左フックでダウンを喫したミルコに襲い掛かるランデルマン
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。54回目は2004年4月25日にさいたまスーパーアリーナにて開催された『PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦』ヘビー級グランプリ1回戦で衝撃決着となった、ケビン・ランデルマン(アメリカ)vsミルコ・クロコップ(クロアチア)。
ミルコは前年の2013年11月に東京ドームでアントニ・ホドリゴ・ノゲイラとPRIDEヘビー級暫定王者決定戦を争うも、腕十字で敗れタイトル獲得ならず。その後はロン・ウォーターマン、山本宜久をKOして「無冠の最強戦士」との異名を返上するため『PRIDE GRANDPRIX 2004ヘビー級トーナメント』に臨んだ。
その1回戦で対戦したのが、元UFCヘビー級王者のランデルマン。PRIDEには2002年からレギュラー参戦し、このミルコ戦前にはクイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、桜庭和志に敗れていた。
1Rが始まってすぐに右フックを繰り出したランデルマンはそのまま組み付き、両脇を差してテイクダウンを狙うが、ミルコはコーナーを背にして耐える。両手でランデルマンの顔を押して引きはがそうとするミルコ。それでもクラッチを離さず頭を押し付けてプレッシャーをかけ続けるランデルマン。しかし、ブレイクがかかってしまう。
サウスポーのミルコに対して、左へ左へと回り込んでいくランデルマンに、ミルコはジリジリと近付いていく。ランデルマンは右腕のガードを高く上げて、ミルコの左ハイを警戒。再びタックルに行くもこれはミルコが反応して決まらなかった。
離れる両者。ランデルマンは左へ回り込む。ミルコが左の蹴りを出そうとのモーションに入った瞬間、ランデルマンがハイスピードの左フック一閃。これが見事にヒットし、ミルコはダウン。パウンドに行くランデルマンをミルコは抱え込んでダメージの回復を図ろうとしたが、ランデルマンは左の鉄槌を連打。これでミルコが失神。1R1分57秒だった。
大歓声に包まれる場内。マイクを持ったランデルマンは「ここにいる皆さんのために、自分は地獄を見てもいい。そして、それから天国を見るのだと決心していました。またみんなのために戦います」とマイクアピール。
試合後のコメントでは、師匠のマーク・コールマンから「ミルコは左の蹴りを出す前に右手のガードが下がるから、そこを狙え」との指示を受け、それがぴったりとハマったと説明。
サウスポーの名手であった元ISKA世界ライトウェルター級王者の大江慎は「蹴りのフォームが出来てからカウンターを合わせてくる選手はいくらでもいますが、蹴りのフォームを作ろうとした瞬間に合わせるのは天性。腰、腿、膝、股関節のバネというのは踏み込みのバネにつながってくるものですが、ランデルマンはそういうバネ全てが普通の選手よりも柔軟で強い。いろいろな選手と戦ってきたミルコにとっても、ランデルマンのようなバネは想定外だったと思います」と分析している。
📆 #OnThisDay in 2004...
— UFC (@ufc) April 25, 2020
Cro Cop and Kevin Randleman met for the PRIDE Heavyweight Grand Prix! 🏆
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