1969年、日本武道館でタイ人選手と東洋王座を争う藤本勲(右)
日本最古のキックボクシングジムである目黒藤本ジムの藤本勲(本名・藤本洋司)会長が、5月5日(火)に死去した。78歳だった。新日本キックボクシング協会と目黒藤本ジムの公式サイトでそれぞれ告知された。
昨年から入退院を繰り返して療養を続け、昨年12月には会長としての引退式を行った。1966年に生まれた目黒ジムは2020年1月30日に閉鎖された。
(写真)昨年12月の藤本ジム主催興行では会長職からの引退式が行われ、治療に専念することが発表された
藤本会長は1944年1月24日、福岡県出身。初代タイガーマスクの佐山聡と同じ山口水産高校を卒業し、海運会社で働いた後に洋菓子のナガサキヤに就職するため上京。"拳聖"山口剛玄に弟子入りし、剛柔流空手を学び三段を取得。同じ剛柔流空手出身の“真空飛びヒザ蹴り”沢村忠の友人から誘われ、1966年6月にキックボクシングでプロデビューした。わずか4日間の準備期間でリングに上がったという。
1967年2月26日、TBSのスポーツ番組『サンデースポーツ』でキックボクシングが日本で初めてテレビ放映され、そこで沢村と藤本の試合が紹介された。180cmを超える長身から繰り出す、得意のヒザ蹴りでKO勝ちした一戦だった。1967年2月26日、KO勝ちで初代日本ヘビー級王座を獲得。1969年6月26日には東洋ミドル級王座を獲得した。
(写真)トレーナーとして、会長として多くのチャンピオンを育てた
同門の沢村と共に活躍したが、1970年12月4日の試合を最後に引退。生涯戦績は40勝(32KO)11敗。
引退後は所属する目黒ジムにてトレーナーを務めることに。トレーナーから会長代理、そして1999年に会長となってラジャダムナンスタジアム認定スーパーライト級王者・石井宏樹、WKBA世界スーパーライト級王者・新妻聡、新日本フェザー級王者・小野寺力など多くの名王者を育てた。日本スポーツ大賞では選手時代とトレーナー時代の2度、功労賞を受賞している。