1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。54回目は2006年4月5日に東京・国立代々木競技場第一体育館にて開催された『K-1 WORLD MAX 2006』の世界一決定トーナメント1回戦で、総合格闘技からの刺客を魔裟斗(シルバーウルフ)が迎え撃った一戦。
魔裟斗にとって5度目となるK-1 WORLD MAXの世界トーナメント。2003年に初優勝を収め、2004年は決勝でブアカーオに敗れ、2005年は準決勝に勝ち上がるも負傷のため棄権。3年ぶりの王座返り咲きを目指して2006年の世界トーナメントに臨んだ。
その相手レミギウス・モリカビュチス(リトアニア)は、2003年3月に総合格闘技団体『ZST』に初来日。殺傷能力の高い鋭い打撃を武器に所英男を始め日本人選手たちを次々とKOし、“レミーガ”の愛称で一躍人気選手となった。
2005年10月からはK-1にも参戦し、安廣一哉から6度もダウンを奪って判定勝ち。イ・スファンには4度のダウンを奪ってKO勝ち。そして我龍真吾には1Rわずか8秒、飛びヒザ蹴りでKO勝ちしてK-1史上最短KO記録を打ち立てている。
その鮮やかな勝ちっぷりで魔裟斗の相手に抜擢されたレミギウス。1Rに飛びヒザ蹴りから一気にパンチのラッシュを仕掛ける。それを突き放す魔裟斗だったが、レミギウスは構わずヒザ、パンチを連打。魔裟斗は飛ぶレミギウスをプッシングでかわす。しかし徐々に魔裟斗がレミギウスの攻撃を見切り始めると、カウンターを当てるようになりレミギウスは失速。魔裟斗がパンチのコンビネーションとヒザ蹴りで完全にペースを握る。
2Rに入ると、魔裟斗はヒザ蹴りで前へ出て左右の連打。そしてレミギウスのボディに強烈な前蹴りを突き刺す。明らかにこれを嫌がったレミギウスに、魔裟斗はボディブローで畳みかけ、最後はロープに詰めてのパンチ連打。ここでレミギウスのコーナーからタオルが投入された。2R1分56秒、TKO勝ち。
S-cup初代世界王者・吉鷹弘は「レミギウスの攻撃に対して、魔裟斗は決してその場に立ち止まって防御をしようとしなかった。ブロックなどの相手の攻撃を受け止める防御に固執する選手は、左飛びヒザ蹴りもしくは左スイングが死角から入りやすいため、その攻撃をまともにもらう可能性を自ら高めることになってしまう。そこで魔裟斗はバックステップに、スウェーバックもしくはヘッドスリップを組み合わせて使っていた」と、魔裟斗の防御技術の高さを勝因としてあげた。
また、「最近の魔裟斗は相手をぶつかり合って攻め込むのではなく、ステップでぶつかり合いを殺して攻め込むスタイルに変貌を遂げてきたような感じを受ける」と指摘。
そのため攻撃面も「ただし、ステップを多用するとシフトウェイトが上手くいかず、完璧にウェイトが乗らなくなるためパンチが軽くなりがちになるという欠点がある。その欠点を補うために魔裟斗は右ミドル、右前蹴り、右テンカオで攻撃を上下に散らした。パワフルな攻めではないが、レミギウスに“虚”の状態を作り出し、それが相乗効果となってよりボディを効かせていった」と変化が見られたと分析している。