2019年10月12日『RIZIN.19』大阪大会で、朝倉海(トライフォース赤坂)に1R 0分54秒 TKO負けし、顎を2箇所骨折、15日に手術を行った佐々木憂流迦(セラ・ロンゴ・ファイト・チーム)が、手術が無事終わったことを報告。「俺は絶対に諦めない」と復帰を誓った。
15日午後7時49分、SNSで「手術終わった。みんなの声のおかげで心を強く保てた。みんな大好きだよ。ありがとう」というツィートとともに、酸素マスクをつけて多くのチューブに繋がれたままベッドに横たわりながらも右手でガッツポーズをした写真を投稿した佐々木。
手術翌日の朝5時52分にも、「俺は絶対に諦めないよ。リベンジもしたいし、RIZINで絶対に1番を取る。絶対に諦めない。諦めたら終わりだから。ただ、年末は最高のバンタム級の1戦があります。朝倉海 @kai_1031_ VS 堀口恭司 @kyoji1012 俺も絶対見に行くし、最高の2人が最高に楽しみ。ファンの皆様、盛り上がって行きましょう!」と、術後の厳しい状態にありながら、復帰とライバルたちの戦いに思いを馳せていることを記していた。
今回の手術の経緯について、On The Road Managementで佐々木憂流迦のマネージャーを務めるシュウ・ヒラタ氏は本誌の取材に以下のように語る。
「憂流迦選手がツイッターに載せた写真を見て頂ければお分かりになると思いますが、顎が二箇所綺麗に折れているので、ここに自然消滅するクッションを入れるか、または鉄板を入れるか、という2つの選択肢がありました」
その2つの選択肢のなか、「鉄板を入れる」ことを決めたのは、佐々木の怪我の状況の深刻さが大きかったという。
佐々木は「試合の日が1番きつかった。三連休で先生がいなくて固定が出来ず、顎閉まらないまま口から血が止まらずもそのまま寝る事に。飲み物も飲めず。仰向けだと血で溺れそうになるからうずくまってウトウトするも気づけば布団が血まみれ。結局寝れず」と、手術を待つ時間の厳しさを記している通り、1日でも早く手術を行う必要があった。
ヒラタ氏は「顎にクッションを入れた場合、細菌が入る可能性があるということと、そのクッションが入院していた病院に無く取り寄せないといけない=手術をするまで時間がかかるとのことだったため、これ以上痛みがあるままで放っておくのは厳しいということ、また、専門家の意見を聞いていくと、鉄板にした方が顎の骨も強くなる、ということも分かり、鉄板を入れることにしました」と、手術方法を決定した経緯を説明する。
そして、16日に無事、手術は成功。
今後の復帰プランについてヒラタ氏は、「主治医の方は、鉄板が入ったままでも試合ができるとは言ってくださっていますが、『骨が固まったら早くて半年後、遅くとも10カ月後には鉄板を外す手術をしないといけない』と言われているので、それも含めて、どういったカムバック・プランがいいのか、これから主治医そして他のドクターたちの話も総合して決めたいと思っています」と、慎重に術後の経過を見ながら決めていくとしている。
鉄板で繋いだ顎の骨。固定期間は流動食で、リハビリも必要となる。そして、鉄板のプレートを外す再手術が待っている。佐々木は、復帰までの厳しい道のりを根気強く過ごしていかなければならない。
「もちろん憂流迦選手は、まだまだ諦めないつもりです。これは、私が常に選手たちに言っていることなんですが、プロスポーツとプロのアーティストは辞めたらお終いですが、諦めずにやり続ければ、いつかチャンスが訪れるかもしれない。コンディションを整えられる状態で、もしその可能性に少しでも賭けたいのなら、辞めるという選択肢はないはず。そして、後々、後悔しないキャリアにしよう、と。選手を辞めて、第二の人生を始めたときに、今ほどのスポットライトを浴びることができる可能性はそんなに高くないのだから、常日頃の取り組みも含めて、とにかく後悔しない選択をしよう、と話し合っています」
佐々木は手術後、開かない口の代わりにメッセンジャーで、ヒラタ氏にこう告げたという。
「シュウさんが言ってたように、諦めたらそこでもう終わりですね。強くなって戻ります! これからもよろしくお願い致します。負けて良かった、と後々言えるように、最高のストーリーにします」「彼のハートはまだ壊れていないと感じました」とヒラタ氏は、佐々木の言葉に感銘を受けながらも、ファイトスポーツに関わる者として、「私たちマネージメントチームは、常に選手たちのライフ・アフター・ファイティングのことを考えないといけない。どう考えても危険な場合や、後遺症が残りそうなことに関しては絶対にストップをしたいと思っています。そこも含め、今後のプランは慎重にみんなで相談して決めていきたいと思ってます」と、選手生活と同時に現役を退いた後の人生も豊かに暮らせるようにアドバイスしていくことを語った。
「今の主治医によると、17日か18日ぐらいには東京に移動できるとのことなので、退院日とその後のケアに関して、ドクターたちと相談して決めていきたいと思います。専門家たちの意見を総合して、憂流迦選手の希望も聞き、安全なカムバックプランを考えたい。本人は……来年、RIZINでもしバンタム級GPをやるなら出たいとは言っていますが、とにかく今は治療に専念して、今後の人生に支障をきたさない復帰案を考えていきたいです。急いては事を仕損ずるとも言いますし、慎重に一番いいカムバックまでの道のりを作りたいと思っています」(ヒラタ氏)
RIZINで負け無しの6連勝を決めた朝倉海は、試合直後の佐々木憂流迦の「顎2箇所骨折で歯も吹っ飛びました。試合前めちゃくちゃ動けたし、気合いも超入ってた。朝倉海君めちゃくちゃ強かった! 有難う」のツィートに対し、「ウルカ選手ありがとうございました! また一緒に格闘技盛り上げましょう」とエールを送り、「格闘家は命をかけて戦ってる。だからこそもっとたくさんの人に見てもらいたい」と観戦を呼び掛けている。
また関係者からも佐々木にエールが送られている。
2006年5月、HERO'Sのメインイベントで山本“KID”徳郁と対戦し、試合開始直後にKIDが放った左跳びヒザ蹴りを顔面に受けKO負けを喫した宮田和幸だ。当時、宮田は下顎骨を骨折、折れた顎をワイヤーで固定する手術を受け、長期離脱を余儀なくされた。
宮田は今回の手術後の佐々木のツィートに、「1番痛い麻酔無しで全部の歯の間にいれる針金固定も終わってるみたいだから、あとは鼻からのチューブ生活かな。自分は悔しくて5ヶ月後に試合したから大丈夫だと思います」と復活を期待するツィートを送っている。
試合後、「俺なんか比べものにならないくらいつらい状況でも前を向いて、そして人を思いやる心を持つ本当に強い人がいる。こんな怪我なんかに負けない」と自身を鼓舞していた佐々木は、手術後、「退院して回復したら、RIZINショップでファンの皆んなに会いたいな。自分たちだって色々な状況があるのに応援してくれて、とてつもないほどのパワーを送ってくれてる。本当に励みになっています。もちろんここ(SNS)でも感謝を伝えたいし、直接会って感謝を伝えたい」と、ファンに怪我から回復した姿を見せて、直接サポートの感謝を伝えることを目標のひとつとしていくことを綴っている。
憂流迦の名の由来は「天狗」であり「彗星」でもある。再び佐々木がバンタム級の太陽に近づく日はいつになるか。復活まで、さらなる闘いが待っている。