朝倉海の敗戦は対岸の火事なのか──2025年8月16日(日本時間17日)米国イリノイ州シカゴのユナイテッド・センターにて『UFC 319: Du Plessis vs. Chimaev』(U-NEXT見逃し配信)が開催され、メインカードの第1試合で、朝倉海(JTT)が古豪ティム・エリオット(米国)に2R ギロチンチョークを極められて一本負けした。
UFCではフライ級とはいえ、RIZINバンタム級で朝倉海が敗れたのはマネル・ケイプと堀口恭司と扇久保博正の3人のみ。そのいずれも1勝1敗で再戦で朝倉が敗れている。それ以外の日本のRIZINファイターたちをことごとく撃破してきた朝倉は、UFCで弱点を突かれ連続一本負けを喫したが、日本のリングではそこを露呈することなく勝ち星を積み上げてきたといえる。
そこまで朝倉を追い込む選手は、日本にはUFCクラスの3人しかいなかったのが現状だ。朝倉の敗戦を見つめ、他山の石としない限り、J-MMAが世界の進化から取り残されることは間違いない。
試合後、さまざまなメディアや関係者が、その敗因を語っているが、そのフィニッシュだけを切り取っても意味が無いことを、多くのファイターたちは理解している。
最後は、ギロチンチョークでの一本負けも、なぜそこに至ったのかが重要で、この試合までのプロセス、ケージの中での立ち合いからフィニッシュまで勝負は繋がっている。
今回、エリー・ケーリッシュとビリー・ビゲロウコーチが抜けたJTTのチーム改革と、TRIBE TOKYO MMAへの出稽古も加えて、新たな体制で米国入りした朝倉は、兄の朝倉未来はじめ、柔術家の竹浦正起、打撃トレーナーの小倉將裕がセコンドにつき、TRIBEでの出稽古では、ONE王者の若松佑弥、和田竜光、LFA2戦目に臨む上久保周哉(※22日vs.エリック・シェルトン)らとMMAグラップリングを強化してきた。
試合前に「あの試合から弱い自分を見つめ直して、本当に穴を無くしてきた」と語っていた朝倉だが、週に1度のTRIBE練習で、朝倉のMMAグラップリングはどこまで実戦に近いなかで強化されたか。限られた時間のなかで取捨選択が必要だったことは想像に難くなく、ほかボクシングの出稽古も含め、それらをコーディネートするのが自身一人では荷が重すぎる。
竹浦は、試合後「すみません。今回の結果は、自分の責任です。次に向けて必ず成長します」と記したが、グラップラーとして強豪でMMAファイターとも数多くトレーニングを重ねてきている竹浦をして、自身がMMAグラップリングの専門家ではないことをしっかり自覚していた。それは前戦のノーギ世界3位の石黒翔也も同様だ。
ケージでグラウンド打撃がある。日本では、ATTのマルコス・パルンピーニャのように、競技柔術ではないMMAのグラウンドコーチを雇うことは簡単ではない。
日々アップデートされるMMAの動きのなかで朝倉は、今回のエリオットの組み力について、「やっぱりレスリングの力っていうのはすごいものを持ってると思うんで、そこは気をつけたい」と警戒しながらも、「そこで勝負しても負けないぐらい、しっかり準備できてきたので大丈夫です」と組み負けない、と自信を見せていた。
一方のグラップリングコーチの竹浦も、「寝技でやられちゃいけないのは極められること。各サブミッションのディフェンスをしっかりやって、そこに入るまでの寝技、スタンドを逆算してやった」と、極めの防御のみならず、そこに入られないための動きから作ってきたと話していた。
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テイクダウンとかあれば変わってくるけど──(扇久保)
MMAの試合はスタンドから始まる。初回の出足は、堀口恭司が指摘するように、朝倉ペースだった。
「1R目は凄い打撃が上手く当たってたりして、もうちょっと攻めればいいのになと思ったんだけど、ちょっと警戒してたのか、攻めあぐねてたなと。打撃とか反応されてないのに。いい打撃が入ってた。それを続ければ良かったのになって。1R目だからどうしても様子を見るのもあるけど、試合的には紙一重だから。やっぱり倒せる場面で倒さなかったっていうのが。1R目でもう仕留めに行っちゃってれば、俺は多分勝てたと思った」(堀口)
カーフキックも効かせていた朝倉。しかし、それをおくびにも出さないエリオットは、打撃にも徐々に目を慣らし、1R後半で、朝倉の左ハイを被弾しながらも、その蹴り足を掴んでテイクダウンを奪った。これまでもエリオットは再三、相手の蹴り足を掴んでテイクダウンを決めており、高い蹴りはリスクもあった。扇久保博正はこのスタンドの際を語る。
「1R目、凄くパンチのスピードもあって、ティムも最初は反応できてないような感じが見受けられたんですが、徐々にティムがスピードに慣れてきて、最終的にはギロチンで極められてしまったんですけども。やっぱり『手札の数』というか、朝倉選手はパンチは凄いんですけども、パンチをティムのボディワークで見切られ始めるとなかなか……。そこでテイクダウンとかあればまた変わってくるけど、パンチだけになってしまって、2R目からティムにプレッシャーをかけられた」と、パンチ主体で自ら仕掛ける組み技など手札が少なかったと指摘。
「1ラウンド目のハイキックも当たったんですけど、あそこからキャッチしてテイクダウンするのがティムは上手いんですね。僕もTUFの時、左ハイキック当てたんですけど、キャッチされたりして。ああいうのされてくると今度は蹴りが出せなくなってくる。ティムとやると、打撃が無さそうに見えてパンチとか蹴りも痛いし重さもある。ああいうボディワークで攻めて、しかもこっちがパンチで上体が上がった時にタックルも入ってくる。やっぱりもっとボディ入れてって欲しかった」と、MMAとしての散らしが必要だったとする。
試合前に朝倉からのテイクダウンや柔術的な仕掛けがないことが楽だと語っていたエリオット。このスタンドの立ち合いから、様々な格闘技が“ミックス”されるMMAとして、手札を欠いている朝倉は、日本ではそれを補ってあまりある強打を活かして戦い切ることができていた。
元UFC同級王者のデメトリアス・ジョンソン(DJ)は、スタンドの時点で朝倉の戦い方が「1次元だった」という。
「彼はキャリアのほとんどをリングで戦ってきた。四角の方が、相手を追跡するのははるかに簡単だ。それが彼が八角形のなかでティム・エリオットを追跡してコンビネーションを繰り出すのに苦労しているひとつの理由かもしれない(※JTTにはフルケージが設置されている)。彼は進歩していない。だからティムは生き残れる」と、試合解説をライブ配信しながら語っているDJ。
「これが、ティムが海を攻撃できる理由だ。海はグラップリングやクリンチ、レスリングに絡みたくない。だから彼は1次元でしか戦っていない。MMAでは複数の次元で戦えるのに、彼はそのための時間をかけていない。その次元で戦うためのレパートリーや自信を築いていないからだ。もしそれで誰かと戦った場合、相手をノックアウトできず、相手が攻撃できるなら、その時点で(打撃も)海の最も強い次元では無くなるから、ティムは彼を操ることができる。もし海が異なるレパートリーを築けば、常に彼が一つの次元にとどまる必要はない。今や彼はここに閉じ込められている」と指摘していた。
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フライ級で出力が落ちてる(金原)
1R目に得意の形でテイクダウンでサイドを奪ったエリオットは、本誌の質問に「1Rの最初のテイクダウン後、彼は背中を下にして落ち着いた。彼が背中を下にすると、本当に自信がついた。“この試合は勝てる”と思ったよ」と答えている。
そして2Rに2回のテイクダウン。1度目はニータップで倒したが、すぐに立ち上がる朝倉の背中に乗ったエリオットは、両足はかからず。着地したエリオットに朝倉は、練習を重ねた動きで正対して離れることに成功している。
そして2回目はダブルレッグテイクダウン。朝倉はジャブを刺すが、スイッチを繰り返すエリオットはそれをあえて半身になって“誘い込むように”避けて後退している。
朝倉は右から左フックの強打で前に。腰が浮き、前足荷重になっている朝倉。それを潜ったエリオットはマット中央でダブルレッグでテイクダウンを決めた。エリオットが朝倉の打撃の姿勢を見切っていることがわかるカウンターのテイクダウンだった。
前戦で、パントージャにバッククリンチから胴にボディトライアングルを巻かれてリアネイキドチョークで敗れた後、朝倉は「純粋なタックルは多分取られないなっていうのはあったから、あそこは警戒してなかった」と、背後からの崩しを語っていた。
つまり、正面からのテイクダウンには、ほぼカットする自信を持っていた腰の強い朝倉だが、腰が浮くタイミングを取られて懐に入られた、この瞬間を、U-NEXT解説の金原正徳は違和感を持って伝えている。
「前回負けても本人はフライ級が適正だって言ってたんですけど、減量も上手くいって1Rの動きもいいんだけど、出力的な部分で結構落ちてるなって感じたし、今までもう1回踏ん張れた部分を、あんな簡単にテイクダウンされるのを見たことない。腰の重さ・軽さが、減量が少なからず影響してんだなっていうのを凄く思った。自分もバンタムに落として減量の減力っていうのを味わっているんで気持ちは分かる。バンタムで朝倉海を見てみたい」と、本来の「出力」がフライ級で出ていないと指摘する。
マット中央で倒され、ケージを使えない朝倉は、クローズドガードで背中をマットに着けた。
1Rゴング間際は、サイドポジションから朝倉は、エリオットの振りかぶった大きなエルボーを打ち降ろすスペースに、上体を上げて立ち上がった。
エリオットはこのムーブの残像が残っていただろう。
朝倉はいったんクローズドガードに相手を入れながらも、足を解いて右ヒザを胸に当てて相手を突き放す。1R同様に振りかぶって右ヒジを落とすエリオット。そこで立ち上がるために、体を起こした朝倉は左手をマットに着いてエリオットの右足を取りにレッスルアップへ。
その動きを待っていたエリオットは、がぶりから右手で朝倉の首を抱えて左手で朝倉の右腕をオーバーフックしてクラッチしてアームインギロチンチョークで後方に回す。その際でパスしたい朝倉に左足をかけて越えさせず。そのままマウントに。
エリオットは抱えていた朝倉の右腕を解除し、右のワンハンドで首を抱えて右半身で絞る。さらに朝倉の右肩を押してマットにつけて、そのスペースで左腕を差し込み、得意のノーアームのギロチンをセットした。
朝倉は左手でクラッチを剥がそうとするがエリオットの腕はタイトに喉下に入っており、朝倉は一度は右側にブリッジを試みたが動けず。右手で、タップした。
このフィニッシュをDJは、エリオットを称賛しながらも、朝倉の寝技の動きを「アマチュア的」と評した。
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朝倉海だけの問題ではない
DJは、「勝利を掴んだティム・エリオットに声援を送る。彼は私の予想を覆した。ティムはノックアウトされるだろうと思ってたんだ。海は新進気鋭のRIZIN世界チャンピオンだった。だが、彼には一つのスキルしかなかった。
(フィニッシュについて)海はMMAでは非常にアマチュア的な動きをした。彼は打撃打って手を投げ、相手が懐に入って来てテイクダウンされる。このとき(相手を遠ざける)フレームは無い。彼はレッスルアップ(※足を取りに行く動きを見せながら)で立ち上がりに行く。そこでティム・エリオットに頭と腕を差し出している。
海は手を使って戦っていないんだ。ティム・エリオットが仕事を終わらせる(極める)ためには、胸部に自分の腰を押し付ける必要があるため、手を腰に当てる(スペースを作る)。これは、2012年にジョセフ・ベナビデスを自分が倒したときと同じこと(※DJはマウントギロチンから腰を押して極めを防ぎ、潜りから足関節で脱出)。非常に簡単にサブミッションから抜け出すことができる。しかし、再び言うが、グラップリングは海の得意分野ではないため、慌ててしまった。海は相手の手を外せない状況で無理に手を外そうとしていて、あのクソみたいなギロチンに捕まってしまった」(DJ)
前述のように、今回の寝技師・エリオットとの試合に向け、逆算して対策も練っていた朝倉。極められないために、どう立ち合い当てるか、いかにテイクダウンを切るか、テイクダウンされたらいかにサブミッションを防ぎ、立ち上がるか。
MMAでは、すべての武器を使っていいし、使わなくてもいい。しかし、その動きは境目なく繋がっている。いまやグラップリングストライカーとも呼べる堀口恭司のように、組みが混ざれば打撃の質量も高まるのがMMA。
距離が近くなった2Rから、テイクダウンされて、スタンドに戻すことで首を取られた朝倉。残り1分。ラウンドマストのなかで初回を取っていた朝倉は、結果論としてはクローズドガードのまま凌ぐガードワークも考えられたが、メインイベントのように不可解なブレークが無い限り、トップから削られてラウンドは落としていた。となれば、3R勝負の戦略も問われることになる。
DJは「海を応援していた」という。
「海はグラウンドゲームを強化する必要がある。もし私が彼のコーチなら、6カ月間はボクシングは一切なし。全てグラップリングだ。ティムはいくつだ? 38歳か。
自分だったら? ティム・エリオットと初めて対戦したときと同じことをしたと思う。私は彼をレスリングで打ち負かすことができるし、彼は変則的な戦い方で良い仕事をしたと思う。しかし、あの試合で私が気づいたことは、組んだとき私はわざと彼に頭を与える、ということ。なぜなら彼はギロチンを狙うだろう? そしてギロチンは“フリーパス”だ。タックルで彼に頭を与え、頭の反対側にジャンプする。みんなあの試合を見返してみてくれ。それが私がやったことだ。彼がギロチンをかけて、私は頭と対角に跳んでパス(ガード)し、バックを獲っている。私はティム・エリオットを仕留めることはできなかったけど、彼は非常にタフで回復力がある。
私が海の立場だったら違った行動をとっただろう。彼のスキルセットなら軽快に動く必要がある。それで戦わざるを得ない状況では、常に後退し、相手がタックルすると、その腰は打撃ができる位置にはない。ただ後退しているだけだ。相手がテイクダウンを狙い、後退すると、フレームムーブが必要になる。 以前にも言った通り、MMAは世界チャンピオンになるのが最も簡単なスポーツだ。なぜなら、全体的に下手でも一つの分野、複数の分野で優れていればいいときがあるから。もちろんそれでも強くなければいけないが」(DJ)
一方エリオットは、試合後、「全体的なプランは、1R目を突破できれば、この試合は勝てる。そして、2R目でサブミッションを極めることだった。そして、まさにそれが起こった。いつもそうなるわけじゃないし、特に俺にとってはね。俺は計画が上手い方じゃない。俺は“ファイター”だ。楽しんでいるし、ミスを犯すこともある。俺はコーチにとって夢のような存在で。あなたの言うことを聞き、信頼し、何でも従う。でも同時に、コーチの悪夢でもあるんだ。なぜなら、俺は戦うことが大好きで、馬鹿なことをしてしまうから。それはただ、俺がそうしてしまう。
それにもう一つ、私はそれほど上手じゃない。俺はファイターで、戦うことが大好きだけど、技術的にはそれほどしっかりしていない。俺には何か違うものがあり、この試合でそれを示すことができたと思う。そして、海は俺よりも優れたマーシャルアーティストで技術的なファイターだが、MMAは“誰が最も優れているか”ではなく、“誰がより上手く組み合わせられる”か、“誰がゲームプランを機能させられるか”だ。俺は土曜日にそれを全て実現することができた」と、アスリートとしては朝倉が優れていたものの、MMAファイターとし、いかにゲームプランを遂行し、様々な要素を“組み合わせるか”が重要だと語っている。
ストロングポイントと弱点のバランスをどう取るか。リングでブレークのあるRIZINとのルールセットの差、階級適正、MMAにおけるケージレスリング、MMAのなかの柔術・グラップリングのレベル差、フィジカルの強いトップレベルとの国際戦、チームとしての戦略──さまざまな課題は、決して朝倉海だけの問題ではない。世界最高峰と伍するために、J-MMAが向き合うべきことが内包されていた、朝倉海の敗戦だった。