1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第5回目は1990年6月2・3日、大阪府立体育会館で開催された『第7回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』。
(写真)復活戦となった前日予選で、後ろ廻し蹴りで技ありを奪った後、右中段廻し蹴りで合わせ一本勝ち 極真の“小さな巨人”と謳われた緑健児(鹿児島支部)は、1987年11月の『第4回全世界選手権大会』でマイケル・トンプソンに敗れて現役を引退。故郷の奄美大島で家業を手伝いながら極真空手の普及に専念することを決意した。
(写真)準決勝、カウンター気味の右上段廻し蹴りで技あり。1回戦を除いて全ての試合で技あり・一本を奪った その後、1988年9月のスイス国際大会にゲスト出場。あのアンディ・フグと決勝で延長2回を戦って準優勝に輝いているが、これはあくまでも一時的な復帰。同年11月の『第20回全日本選手権大会』を観戦した緑は、一緒に世界選手権大会を戦った仲間の試合を見て体中の血が沸き立つのを感じたという。元々、故障が原因で引退したわけではなく、その瞬間にもう心は決まっていた。
(写真)決勝戦、山本の鋭い後ろ廻し蹴りが緑を襲う まずは1990年春の昇段審査で40人組手を完遂。5月から1カ月、古巣の城南支部で八巻建志や岩崎達也らと最終調整を行い、満を持して今大会で現役復帰した。
前日予選は後ろ廻し蹴りと中段廻し蹴りの技あり2つを奪う合わせ一本勝ち。当日予選でも鮮やかな右上段廻し蹴りを決めて技ありを奪っての圧勝。準々決勝では飛び後ろ蹴りで相手をマットに沈め、準決勝でもカウンター気味の右上段廻し蹴りで技ありを奪っての快勝と、圧倒的な強さで決勝まで駆け上った。
(写真)決勝戦、両者の後ろ廻し蹴りの相打ちが2度も見られた 決勝戦。相手は愛知の山本健策。前年はベスト8止まりだったが、4月の中部交流試合を制して波に乗っている軽量級の新鋭だ。キレのある上段廻し蹴りと膝蹴りで、こちらも順当に決勝へ駒を進めた。
序盤は山本が得意の膝蹴りと上段で緑を攻め立てたが、パワーに優る緑が突きから左前蹴りで山本を吹っ飛ばし、最後は下段廻し蹴りで完全にポイントを奪った。
約2年のブランクを経て3度目の全日本ウェイト制軽量級優勝を果たした緑は、「自分のわがままを許してくれた両親に感謝したい。試合に勝つことが親孝行のつもりで戦いました」と語った。