1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。3 回目は1989年5月26日、東京・後楽園ホールで行われた『シュートボクシング 世界王者の激突!!』より、シーザー武志(シーザージム)vsマンソン・ギブソン(アメリカ)。
シュートボクシングの創始者であり、自らも団体のエースとしてリングに上がり続けていたシーザー武志が、SB世界ホーク級(現スーパーミドル級)王座の初防衛戦を迎えた。
1988年5月、ジョン・ナバロリ(カナダ)をKOしてSB初の世界タイトルを手にしたシーザー。初防衛戦の相手は、当時日本では全く無名だったがKICK世界ミドル級王者の肩書を持つマンソンだった。むろん初来日。
米国のキックボクシング団体『KICK』との交流を持ち始めたことで、今回よりルールが改定された。国際ルールとして、これまでの試合時間10分(フレッシュマンクラスは6分)・延長5分(同3分)が、5分3Rで延長5分(フレッシュマンと女子は5分2R・延長5分)となり、タイトルマッチは5分4Rで延長5分に変更。採点方法も今ひとつ理解されていなかった加点法をやめて各ラウンドごとの10点減点法で採点されることになった。
総帥のシーザーは「これまでは10分間の中で、どれだけ戦えるか、というテーマでやってきた。だが今のルールのままだと試合に応じる(シュートボクサー以外の)選手がいない。SBを国際的にしていくことを考えるとラウンド制に踏み切るべきだと考えました。10分だと戦えないが5分ならやろうという選手は多いんです」と、ルール改正の理由を語った。 その国際ルールが初めて適用されたのが、この世界タイトル戦だった。しかし…。
1R開始のゴングが鳴らされた直後に、マンソンが右バックキックで先制。間髪入れずに同じ技がシーザーのボディへ的確に決まる。3発、4発、5発…防戦一方となったシーザーに次々とマンソン得意の回転技やパンチがヒットする。
あまりの一方的な展開に「シーザーどうしたんだ!」の声が観客席から飛ぶ。シーザーの常套戦術である相手の出方を探るローも一発も見られない。左へ左へと回りながらバックキックを放ち続けるマンソンは2分33秒、ロープ際へシーザーを追い込んで左右の連打。これを喰ったシーザーは尻もちをつく形でダウンを奪われる。
続けて左フックで2度目、右ストレートで3度目のダウン(フリーノックダウン制)。マンソンは一気に仕留めにかかり、左ハイから左右のフックの乱れ打ち。ダウンしたシーザーはリング中央ではいつくばったまま10カウントを聞いた。
体調は最悪だった。「2週間前、練習中にアバラにヒビが入り、指も負傷していた。でも、そんな事は言い訳にすぎないです。気を抜いていたせいですね。今日は完敗です…どうもすいませんでした」と試合後に打ち明けたシーザー。そう言うと、首を傾げながらグッタリとうなだれた。
一方、衝撃的な日本デビューを飾ったマンソンは、ここからSBの常連外国人選手として吉鷹弘や平直行と激闘を展開。ミドル級最強外国人選手としての地位を築いていくことになる。