寝技世界一決定戦と謳われたADCCを日本人として初制覇した菊田
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。51回目は2001年4月11日~13日にアラブ首長国連邦アブダビで開催された“寝技世界一決定戦”『ADCC2001』で菊田早苗(GRABAKA)が日本人として初優勝した歴史的快挙。
(写真)2回戦でブラウンに逆転を許さず勝利
アラブ首長国連邦アブダビで開催されるサブミッションレスリングの世界選手権『ADCC』は、1998年に初開催された。柔術家、総合格闘家、レスラーなど世界中からトップファイターが招かれ、高額の賞金が懸かったトーナメントを争う。日本からは1999年から選手が参加している。
五味隆典、須藤元気、高阪剛、田村潔司、宇野薫などの日本人選手が1、2回戦でバタバタと消えていく中、勝ち進んだのは87kg級にエントリーした菊田だった。1回戦ではパンクラスに参戦したエヴァン・タナーをパスガードして3-0に破り、2回戦ではオーストラリアのレスラー、クリス・ブラウンを6-4で退けた。
(写真)準決勝でイーゲンを執念の抑え込み
準決勝に残った日本人選手は菊田のみ。ここでエンセン井上の兄イーゲンに得意の大内刈りを決めてテイクダウンの2ポイントを奪い、暴れまくるイーゲンを決死のホールディングでガードに抑えつけて決勝進出を決めた。
決勝の相手は柔術家のサウロ・ヒベイロ。大会3日目の午後3時、各階級の決勝戦が始まった。決勝は本戦20分で行われる。前半はスタンドレスリング。探り合いの静かな展開が続くが、一転ヒベイロが片足タックル。左足をすくわれた菊田は、そのままガードポジションを余儀なくされた。
ヒベイロは菊田の脚をコントロールして、サイドに回り込もうとする。菊田は足を利かせ、ヒベイロの肩や腰を押して戻す。1分、2分…ガードの攻防が続く。ようやく立つことに成功した菊田は、スタンドでがっぶり組み合う。右を差して引き付け、左の外掛けで転がした。先ほどとは立場を入れ替え、今度はヒベイロのガードで寝技だ。
ヒベイロはしきりにスイープを狙ってくる。菊田は突き放し、あるいはホールドし、ヒベイロの誘いには乗らない。そして、ついにその瞬間が訪れた。
半身のヒベイロの上体を固めた菊田は、一気に身体をすべらせた。ヒベイロが右手で押し戻しに来るがもう遅い。腰を切って一気に袈裟固めへ。引き付けてしっかりと抑え込む。客席からドワーッと歓声が沸き起こる。菊田にパスガードの3ポイントが入った。
ヒベイロは体を起こし、菊田は一瞬バックを取りかけるが、ヒベイロが向き直って菊田のガードに。しかし菊田も隙をついて起き上がり、ヒベイロのガードとなる。再びパスガードのプレッシャーをかける菊田と、ヒベイロのオープンガードの攻防。そしてタイムアップ。初めて日本人がADCCを制した歴史的瞬間だった。
「本当に最後まで諦めなかった自分にありがとう、って感じです。もう嬉しい、死んでもいい。パスガードした! あの瞬間はもう二度と忘れないです。皆さんも忘れないでください」と、菊田は興奮した口調でまくしたてた。