空手
コラム

【1990年6月の格闘技】正道会館が極真に初参戦、角田信朗が他流派初の4位に入賞

2020/06/02 08:06
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第5回目は1990年6月2・3日、正道会館が初めて極真会館主催の『第7回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』に参戦した日。 (写真)正道勢が極真勢を倒すとすさまじい盛り上がりに ファン待望の極真会館vs正道会館がついに実現した。様々な流派が開催する全日本大会を総なめにし、“常勝軍団”と呼ばれていた正道会館。残るはフルコンタクト空手界最大勢力の極真会館のみとなり、1989年12月の極真会館『第21回全日本選手権大会』では参戦寸前にまで話が進みながら、結局は実現せず。この日、正道会館のおひざ元でもある大阪で開催された『全日本ウェイト制選手権大会』で待ちに待った“激突”となった。 (写真)極真との対決に気合い満点の角田(右) 正道のエースである佐竹雅昭は同月30日にドン・中矢・ニールセンとの対決を控えており不参加となったが、柳澤聡行、角田信朗、田上敬久、田前純三、後川聡之、玉城厚志、中川敬介ら主力12選手を送り込み、正道会館の本気度がうかがえる。 (写真)1回戦では市村直樹(左)から技ありを奪って勝利 前日予選は9名中7名が勝ち抜き、前日予選無しの重量級3名を加えた10名が翌日の決勝日に駒を進めた。当時はフルコンタクト空手(実戦空手)が格闘技界のメインストリームであり、空手ブームとなっていたこともあり、この注目の初対決に大阪府立体育会館は満員の観衆で埋まった。 (写真)準々決勝の井口戦はまさに大会ハイライト。注意を受けた直後に上段廻し蹴りで一本勝ち しかし、当日予選で正道勢は次々と姿を消すことに。午後1時からの開会式に並んだのは軽量級・中量級では1人だけ。選手たちは「倒さなきゃ勝てないことは分かっていましたから、判定に不満はありません」と口を揃えたが、正道側応援席からは「なぜ(負け)なんだ!」という不満の声が多く聞かれた。これに関係があるのか、無関係なのか、正道会館の選手に対して声を荒げる極真の支部長もおり、場内の雰囲気は殺伐としていった。  盛り上がりが最高潮に達したのは、やはり重量級だった。佐竹に次ぐ正道ナンバー2の柳澤は試合巧者ぶりを発揮して予選、1回戦と場内を沸かしに沸かせたが、準々決勝で岩崎達也にストップされた。 (写真)準決勝では滝田巌(右)の破天荒な戦いぶりに本戦で敗れ、角田の挑戦は終わった セコンドの大声援を背に受けて登場した角田は、当日予選を突破すると1回戦では市村直樹(城西支部)から技ありを奪って本戦撃破。準々決勝では、顔面殴打で注意を受けた直後に左上段廻し蹴りで井口勝利(兵庫支部)から鮮やかに逆転の一本勝ちを奪った。場内は大歓声に包まれ、この日一番の盛り上がり。角田はすでに泣き顔で顔をクシャクシャにして「何年に1回か、こういう時があるんや!」と佐竹に声をかけた。  続く準決勝では、滝田巌(城西支部)の苦し紛れの戦法ともいえる、肩で押すようにして何度も場外へ追いやる戦い方に本戦判定5-0で涙をのんだ。それでも、他流派では初となる4位入賞を果たし、極真の歴史に名を刻んだのである。 (写真)憧れの人であった大山倍達総裁からトロフィーを受け取り、感無量の角田 大会終了後、正道会館・石井和義館長は「見てもらった通りです。各々にアドバイスをしたが、簡単には勝たせてもらえなかった。倒さないと勝てない、というのは大前提に考えていたが、倒せなかったね」と言葉少なに語った。  一方、極真会館の大山倍達総裁は大会総括で「もう流派なんて言葉は死語だ。これは空手界のペレストロイカだ」と話した。
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