(C)GONG KAKUTOGI/PFL/Bellator
2025年4月27日(日)東京・立川ステージガーデンで開催される『PANCRASE 353』(U-NEXT配信)にBellator、PFLで活躍するゴイチ・ヤマウチ(ブラジル)がPANCRASE初参戦。24日、都内で公開練習とインタビューに臨んだ。
▼スペシャルワンマッチ ウェルター級 5分3R
内藤由良(リバーサルジム横浜グランドスラム)第15代ミドル級KOP 6勝1敗
ゴイチ・ヤマウチ(ブラジル)29勝7敗
愛知県安城市出身、日本人の父親と日系ブラジル人の母親との間に生まれ、3歳の時にブラジルのパラナ州クリチバに移住し、BJJ、ムエタイ、ボクシング、レスリングなど様々な格闘技を学び、2010年にプロMMAデビュー。北米メジャーでも活躍し、MMA29勝7敗。うち21の一本勝ちを誇る。
今回、米国DWCS帰りでミドル級から初めてウェルター級に転向する内藤由良(リバーサルジム横浜グランドスラム)を相手に、ゴイチ・ヤマウチは、「体格差も大事だけど、試合経験には敵わないもの。だから僕が有利だ」と語った。
日本で生まれ、PANCRASEに出ることは夢だった
──Bellatorでのインタビュー以来、お久しぶりです。お元気ですか。
「元気だよ! 久しぶりです。日本での試合は久しぶりだし、またこうして話せるのは嬉しいし、日本に戻って来れて嬉しいです」
──昨年は、BellatorがPFLに買収され、PFLで2試合を戦いました。新たなルールや試合方式で戦ったことは、ゴイチ選手にどのような影響を与えましたか。
「本当にいい経験になった。ネイマン・グレイシーとの再戦もあったし、結果は前回と同じく勝利したけど、準備をする過程は全く違った。特にPFLはトーナメント形式だったので、次の試合ではアンドレイ・コレシュコフと戦うことになったけど、正直、怪我がひどくて……。言い訳にはしたくないけど、このトーナメント形式の戦いは本当に大変だった」
──2カ月おきに試合が組まれる。そこで欠場すれば次に進めない。定期的に試合が出来るという反面、連戦を義務付けられるのは大変ですね。
「結局、一番大事なのは『コンディションを保つこと』だった。あのときは背中をひどく痛めてしまって、思うようなトレーニングができなかった。でも、それも学びの一つだ。Bellatorとは全然違う環境で、正直Bellatorが恋しいよ。でも、PFLでの経験も無駄ではなかったし、こうしてPANCRASEで次のステップへ進みたいと思っている」
──コレシュコフ戦ではゴイチ選手の右の蹴りにカウンターをもらいました。スタンドで狙われていたと感じましたか。
「うーん、コレシュコフの戦略は明らかにスタンドで戦うことだったと思う。でも、さっき言った通り、僕自身が怪我のせいで打撃の攻防に耐えられる状態ではなかったんだ。背中の痛みがひどくて……正直、どうやって2回もテイクダウンを取れたのか、自分でも不思議なくらいさ。あれはもう、必死だったから。本当なら、もっとしっかり準備して挑みたかったけど……。とはいえ、言い訳にはしたくないし、彼の方がその日は強かった。それでもフルラウンド戦うことができて、この試合でたくさんのことを学んだし、いつか再戦したいとも思う。僕は、自分が負けた相手全員にリベンジしたいと思っているんだ。いつ実現するかは分からないけど、もし100%の状態で戦えるなら、僕は彼ら全員に勝てると信じている」
──敗れた相手全員にリベンジしたい……ゴイチ選手のファイターとしての気質を感じます。今回の内藤由良選手との試合に向けて、これまでのゴイチ選手の試合を見直していたのですが、修斗ブラジルでの試合で、サウスポー構えから右のキックを出してからチョークを極めていましたね。あの打ち方を見たときに、左右どちらでも構えるあなたは右利きなのではないかと感じました。
「本来は仰る通りオーソドックス(右構え)なんだ。でも今はどっちでも戦える」
──ネイマンのジャブを額で受けて右アッパーで仕留めたように。
「そう、そしてサウスポーでも強い打撃が打てる。ISAO戦のときのようにね」
──あのときダウンを奪ったのはサウスポーからの左ストレートでしたね。その2015年のISAO戦以来、9年半ぶりの対日本人選手との戦いになります。そして日本での試合は2019年12月の『Bellator JAPAN』でダロン・クルックシャンク選手に一歩勝ちして以来となります。
「本当にアメイジングだ。嬉しいよ。前回はBellator参戦時にここ日本で試合をしたけれど、今まで20戦以上した中で、日本で試合をした時のあの試合が一番良かったと記憶しているんだ。なので、今回また日本で試合ができることがすごく嬉しい。
ただ、日本行きは、僕にとって最も長いフライト(笑)。それが唯一、大変なこと。でも、それ以外は最高だ。日本は試合をするのにも過ごすのにも、住むのにも最高の場所なんだ。一番大変なのは飛行機に乗ることだけ。日本には家族もたくさんいるし、本当に快適だよ」
──ブラジルのクリチーバから40時間ほどかけて来られたのでしょうか。
「そう、だから今回はちょっと早めに、1週間前に余裕を持って来日した。そして、木曜日にPANCRASEの準備しているホテルに移動したんだ」
──愛知県安城市で日本人の父親と日系ブラジル人の母親との間に生まれ、3歳の時にブラジルのパラナ州クリチバに移住したと聞いています。幼い時期ですが、日本の思い出もありますか。
「もちろん、たくさんのことを覚えているよ。当時、3歳でそんなに記憶することってないと思うんだけど、でも、日本のことは本当によく覚えている。学校での勉強、学校でトラブルを起こしたこととかもよく覚えている(笑)。家族と一緒に日本で過ごした記憶もあるんだ。だから、そんな日本で試合できることをとても嬉しく思っているよ。PANCRASEに出ることは夢でもあった。伝統があって、すごく歴史の古い団体だし、子供の頃からもずっと見ていたんだ。今回参戦することができて非常に嬉しいよ」







