2025年8月1日、福岡県久留米市にヒクソン・グレイシー公認の「R柔術」をオープンしたヒクソン・グレイシーの黒帯・山田重孝氏が、パーキンソン病と闘いながら柔術を深めるヒクソンの近況と、その教えについて語った。
「R柔術」のRはヒクソン自身がサインした「Rickson Gracie」の頭文字から来ている。1997年10月の『PRIDE.1』から、ヒクソンと交流を持つ山田代表は、米国マイアミのヒクソンのプライベート道場に髙田延彦らとともに足繁く通い、その奥義を学んできた。高田は昨年、ヒクソンから茶帯を授かっている。
山田代表は、「私はヒクソン先生の黒帯で、ヒクソン先生に教わったことを忠実に広めていく事を、ヒクソン先生からも言われています。その教えを次の世代の方たちにもに教えていきたいと思っています」と、語る。
『柔術と護身術とバーリトゥードは繋がっている』
その教えは、バーリトゥード=何でもありの戦いのなかにおけるセルフディフェンスが想定されたものだという。
「ヒクソン先生の柔術は常に進化をしていて今でも流行りの技なども全て知ってます。その上で、柔術の本質の部分を追求している。ヒクソン先生の柔術はとても深みがあり、底がない。常にヒクソン先生からは、『柔術と護身術とバーリトゥードは繋がっている』と教えられて来ました。『R柔術』では護身に力を入れていくつもりです。一般の方も大事に教え、同時にキッズたちも育てていき、競技柔術でも将来的には世界に出していきたいと思っています」
ヒクソンに直に触れて感じる、その奥義とはどのようなものか。
山田代表は、「私のみならず現役黒帯柔術家が『マウントポジションから攻撃しろ』と言われて本気でチョークを狙いに行っても極められない。好きなポジションを取らせてもらっても何もできすにスイープされてしまう。トップでもボトムでも。手や足の置き方、頭や首の角度が重要で、ブリッジも止めることができないんです。
たとえば、立ち方、重心の置き方、下からの蹴り上げのときのヒザの曲げ方──当初は練習が終わった後、何もスパーリングをしていないのにクタクタになりました」と、そのディテールを語る。
その動きは呼吸に連動している。それをヒクソンは「息の置き方」と呼んだ。
「どこに息をためて、どう排出していくか。動いてる最中でも疲れないように、風船を膨らませながら指導を受けました」
ヒクソンは自身の著書で、「私の柔術を学ぶには、目には見えない感覚を磨く必要がある。だから私は自分の実践するものを“インビジブル柔術”と呼んでいる。ベースやコネクションを感覚的に理解できて初めて、生徒は柔術を理解できるのだと思う。この触覚の知識、その基本的な習熟がなければ、世界のあらゆる技術を学んだところで柔術の本質はわからない。
たとえばウパ(首のブリッジによるエスケープ)を誤ったやり方で何十年かやってきた生徒がたくさんいる。どこが間違っているのかを教え、いくつか小さな修正をしてあげると、彼らは新しい武器を手に入れ、私と出会う前にはなかった力を手に帰っていく。教える側にとっては実に喜ばしいことだ。
柔術は非常にアスレチックなスポーツになりつつある。私の考えでは、柔術の核心は護身術であり、競技ではない。競技は競い合うことが好きな人にとっては素晴らしいことだが、誰でも生き残る方法を学びたいはずだ。“攻撃者から身を守る方法、愛する人を守る方法”をね」と記している。
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パーキンソン病と闘いながら日々、道場で柔術を行う
そのヒクソンが、パーキンソン病を告白したのは2023年のこと。姪のキーラ・グレイシーのポッドキャストに出演し、2年前からパーキンソン病と診断されていることを明かしていた。
発症から4年。手が震え、時折、ヒザが跳ね上がるなど、しばしば全身を振動が走る。「最初は何が起こるのか、病気の程度が分からないから、少し途方に暮れた。しかし、私はそれを『新たな敵』と捉えた。なぜなら、私にとって諦めることは選択肢にないからだ。もし私が17歳でパーキンソン病の宣告を受けたら、大きな衝撃を受けていたかも知れない。人生経験が浅く、自分というものが分かっていないから。でも今日まで人生でさまざまなことをしてきた。自分が何者なのか分かっている。パーキンソン病を自分に順応させるつもりだよ。ハッピーな知らせではないけれど、可能な限り快適な状態にしていく」(ヒクソン)
ヒクソンが毎日欠かさず行っていることの一つは、道場に行くことだ。
山田代表は、パーキンソン病を抱えたヒクソンが、不思議と柔術の指導のときに、その症状が出ていないことに気づいた。それは、同じ病を患う腕利きのガラス職人が、ガラスを切るときは、決して腕がブレない姿を想起させたという。
10代でズールーと素手のヴァーリトゥードを戦ったとき、「私の心は私を裏切った」
ヒクソンは25年夏、地元メディアに、闘病での心の持ちようについて語っている。
「これはパーキンソン病から学んだことだ。否定したり、自分に何か問題があると感じようとしているが、私には何の問題もない。それは人生のプロセスであり、私はそれを受け入れられる。そして、もし私がまだ人々を鼓舞でき、人々を助けることができ、知識を提供し、支援できるなら、生きていることが素晴らしい日だと感じる。だから、感謝や希望を感じないことは難しい。妻と私はそのマインドセットを愛し、決して諦めないことを大切にしている」
そのマインドセットを学んだ最初は、1980年4月25日にレイ・ズールーと素手のヴァーリトゥードを戦ったときだという。
「19歳の時、父が年配の人と話しているのを見た。私は父のために戦うつもりだった。その人は彼らの友人であり、その男が私の父をブラジルの首都に招待したんだ。プロのズールーの試合を観戦するためだった。その選手は30歳で、200ポンド(90kg)以上で、125戦無敗だった。そして彼は、自分を助けてくれる人を探していた。
私はその会話を聞いていた。父が『ここにはプロはいないが、息子ならできる』と言った。しかしその男は『息子を連れてくるな。彼は19歳で若すぎる。この男は怪物だ』と言った。父は私を巻き込んで試合を見に行かせた。結局、その日から1カ月後に試合が設定され、ブラジルに行ってズールと戦った。
1R終了時、私は非常に疲れていた。父に『止めたい』と言った。『もう戻りたくない。痛くないし大丈夫だけど、ただ疲れてる』と。父と議論し、行きたくないと主張した。兄が氷の袋を持ってきてくれた。ベルが鳴り、彼らは私をリングに押し込み、『2R目で3分間戦えば、相手を絞め落とすチャンスだ』と言った。それが私にとっての恐怖だった。
もし一人でいたなら、私はパニックになっていた。でも、自分が予想以上に多くのものを持っていることに気づいた。勝つことはできたが、私の心は私を裏切った。その夜は勝利だったのに、私はそれを調整する必要があると感じ、人生にこの精神的な導きを組み込むことがいかに重要か理解し始めた。“死さえも信頼せよ、しかし決して諦めるな”と。だからこの戦い後、自分に『死を選ぶ』と誓った。あのとき、時間前に諦めることを自分に強いた。次に戦う時は、兄弟か父が私を救いに来ない限り、私は死ぬまで諦めない」
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『死のステータス』を持つこと
「死ぬには良い日だ」──と戦いへと向かってきたヒクソン。しかし、それは死に向かうためのものではなく、死を思い、諦めずに生きるための決意の言葉だった。
ヒクソンは、「病気の安定化だけでなく、改善に焦点を当てている。それが私の目標だ」という。
「パーキンソン病を克服すること。可能かどうか、達成できるかどうかは分からないが、私の心には別の敵がいる。正直に、真剣に取り組む必要がある。身体は衰えていくが、私の中の精神性が成長している。私のなかのポジティブなマインドセットを維持する能力が、メンタルヘルスが成長している。だから、たとえ肉体的に分断されていても、人間として進化し続けていると感じている。その精神性は私たち全員が自分自身とつながるために必要なものだ。希望がなければ、視覚化がなければ、信仰がなければ、精神的に良い戦略がなければ、それはほぼ不可能だろう。
だから、武術を人生に取り入れ、武道家として日常を生きるためのツールとして活用している。私の“対戦相手”は、私から学び、成長するのを待っているようなものだ。そのため、私は非常に前向きで、最善を尽くすために必要なことを全て行い、それでも前向きで、他者への支援を続けるようにしている」と、柔術を通して、よりよく生きるためのマインドを作っていると語る。
そのマインドセットのために、ヒクソンは「死を使命として受け入れる」こと。「人生における自分の“戦略”を理解し、自分の人生を自らコントロールすることが重要」だという。
「諦めない気持ちを維持するために、使命として『死のステータス』を持つ必要がある。これはスポーツのような活動では普通ではないが、ネイビーシールズやSWATチーム、消防士のように、110階建てのビルに子供を救うために駆け込み、全てが崩れ去り、死んでしまうような状況では普通だ。あるレベルの人々は、死を使命として受け入れる。
私は自分をスポットライトとして位置付けない。実際、私は家族を代表するか、自分の命を捧げるか、どちらかだ。なぜなら、私にとってそれは単なるスポーツを超えたものだから。それが私の子供を養う方法であり、私が世界の中で自分を見つける方法だ。だから、彼らを代表するために、持てる全てを捧げなければならない。それが私にとって、人生に精神性を組み込み、たとえ勝てなくても挑戦する方が良いと受け入れる転機だった。
たとえば、冷たい水のなかで呼吸をコントロールする。自分がコントロールできていると感じた瞬間、すでに冷たい水から出る準備ができている。長く滞在したくないが、恐怖が冷静さを保つ能力や正しい呼吸を妨げないよう確認するためだった。だから、苦痛の瞬間への準備を求めていた。その瞬間、精神的な要素を受け入れ、悟りを探していた。
瞑想的な心の状態。通常のスポーツでは、そのような状態は訪れない。だから、私は一生をかけて武道を訓練してきた。これらのツールは、誰もが最高の自分を目指そうとする際に活用できると思う。必ずしも格闘家である必要はない。人生における自分の戦略を理解し始めることが重要だ。戦略を立てないなら、良い武道家ではないだろう。感情だけで行動してはならないことを理解する必要がある。戦略を立てることは平和であること。視覚化すること。
基本的には、戦いに勝つために命を懸けることになる。私はすべての状況、すべての視覚化、すべての可能性を受け入れる。現実世界で何が起こっても、私は既にその経験がある。私は既にそうしている。
チャンピオンでなくても、車を買う方法や人間関係を築く方法、病気と戦う方法、このことやあのことをどうすべきか戦略を立てることはできる。しかし、そうしなければ、自分自身を他人の手に委ねることになる。だから、私はそれらの要素、それらの精神的なツールを、人生だけでなくスポーツキャリア、柔術でも活用し始めたんだ。柔術を必要としている人たちのために、もっと柔術を変革していきたい」
最後に、メッセージとしてヒクソンは、「世界があなたに対して逆境を向けているわけじゃない。みんな問題を抱えているし、みんな死ぬんだ。だから諦めるのは選択肢じゃない。私は柔術を通して自分の人生をコントロールし続ける。幸せでいるし、文句を言うより感謝する方がずっと多いんだ」と大きな笑顔を見せた。
ヒクソンがいつか再び来日したら、R柔術で指導する姿を見ることができるだろう。
◆『R柔術』〒830-0017福岡県 久留米市日吉町16-1ダイマンビル3FTel.0942-27-5730