1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。25回目は1998年5月24日、福岡で行われた佐竹雅昭(正道会館)vs武蔵(正道会館)の日本人同門対決。
1998年5月24日、マリンメッセ福岡で開催された『K-1 BRAVES』は“日本人選手の復権”というテーマが打ち出された。そこで組まれたのが、佐竹と武蔵の同門日本人対決。両者の対決はこれが初。
K-1をけん引してきた佐竹に武蔵が挑む。1995年9月に佐竹に続く日本人ヘビー級ファイターとしてデビューし、1996年のK-1GPでは3位に入賞した武蔵だったが、その後はスランプに陥って1996年12月のアンディ・フグ戦から1997年6月のマイケル・トンプソン戦まで4連敗。この佐竹戦は約1年ぶりの試合となった。
リングネームを「ムサシ」から「武蔵」に改め、ガウンの背中には「休んでいる間、日本人の位置を高めないといけないと思った」という意気込みを表した“魂”の文字が。
試合は武蔵が前へ出て、佐竹がカウンターを狙うという展開に。2R、武蔵の左右フックからの左ハイのコンビネーションが鮮やかに決まり、右クロスも決まった。しかし、タフな佐竹はすぐに打ち返すためなかなかポイント差はつかず。ワンツーを多用した佐竹の左ジャブが武蔵をよく捉え、左ミドルも強烈に決まった。
しかし、3分5Rを通じて両者決め手なく、やや武蔵がアグレッシブで優ったかにも見えたが、判定はジャッジ三者とも50-50のドローに。
「今日は先輩も後輩も、胸を借りるつもりもなく、倒すことだけを考えていました」と武蔵。一方、佐竹は「パターン通りにしか来なかった気がしました。バックキックをしてみたり、アッパーを狙って来るんじゃないかと、そういうのを待っていたんですけれど来なかった。首相撲の時に、もう少しヒザで蹴って来るかなって思っていたんですが、そういうところが物足りなかったですね」と、武蔵の戦い方が自分を超えるにはまだ物足りないと評した。
それでも「僕を倒すだけの力を付けてきてほしかった。あいつはいいものを持っている」と、後輩・武蔵に期待するコメントを残した。