中段・上段廻し蹴りを主体に戦う村浜(左)
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第12回目は1994年6月17日~19日、大阪府立体育会館にて開催された極真会館『第11回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』にシュートボクシングが挑戦した話題。
正道会館を始めとする他流派の挑戦が多い全日本ウェイト制だが、1994年の大会には異色の挑戦者が現れた。シュートボクシングから3名がエントリーしたのだ。これは、極真会館とも親交のあったシーザー武志SB協会会長が、大会関係者からの要請を受けて選手を出場させたもの。
その3名とは、プロデビューから無敗の快進撃を続け派手な試合とパフォーマンスで人気上昇中のホープ村浜武洋(本名の村濱武洋で出場)、同じくホープの土井広之(本名の土井博幸で出場)、そしてアマチュアの田ケ原正文だった。
最も注目を集めた村浜は大会2日目の前日予選からの出場。高校時代まで通っていた空手道場の道衣、自前の黒帯を締めて「やるからにはベスト8」との目標を掲げて今大会に臨んだ。
初戦の相手は、奇しくもSBのエース・吉鷹弘が極真時代に所属していた兵庫支部の横山。開始と同時に村浜は頭を低くした体勢で前進、左中段廻し蹴りで先制する。終盤には手数でリードして、本戦判定4-0で初戦を突破した。
続く2戦目の相手は岡山支部の清野。中段から下段蹴りの中心の戦法に切り替えた村浜だが、接近戦が多く再三にわたって主審がブレイク。これでペースが乱れた村浜は次第に手数が減っていき、判定3-0で敗退。「久々に負けてしまいました。でも、こんなもんでしょう」と苦笑した。
今回挑戦したSB勢の中で、ただ一人極真に所属していた経歴を持つ土井。高校時代には山形支部に所属し、1992年9月の第1回東北高校大会では3位に入賞している。
村浜と同じく前日予選からの登場。相手は総本部の大沢。経験者ということで期待されたが、大沢に手数で圧倒され、起死回生を狙った胴廻し回転蹴りも不発に終わり、本戦判定4-0での初戦敗退となってしまった。
土井は「副審が極真の時の先生だったので、ちょっと緊張してしまいました。先生にも頑張れって言われましたけれど、そんなに甘くなかった。でも久々の極真はいいですね」と頭をかいた。
そして村浜、土井に続いて登場した田ケ原は侮れない過去を持っていた。3年前の第8回大会に他流派として出場し、軽量級でベスト16に食い込んでいるのだ。実は今大会にも個人的に出場する意向だったという。
前日予選では、1993年東北ウェイト制軽量級王者の神尾信幸を延長1回、判定3-0で降して見せて一矢報いたが、2戦目は城南支部の川端直樹の足を使った攻撃に決定打を奪えないまま延長戦を終了。体重判定で敗れた。
「2日目でSBの名前が消えてしまって申し訳ないです」と試合を終え、悔しがる田ケ原。この敗戦をもってSB勢の極真挑戦は終わりを告げた。なお、田ケ原はこの挑戦をきっかけに「もう一度空手がやりたくなった」とシーザージムを退会、極真会館に入門して2001年第2回全世界ウェイト制選手権大会で軽量級優勝、1996第13回・2000年第17回全日本ウェイト制選手権大会で軽量級優勝を果たし、全世界選手権大会にも出場する極真を代表する選手に成長し、現在では極真会館大阪はみはや支部の支部長を務めている。