競技かどうか』は強く問われます。『オリンピックに入ってない競技』に対しては正直、厳しいです。なので、マイナースポーツというのを理解した上でのPRが必要になるんですね」
重森は、面接の場でこうアピールした。
「社長に『自分、キックボクシングをやっています。でも会社員になりたいんです。1度、試合を見に来て下さい』とお願いしました。それで、会場に試合を見に来ていただいて、採用が決まったんです」
社員の中には重森のようなプロスポーツ選手はおらず、会社側は特例として重森の『社員兼プロキックボクサー』の二刀流を応援してくれている。
「勤務時間はフルタイムではなくて、朝練、夜練の時間は確保して貰っていますし、平日に記者会見がある時も出勤扱いにして貰えます。今はコロナの影響でリモートですけど、週2で出社していますし、業務は忙しいですよ。 仕事は営業と人事の半々くらいですね。大学に行って学生さんに自社のPRをしたり。僕にとっては、しっかりと仕事のスキルを身に付けて経験を積みながら、キックボクサーとしての活動も続けられている。とてもいい環境でやらせて貰って感謝していますし、こういう環境を作れて満足しています」
とはいえ、会社員の日常業務とキックボクサーのハードトレーニングの両立は、言うほど簡単ではないはず。 重森の答えは明快だった。
「仕事とキックと、今は現状で一杯一杯ですけど『あと何年くらいキックボクシングをやれるんだろう?』と思うと毎日頑張れますね。『寿命が分かった方がいいか、分からない方がいいか』というたとえ話がありますけど、キックは『分かってる寿命』ですよね。あと何年かしたら辞めることになると思うと、練習も頑張れますし、試合もどんどん挑戦していきたいです」
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勝負事で楽しむって、やっぱり実力がないといけない
どんな質問にも丁寧に、分かりやすく、理路整然と答える重森。話が試合のことに及んでも、その語り口は変わらなかった。
昨年のKNOCK OUTの「ベストバウト」といえば、満場一致で重森陽太vs翔(しょうた)・センチャイジム(昨年11月1日、後楽園ホール「KNOCK OUT 2019 BREAKING DAWN」)だろう。一進一退の攻防から、3Rに翔が先に2度のダウンを奪い、重森はあわやKO負け寸前まで追い込まれたが、冷静にカウンターのヒジでダウンを奪い返し、4Rに立て続けに2度のダウンを奪ってTKO勝ち。この「倒し倒され」の激闘に会場は興奮のるつぼと化し、試合の模様は『キックボクシングKNOCK OUT』(当時はTOKYO MXやBS日テレなどで放送。現在はYouTubeで定期放送)で繰り返し放送された。
(写真)倒し倒されの激闘となった重森vs翔「反響は大きかったですね。近所でも声を掛けられることが多くなりました(ニッコリ)。40戦近くやってきて、あまり倒されたことはないんですけど、あの試合で『倒されやすいイメージ』が良くも悪くも付いてしまって(苦笑)。ただ『重森は面白い試合をする』と期待していただけるようになったのをすごく感じますし、感謝しています」
激闘は、重森が事前にイメージした通りだったという。
「必然といえば必然だと思いますね。試合前に『相手の土俵で勝つ』と言いましたけど、パフォーマンスではなく、本気でそういう試合運びをしようと思っていて」
翔は「年内での引退」を公言しており「最初で最後のKNOCK OUT出場」に最高のモチベーション、最高のコンディションで臨んできた。重森も、翔の気合いを感じながらも引っかかるものもあったという。
「翔選手が試合前のインタビューで『噛み合わないと思う』と言ったんですよ。で、自分は翔選手は引退試合ですし『絶対に噛み合わせたい』と思ったんですね。だから『真っ向勝負をしたい』と思って、そこはかなり意識しました。『翔選手のやりたい試合をやろう』とキックをキャッチして蹴り合う展開でも、首相撲の展開でも『パンチで打ち合いがしたいんだろうな』と感じたらパンチで打ち合ってもいい、と。結果としてヒジの打ち合いになっちゃったんですけど」
重森には「戦いの美学」がある。
「勝負するところはしなければいけないし『ここは引けない』というところは絶対に引かないです。だから、試合後に『これだけテクニックを教えてるのに、なんで行くんだよ』ってよく怒られるんです(苦笑)」
試合中に「チャンスだ」と感じたら、躊躇なく踏み込んで攻勢を掛けるのが重森のスタイル。リスクを恐れないこの姿勢が、翔・センチャイジムとの名勝負を生み出した。
「自信、なのかもしれないですね。自分は試合中に焦ることがないんです。どんなに効いていても、切られても、頭の中では『あと何分』『あと何ラウンドある』と考えています。デビュー戦が5歳で、タイのラジャダムナンスタジアム(※ムエタイ二大殿堂の1つ)で初めて試合をしたのが小学3年生。その時はめちゃめちゃ緊張して、飛び込むような気持ちでしたよ。今は試合中も冷静ですけど、それは幼い頃からやってきて、戦歴を重ねて、経験がちょっとずつ大舞台で活きてきているのかな、と思います」
9月13日の「創世のタイガGRAND PRIX 61.5kg RED 初代王座決定トーナメント」について、重森は「楽しむ」と言い切った。
「勝負事で楽しむって、やっぱり実力がないといけないんですよ。だから『楽しい』と感じられない時は『俺、弱いんだな』と思ってまた頑張れるんです。 子供の頃から、毎試合、毎試合『どういう気持ちで試合に挑めばいいのか』を考えてきました。ちょっと野蛮な気持ちになるべきか、リラックスするべきなのか、とか。まだ明確な答えにはたどり着いていないですけど、今の時点では『試合前も、試合中も、楽しい、と思ってる時はいい動きが出来ている』というのが一番答えに近いと思ってます。 だから、創世のタイガGPも楽しむ。KNOCK OUTのトーナメントでは、55.5kgで先輩の(江幡)塁さんが優勝した時に『次は自分が獲ります』と意気込んで声を掛けて、塁さんに『頑張れ』と言って貰いました。僕がトーナメントを優勝して、伊原道場に2本目のベルトを持って帰ります。ぜひ、応援をよろしくお願いします」
取材・撮影/茂田浩司
(プロフィール)重森 陽太(しげもり・ようた)1995年6月11日、東京都出身。伊原道場稲城支部所属戦績:39戦31勝(17KO)3敗5分。身長181cm。タイトル歴:日本バンタム級王者。日本フェザー級王者。WKBA世界ライト級王者。5歳からキックを始め、16歳でプロデビュー。18歳で初戴冠。以降、階級を上げて3階級制覇を達成。長身と長いリーチを活かした蹴り技を得意とするが「打ち合う時は打ち合う」好戦的スタイルで、昨年の翔・センチャイジム戦では「KNOCK OUT年間ベストバウト」と言われる激闘を展開して勝利した。