クラスから3人選抜で公園で殴り合った
――服を着ていると身体つきは普通の人に見えます。新井選手は格闘技を始める前は何かスポーツをしていたのですか。
「元々はちょろっとサッカーをやって、小中と。ポジションはサイドのハーフ。ウィングで動いたり、攻める系。当時は本当にパス回してゴールに向かって蹴っていくくらいしかやってなかったですね」
――縦に行ったり来たり、運動量が必要ですね。
「まあでも身体能力も目立つほどでもなかったです」
――サッカー少年だった。格闘技は?
「格闘技は小学校くらいからプロレス見てたんで。そのときから血だらけになっているような、金髪の高山(善廣)さんとか。あんな悪そうな人いるんだなと思って」
――悪役が好きなんですね。そういえばジョン・シナのタトゥーを腿に入れていましたね。
「そうですね、悪役がやられてもやられても諦めずに逆転する姿を食らって。それが“NEVER GIVE UP”の原点なんですよ。最初は子供の頃にプロレスごっことかもしてたし。中学生くらいになったらグローブとかヘッドギアを買い揃えて、クラスで3人選抜を出して、俺ともう1人仕切りで、総合チックな地下格みたいなスパーをしてました」
【写真】新井がインスパイアされたという山本“KD”徳郁、トリプルH、ジョン・シナのタトゥー。
――選抜? それは悪いやつですね(苦笑)。いったいどこで?
「ちょうどリングみたいな公園があったんですよ。そこに2人で閉じ込められて。下はコンクリで」
──危ないからよい子は絶対に真似しちゃダメです。
「他のクラスのやつらが斜め上から見ててそれを判定するみたいな」
――やんちゃ時代の梅野源治選手も同じことやってましたよ……。
「そうなんだ(笑)。それだけやりたくなっちゃうような、熱狂はしていましたね。素人ながら勝って、どっちかが肋骨いっちゃうときもありましたけど、調子良かったっすね」
――路上スパーからキック経験も何もなく、キングダムに入った。
「高校1年生のときですね。中学まではサッカーをちょろっとやったり、途中で辞めたりしたんですけど、高校上がったタイミングで、格闘技をやってみようかなと。地元で家から近かったんで選びました」
――入ってみて自分が思っていた通りでしたか。
「最初は圧倒されたし、自分もボコボコにはされたんですけど、ある程度プロとか選手でやっていこうって思い始めてからは、“ここじゃ厳しいのかな”と気づいて。というのもプロ選手がほぼいないから、トップに行くには限界があった。それで(和術慧舟會)HEARTSに移りました。キングダムから円満に移籍したので、それは大沢さんにも褒められますね」
──だからこそ今でも自主練習では以前の仲間にキングダムでミットを持ってもらっているのですね。
「そうですね。昔からやっている相方と。HEARTSでちんちんにやられたことを持ち帰って、自分である程度自由に出来る環境で落とし込んでいますね」
――キングダム時代からHEARTSには出稽古には来ていたのですよね。
「最後のほうに2、3回だけ。それこそいろいろ考え始めていたところなので、やっぱり日本で同階級で修斗とONEで王者にもなった最強の猿田洋祐さんがいて、しかも自分とは真逆のグラップラー。この人とマンツーでできれば強くなるなと思って、2、3回出稽古に来て、移籍を決めました」
――出稽古でやられて気持ちは折れなかったですか。
「“こんなに違うんだ”って思いました。でも全然ネガティブではなくて、この人にボコられれば強くなるだろうと」
――2022年7月に猿丸ジュンジ選手を1R KOに下してストロー級のベルトを獲ったときに、控え室で「もともと猿田(洋祐)さんのベルト」と言っていた言葉が印象的でした。同じ階級に猿田選手がいて、空手ベース、キック、レスラーと様々な選手がHEARTSにはいますね。そしてほとんどが新井選手より大きい。
「やっぱり自分より強い人に日々やられるというのはすごい大事かなと思います。猿田さんも含めて、ここでは俺が一番ちっちゃいんで。レスリングではライト級で江藤(公洋)さんがいて、三階級違うし」
――それだけ階級差があったら普通は組まないですよね。みんな自分より大きい。江藤選手のクラスは……。
「対戦相手はあんな重くないし、身長もデカくないけど、試合の練習というより、“江藤塾”はメンタルの補強ですね。気持ちをズタボロに折ってもらう。そこにしっかりと気持ちを作るって、練習から挑んでいくというのが大事なんじゃないかなと思ってます」
――大きな相手とやる、そのために日々の練習で「気持ちを作る」のは大変ですね。
「本当ですよ。日々積み重ねで、サボれない」
(※新井丈がヒロヤについて語る後篇に続く)