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コラム

【1995年4月の格闘技】ホイス・グレイシーvsケン・シャムロック再戦はドロー、ホイスはUFC離脱へ

2020/04/14 20:04
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。24回目は1995年4月7日に米国ノースカロライナ州シャーロットで開催の『UFC 5』にて、2度目の対決を行ったホイス・グレイシー(ブラジル)vsケン・シャムロック(アメリカ)。  1993年11月12日に第1回大会が開催された『THE ULTIMATE FIGHTING CHAMPIONSHIP』(UFC=余談だが初期は日本でアルティメット大会と呼ばれていた)。その第1回大会で行われた無差別級トーナメントの準決勝でホイスとシャムロックは初対戦。1R僅か57秒、リアネイキドチョークでホイスが勝利を収めている。  1994年9月9日の『UFC 3』でも両者はトーナメントに出場し、シャムロックが決勝へ進出(決勝は棄権)したがホイスは準決勝で棄権したため再戦は実現せず。1995年4月7日『UFC 5』でワンマッチのスーパーファイト王座決定戦として再戦が行われることになった。  試合開始早々、シャムロックはテイクダウンを奪うとそのまま上から抑え込んだ。時折パンチを打つシャムロックだが、ホイスの下からの仕掛けを警戒して顔面をホイスの胸部に密着させて抑え込む時間が続く。ホイスは手の平でシャムロックの耳を叩き、ガードを取っている右足を振り上げてカカトでの蹴りを見舞う。  殴り合いを交えた密着状態が続く中、15分過ぎにホイスが自分の道衣の左袖を右手でつかむ。これで下からの絞めを狙おうとしたホイスだったが、そうはさせてたまるかとばかりにシャムロックは頭突き(当時は有効技)で応戦。そんなシーンが再三再四繰り返された。  動きは小さいものの緊迫した場面が続く中、レフェリーが突如ストップを指示。両者は離れてコーナーへと戻った。一体、何が起こったのか観客には理解できず、ブーイングが沸き上がる。  しかし、これは前日の記者会見で発表されたルールだった。スーパーファイトの試合時間は30分一本勝負、延長戦5分と今大会から(それまでは時間無制限一本勝負)タイムリミットが設定されていたのである。レフェリーは31分6秒(本戦30分に加えて1分6秒間様子を見た)にストップを宣してから34秒後に再開を命じた。  延長戦、ホイスはいきなりパンチを振るった後にシャムロックの懐に飛び込む。だが、この時シャムロックの放った右のパンチを喰らってしまう。その隙を見逃さなかったシャムロックは再び上位の体勢で寝技の展開へと持ち込んだ。顔面へのパンチを放つシャムロック。ホイスの腫れあがっていた眼下が切れ血が流れ出す。ホイスが耐え続ける中、延長の5分間は過ぎていった。  判定はないため時間切れドロー。シャムロックはすぐにホイス陣営に歩み寄り、ホイスの肩を抱く。そして客席に向かって拳を突き上げた。すると歓声が一気に沸き上がる。続いてホイスが手を上げると場内はブーイングに包まれた。  だが、これはシャムロックが優位に試合を進めていたからではない。むしろ全体を通してみれば試合はホイスが優位に進めていた。それはアメリカで開催される大会において、シャムロックはベビーフェイス、ホイスはヒールであることを意味していた。  シャムロックは「あと、もう少し時間があれば勝利は私のものだった」、ホイスは「私と彼ではウェイトが25ポンドも違う。私の判定勝ちだろう」と、試合後のコメントでも両者は譲り合わず。  王座決定戦がドローだったため、両者の再戦は間違いないと思われていたが、この試合を最後にホイスはUFCを離脱。再戦は実現しなかった。なお、両者は2016年2月19日の『Bellator 149』のメインイベントにて、ホイス49歳、シャムロック52歳のレジェンド対決を行い、ホイスがヒザ蹴りからのパウンド連打で1R2分22秒、TKO勝ちしている。
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