高々と両手を上げる室戸の後方で、鴇はガックリと肩を落とした。世代交代を象徴する場面だった
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。13回目は1993年5月21日、東京・後楽園ホールで開催されたMA日本キックボクシング連盟『港山木ジム8周年記念興行』より、鮮やかな世代交代となった日。
(写真)松尾の重い左ミドルを必死にディフェンスする山崎
今大会では2つの日本タイトルマッチが組まれた。ひとつは日本フェザー級王座決定戦、もうひとつは日本バンタム級タイトルマッチ。両試合ともベテランに新鋭が挑む図式だった。
まず大波乱がフェザー級で起こった。この日、MA日本キックボクシング連盟のエースとして君臨していた山崎路晃(東金ジム)と王座を懸けて戦う予定だった王者・菅原忠幸が負傷欠場となり、急遽、同級3位・松尾栄治(士道館関西)が山崎と王座決定戦を争うことに。
松尾は「5回戦出場は初めて。3週間前に急に決まって嘘かと思った」という。当然ベテランの山崎が有利のはずだったが、試合は意外な展開になったのである。
1R、相手の動きを見る松尾に左ハイ、パンチの連打と積極的に仕掛ける山崎。左ミドルを蹴ったが蹴り足を取られ、ロープを背にもつれ込んだ時、松尾が左フックの強打。「手応えがあった」(松尾)という強烈なフックに山崎は最初のダウンを奪われた。すぐに立ち上がった山崎だが、畳みかけるような松尾の右アッパー、左フックの連打に再びダウン。
(写真)抱え上げられる松尾と大の字の山崎
2R、松尾は不敵な笑みを浮かべ、左右のアッパー、ヒザ、左フックの連打でまたもダウンを奪う。立つには立ったが、もはや山崎は相手の猛攻を防ぐのに精いっぱい。顔を紅潮させ、ロープ伝いに逃げようとする山崎を追い詰め、松尾はとどめとばかりに左ショートストレートを繰り出す。
一発、二発…四発目で山崎は崩れ落ち、2R2分1秒、KO負けのゴングを聞いた。かつてライト級転向のために返上したフェザー級のベルトを取り戻す夢は断たれ、4度もダウンを喫した山崎は担架で退場した。
山崎の所属ジム会長は「大試合続きで疲れていた上、相手に研究されていた。こっちには相手の資料がなく、手探り状態だった…」と無念の表情。一方、無名だったことが幸いした松尾は「最高です。相手はキャリアもスタミナもあるからダウンを奪った後は記憶がないくらい必死でした」と王座獲得を喜び、試合直前に風邪で発熱していた悪条件であったことを打ち明けた。
バンタム級では、1987年7月に王座に就いて以来、5年10カ月もの間、ベルトを保持していた鴇稔之(目黒ジム)が同級1位・室戸みさき(港山木ジム)の挑戦を受けて5度目の防衛戦に臨んだ。
しかし、王座獲得時には24歳の若虎だった鴇も、30歳は目前。それに伴う減量苦もあり、若く、勢いのあるチャレンジャーが現れればこの老いた虎の牙は通用しないだろう…との見方が圧倒的であった。
挑戦者の室戸は23歳。3回戦当時から新人離れした試合運びの上手さ、パンチ・キックのテクニックには定評があり、早くから「エース候補」と期待されていた。だが、日本フライ級王座奪取後は度重なる負傷や病気のため何度も欠場。今回の試合も前年9月にタイで試合をして以来、約8カ月ぶりとなった。
「リングを離れていた時は、もうキックボクシングが出来ないんじゃないかとも思い、痛くない職業に就こうかとも考えました」という室戸だったが、周囲の応援、そして自らの努力によってカムバック。
1R、鴇は右ハイを何度も狙うが決まらず、2Rにパンチで前進を試みる。だが室戸はノーガードから右ストレート、アッパー、鴇のパンチを空振りさせての左ミドル、そして相手の動きを左前蹴りで止めた。
3Rに室戸の右ストレートで左目を腫らせながらも前に出てパンチを放つ鴇。だが、ノーガードの室戸にかわされ、左アッパー、右フック、左右ミドルで切り返されていく。「これが盤石の強さを誇ったあの鴇か…」と思わせるほど、室戸にはパンチが当たらない。
鴇は最後までペースをつかむことができず、終了ゴングを聞くと精魂尽き果てたかのように自軍コーナーでうなだれる。判定勝利(50-47×3、50-48)を告げられた室戸が大きく手を上げて喜ぶのとは正反対なその姿に、“世代交代”の四文字が色濃く感じられた。
「室戸は思った通りのいい選手。僕を倒したのだから、彼には僕よりも長く王座を守ってほしい」と鴇。バトンを受け取った室戸は「ブランクが長かったし、調整も上手くいかなかったので不安だった。デビュー戦のように緊張した」と胸中を打ち明けた。