1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。20回目は1996年4月5日に東京・駒沢公園総合体育館で開催された『ユニバーサル・バーリトゥード・ファイティング』。メインイベントに登場したのは、あの元横綱・北尾光司だ。
北尾がバーリトゥード(ポルトガル語で何でもあり)に挑戦する。これは大きな出来事だった。バーリトゥードはブラジルで行われていた、最小限のルールに従って素手で戦う総合格闘技で、今日のMMAの土台となったものだ。 ホイス・グレイシーが第1回UFCで優勝して以来、世界中に広まり日本でも「バーリトゥード」の名を関する様々な大会が開催された。ユニバーサル・バーリトゥードもそのひとつで、ブラジルから大挙10名の選手を招き、リングス、格闘探偵団バトラーツ、SAWの選手たちが迎え撃つという形で行われた。
そのメインイベントが、北尾光司(武輝道場)vsペドロ・オタービオ(ブラジル)だった。大相撲で横綱にまで上り詰めた北尾は1987年12月に廃業、その後はスポーツ冒険家を経て1990年2月にプロレスデビュー。紆余曲折あり、このユニバーサル・バーリトゥードへの参戦が決まった。
北尾は200cm、170kg。オタービオは190cm、100kg。実際リング上で両者が向かい合うとかなりの体格差だ。素手のパンチを繰り出すオタービオに北尾はじりじりと近付いていき、コーナーに追い詰めると右脇を差してすくい投げのような形でテイクダウン。上になるとパンチを側頭部へ連打し、オタービオの頭を抱え込んで抑え込む。
ハーフガードのオタービオの顔面にヒジを押し当てる北尾だが、次の展開がなくひたすら抑え込み。顔面に手を当てたところでレフェリーからサミングを注意される。オタービオは北尾が顔を起こすと下から顔面にパンチを打ち、両脇を差してハーフガードから腰を切って両足を戻してフルガードへ。それでも北尾はどっしりと乗っかって動かないが、オタービオは下から顔を殴り続ける。
これを嫌がった北岡が顔を背けると、オタービオは脇を潜ってバックへ。亀の状態で動かない北尾の側頭部へヒジ打ちを連打すると、北尾がたまらずタップ。オタービオは立ち上がると同時に北尾の頭を踏みつけた。
大きな注目を浴びた元横綱のバーリトゥード挑戦は、1R5分49秒(試合は10分3Rで行われた)であっさりと幕を閉じた。
勝利を収めたオタービオは「北尾とリングで向かい合った瞬間、身体を見て恐怖感が沸いた。北尾にのしかかられた時は地獄を見たよ。でも死んでも抜け出さなくてはといけないと思っていた。国や自分のことを考えれば負けるなんて思わなかった」と、北尾の体の大きさに恐怖を感じたと吐露。
一方、北尾は「僕はこの世界では新弟子ですから。僕なんかまだまだ。胸を貸してもらえればいいから。相撲取りはそうなんです、“負けて覚える相撲かな”って分かりますか? 負けて初めてこの競技を覚えるわけだから」と謙虚なコメント。
なお、北尾はこの時点で約1カ月後の5月17日に米国ミシガン州デトロイトでの『UFC 9』への初出場が決まっており、この試合はその試運転と捉える空気もあった。UFCでのマーク・ホール戦では1R40秒でTKO負けを喫している。