2024年11月23日(土)東京・後楽園ホールで開催された『RISE 183』にて、秀樹(新宿レフティージム)の引退セレモニーが行われた。
秀樹はフィジカルの強さを活かしたパワフルな打撃でRISEライト級のトップクラスに君臨。2019年2月には白鳥大珠と第5代ライト級王座決定戦を争っている(白鳥がTKO勝ち)。また、『KNOCK OUT』のスーパーライト級トーナメントでは準優勝を果たした。2020年1月、原口健飛とRISEライト級王座決定戦を争ったが、1R2分23秒、KO負けを喫して悲願だった王座獲得ならず。
2021年1月には直樹とRISEライト級王座決定戦を争うも判定3-0で敗れている。そこから2連勝を飾ったが2022年4月、白鳥との再戦に臨み延長戦の末に惜敗。引退試合として2023年8月、第5代RISEスーパーフェザー級王者のチャンヒョン・リー(韓国/RAON)との試合に臨み、判定3-0(30-27×3)で完勝を収めた。生涯戦績は22勝(11KO)6敗。
セレモニーでは同門の工藤政英、金子梓、対戦した白鳥大珠、原口健飛、伊藤隆RISE代表、師匠である浜川憲一会長、そしていつか夫人と子供たちから花束や記念品が贈呈された。
秀樹はマイクを持つと、次のように語った。
「RISEでのファイターライフを振り返った時に挑戦・挫折・再起の3つをサイクルしていたように感じます。その過程の中で僕は数多くのことを学ばせていただきました。その中でも物事に対しての捉え方、その捉えたことに対してのアクションの起こし方、この点にかなり学びが多かったと感じています。
僕は22歳の頃に新宿レフティージムに出会い、今の妻のいつかが所属していたジムに出会いました。そこでは9人のプロと一緒に王者を目指していました。1年間やりきって、僕は2年の社会人生活を送りました。そこでしっかりと結果を残して2年後にキックボクシングのこのRISEの舞台にカムバックしてきました。その時、他の選手は引退して、当時RISEで活躍していた工藤政英、金子梓、そして僕と計4名の選手と切磋琢磨しながら王者を目指して挑戦していました。そして最後に僕が引退試合を行った頃には、僕一人とデビューしたての軽量級の若い2人、あとアマチュア選手、この4人でチャンヒョン・リー戦に臨むことになっておりました。
はたから見たら無謀なチャレンジに見えたかもしれませんが、僕はこのメンバーで必ず勝つと決めて行動に移しました。スパーリング、準備運動からもジムに入った瞬間から試合当日をイメージして毎日緊張感をもって恐怖に怯えながらも毎日を過ごしました。あとは選手としての高いマインドが落ちないように原口選手や白鳥選手などトップ選手たちの動画を見て、高いマインドをキープしながら、勝手にその日に彼らとスパーリングをするんだと思い込んで緊張しながら練習に臨みました。アマチュアだらけの選手の中でも緊張感をもって高いモチベーションをもってやりにいくことが出来ました。
人が挑戦する時って困難にぶち当たるもので、困難にぶち当たった時って誰かのせいにしたり環境のせいにしたりして逃げたくなる時もあると思いますが、その中でも自分に何ができるのか、そのためにどんな工夫をすればいいのかを常に考えながらベストを考えてやり切ってチャンヒョン・リー戦を迎えました。その小さな積み重ねでも積み重ねていくことで大きなものに変わっていくんだと実感しました。
おそらくRISEファイターにも同じように困難に直面して前へ進めるか迷っている選手たちもいると思うんですけれども、僕はそんな選手たちを応援したいと思っています。選手たちでなく今を生きている困難に直面している悩んでいる人、そんな人たちに今話した内容を少しでも思い出して力になってもらえればと思います。
最後になりますが、これまでどんなに苦しい時でも僕の練習環境を作ってくださった浜川会長、ジムのみんな、家族のみんな、講演会のみんな、本当にありがとうございました。また、どんな環境でも僕の居場所を作ってくださったRISE関係者の皆様、本当にありがとうございました。そして僕がどんな絶望的な状況になっても最後まで応援し続けてくださった皆様、本当にありがとうございました。皆様のお力添えがあり、ここまで挑戦することができ、本当に感謝しております。本当にありがとうございました」
最後に10カウントゴングを聞き、秀樹は現役に別れを告げた。
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引退会見
大会前日の計量&記者会見では、引退会見が行われた。
秀樹「僕は去年の8月26日に大田区総合体育館にて引退試合を行いました。対戦相手はスーパーフェザー級のチャンヒョン・リー選手と試合をしました。そこでの下馬評では多分、僕が1RでKO負けを予想していたかと思いますが、何とか勝利することが出来ました。チャンヒョン戦では数多くの困難があり、その中でも客観的に自分を見つめて今の自分に何が出来るのかを集中して試合に臨むことが出来ました。
特に僕はアゴが弱いという弱点があって、本当にガラスのアゴを背負っている状態でやっている中で、最後RISEを体現したい、倒しに行く、攻めに行くスタイルを確立させて挑戦したいと思い試合に臨みました。チャンヒョン選手は攻撃力もあるし、強い選手だったのでリスクもかなりありましたが、その中でもやれることをやって結果を出すことが出来たと思っています。
この試合では客観的に自分を見つめて弱い自分と向き合って今の自分に何が出来るのかということに集中して結果を出す、ということを体現することが出来て凄く学びが多かった試合だと思います。今後はその学びを活かして次のライフステージへ向けて活かしていきたいと思います。やり切ることが出来たのも皆様の応援・お力があってのことだと思いますので大変感謝しております。ありがとうございました」
――引退試合から1年3カ月空いたのはなぜ?
「僕も引退セレモニーはないものだと思っていたんですけれど、そこを伊藤代表のお心遣いで開いていただけることになったと思います。1年3カ月空いて、リングに上がる以上は選手としてのマインドをもう一度蘇らせてから上がりたいとの思いで、ここ2週間くらい追い込み練習と少し減量をして本日を迎えています。今68kgくらいですね(笑)。ライト級にはほど遠いですが、つらい思いとかを思い出して、選手の気持ちに近い状態で迎えています」
――輪郭がかなりほっそりしている。
「計量オーバー(した選手がいたら)したら自分がやりますくらいの気持ちで作ってきたので、その作ってきた時間が今の顔に出ているのかなって。何もしないとヘタレの顔になってしまうので、会場へ来ていただける、ABEMAで見ていただけるお客さんにもしっかり準備してその日を迎えたことを僕なりに表現したかったのでアクションを起こしました」
――完全燃焼した?
「何よりも勝つだけじゃなくて、どんなシチュエーションでも判定でも最悪延長でも勝つっていうどのシチュエーションでも勝つっていうコンディションに準備していかないといけないという部分では、メンタルが凄く大事だと思うんですけれど、あそこまでのメンタルを作り上げるのはもうあの時以外は出来ないというくらいまで集中して取り組んだので、やり切った感覚でいます」
――今はキックボクシングとどういう携わり方をしているのでしょうか?
「キックボクシングは純粋に大好きなので、今は後輩の育成であったり、一般の方にキックボクシングの素晴らしさ、ダイエットも含めてキックボクシングって素晴らしい競技だと思うので、試合もそうですしフィットネスでキックボクシングを活かしてという部分でも自分なりに組み立てて伝えていければとの想いで過ごしております」
――キックボクシング人生の一番の思い出は?
「共通してありがたいと思う気持ちがあって。僕、28戦して負けが6回あって、そのうちタイトルマッチが4回。タイトルマッチで4連敗していて命削る想いで準備して。本当に苦しい時間を過ごして臨んで、それが1分半で散ってしまう経験もして。その中でも終わった時におうちに帰ろうかと。自分の帰る家がある。その感覚を言葉として出してくれた嫁のいつか、その瞬間は凄くありがたいなと思います。
負けて苦しい時に帰る家があるという場面で凄くあったかい気持ちに毎回なっていました。答えになっているか分からないですけれど、その場面が凄く思い出というか。苦しい場面でも帰る家があるっていう一面が格闘人生の中であとから思えばやってよかったなと支えになっていたんだなっていう場面ではありました。すいません、ちょっと難しくて」
――仕事はどうしているか?
「今はレフティージムでパーソナルトレーニングとか、あとは普通に会社員の手伝いみたいなのをやっていますね。僕はキックボクシングを活かして、僕は身体の使い方が下手だったので、強い選手とやるにはいかに身体の使い方だったりを効率よく使って、かつパワフルなエネルギーを生み出すかってことを後半特に考えながらやってきたので。僕の5年前の試合とチャンヒョン戦って戦い方が違うと思うんですけれど、それは自分の身体の使い方のヘタクソな部分を考えながらやってきたので、それを今度は他の人に教えてあげる。他の人の違う身体でもその特徴を活かして効率的な攻撃に転換させてあげるってことを強みとしてパーソナルトレーニングとか、ジムでのレッスンにも活かしてやっています」
――キックボクサー人生は楽しかった?
「ひと言でいうとつらかったです。めちゃくちゃつらかったです。試合も楽しいと思ってなかったし、でも残るものが大きいと思っています。タイトルマッチで4連敗しているし、その中で再起戦に勝ってベルトは獲れなかったけれど当時の王者チャンヒョン・リー選手に勝った経験もデカいと思いますので、その連敗があったからこそ語れることもあると思うし、今の後輩の育成でもその経験でつらい時にどんな言葉をかけてあげればいいかって、人の傷みが分かる分、支えてあげられる。想いを寄り添ってあげられるということが出来るようになったので、それはそれでつらかったですけれど、凄く今後に活きるためのやり切った格闘技人生だったなって。凄くよかったと思っています。後悔はありません」