欠場選手のかわりに緊急参戦した『UFC 294』アブダビ大会で、階級上の王者イスラム・マカチェフ(ロシア)に挑戦し、1R TKO負けしたアレクサンダー・ヴォルカノフスキー(豪州)が、母国の空港で「ウォークライ」で迎えられた。
2023年10月21日の『UFC 294』でライト級1位のシャーウス・オリヴェイラが欠場。12日前オファーを受けて、ヴォルカノフスキーはアビダビ入りした。
完全アウェーのなかマカチェフとの再戦に臨み、1R、左の上下に散らされた蹴りを受けるなかで、マカチェフの左ハイを右手のガードの上にもらいダウン。鉄槌連打でマットに沈んだ。
2013年5月のAFC以来10年ぶり、UFCでは初のTKO負けを喫し、立ち上がったヴォルカノフスキーは、ケージの中で、「マカチェフは素晴らしいセットアップだった。素晴らしいキックだった。やっぱりそりゃもちろん負けるのは好きじゃないし、しんどいし傷つくけど、彼は凄いチャンピオンだよね。分かるだろう。普通、マカチェフとはこんな準備期間で戦うことなんてないだろう。でも自分は立ち向かうんだ。彼を称えなくちゃいけない」と勝者を称えた。
目が飛ぶようなKOの後に、気丈な姿を見せたヴォルカノフスキーだが、敗戦の味はいつでも苦いものだ。
24日に豪州に帰国したフェザー級王者は、マスコミも待つ空港で、険しい表情で到着口に降り立ったが、そこには屈強な男たちが待ち構えていた。
彼らは、ヴォルカノフスキーの到着を確認すると、空港でやおら「ウォークライ(ハカ)」を始めた。
通常、戦う前に気勢を上げる咆哮と舞踊はこの日は、敗れたヴォルカノフスキーの挑戦を称え、これからを鼓舞するものだった。
ウォークライの声に、右手で胸を押さえて敬意を示すヴォルカノフスキー。かつて、プロラグビーリーグチームのフロントローとして活躍していた彼にとって、地元の戦士たちの戦いの歌は特別で、失意の胸に響き渡ったという。
「驚いた。まさか自分が歩いているところにそういうのを見たことはあるんだけど……そう、まあだから多分ちょっと驚いて顔をちょっと覆ったよ……本当にめちゃくちゃ感謝している、みんなの応援に。信じられないほどだ。みんなに感謝を伝えたいし、ここにいるみんなには直接伝えるけど、これを通して見てくれている人にも、ありがとう。本当に感謝している、自分にとって本当に大切、大事だ。とにかく心配はしないでくれ、自分は元気だし、すぐに戻ってくるっていうことは保証する」
最後は笑顔を見せて、空港に迎えに来た3人の娘たちと抱き合ったヴォルカノフスキー。
14歳でレスリングからラグビーに転向し、ニューサウスウェールズ州のグループ7ラグビーリーグに所属するワリラレイク・サウス・ゴリラズのフロントローを務めたヴォルカノフスキーにとって、ラグビー「ユニオン」のワールドカップは縁遠いものであったが、12連勝中だったマカチェフとアブダビで戦うことは、彼にとっての「ワールドカップ」と言っても過言ではない大一番であったことは間違いない。
10月28日(日本時間29日朝)にファイナルを迎えるワールドカップでは、エディー・ジョーンズ率いる豪州代表ワラビーズが、史上初の1次ラウンド敗退。決勝戦では、ともに優勝3回のニュージーランドと南アフリカが雌雄を決する。
そんなか“もうひとつのラグビー”であるラグビーリーグとはどんなスポーツか。それがヴォルカノフスキーのファイトスタイルにどう影響を及ぼしたのか。本誌『ゴング格闘技』(NO.317)に掲載されたインタビューの一部を紹介したい。
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ラグビーリーグにはレスリングの要素が入っている
──ヴォルカノフスキー選手は、2歳の頃に始めたレスリングで、わずか1年ほどで国内王者になったのですよね。
「そう、グレコローマンさ。間違いなく僕の強靭さを作ってくれた要素のひとつだ」
──その後14歳からラグビーに転向されたとのことですが、その理由は?
「僕は12歳の頃にはもう今と同じくらいの背があって、同時にすごくがっしりした体格だったんだ。だからレスリングでは自分より2、3歳は年上の子供と当てられていたんだ。体重が同じとはいえ、子供にとっては大きな差だ。それでも僕は堂々と戦い、ほとんど負けることはなかった。“負けるだろう”と思われている試合ばかりだったけどね」
──アンダードッグだったと。
「常にね。それも今の僕を形成する大きな要素のひとつだ。いつだって“アンダードッグ”として、自分より大きい人間との戦いを経験してきた」
──現在もあなたの身長は、フェザー級としては相当小さいですよね。ましてやライト級では……。
「ラグビーでもそうだよ。168cmの僕が、190cm、130kgの相手とぶつかり合ってきた。フォワードの一番前だったからね。普通は“いてはならない場所”で常に渡り合ったのは、ただ友人たちと一緒にやりたかったというのが大きいよ。競技としても大好きだったしね。あともうひとつ、これもよく言うんだよ。僕がレスリングを止めたのは、もうあのタイツを着用したくなかったからだってね」
──なるほど(笑)。
「そして豪州ではレスリングはそれほど盛んではなかったんだよ。だから友人たちと別のものを追い求めたくて、ラグビーリーグを始めたんだ」
──ここでひとつ確認させてください。あなたがされたラグビーリーグというのは、豪州で特に盛んな13人制のものであり、日本で一般的にラグビーとして知られている15人制の競技──区別のためにラグビー・ユニオンとも呼ばれます──とは異なるのですよね。
「その通りだよ」
──ルールもいろいろと異なっていて、あなたのラグビーリーグの方では、相手をタックルで倒した後、レフェリーのコールがあるまでの数秒間相手を抑え込むこともあるし、逆に抑えられた方は少しでも早く立とうとします。そのためあなたのラグビー・リーグのスタイルの方が、国際的に盛んな15人制ラグビー・ユニオンのスタイルよりもレスリングやMMAに近いのではないですか?
「イエス! もちろんラグビーに必要なタフネス、強靭さ、ハードなコンタクトは全てMMAに通じるものだよ。でもそれだけでなく、ラグビーリーグの方にはレスリングの要素が入っているんだ。君が言ってくれたことに関して、興味深い話があるよ。僕らはちょうどうちの地元を代表するラグビーリーグのプロチームであるイラワラ・ドラゴンズの選手達にレスリングを教えてるんだ」
──!!
「僕とコーチのジョー・ロペスの2人でね。ドラゴンズは豪州のナショナルリーグで戦う、真のトップチームだ。レスリングはラグビーリーグにおいて重要だよ。特にディフェンスは相手を捕まえ、制して上になり、動きを止める必要がある。自分がいい体勢を取れたときに、相手をいかにコントロールするかを熟知する必要があるんだ」
──レスリングの中でも、ラグビーで特に重要なのはあなたがやられていたグレコローマンスタイルの方ですよね。上半身に組みついて、相手が持っているボールごとコントロールする必要がある。もし、フリースタイルレスリングのようにダブルレッグやシングルレッグを相手に仕掛けたら……。
「相手はボールをパスできるし、またすぐに立ち上がってプレイ・ザ・ボール(攻撃側の倒された選手が立ち上がって、ボールを後ろに蹴って味方に回すというラグビーリーグ独自の動き)することもできるよね。だからラグビーリーグでは、上半身に組みついてボールごと抑えてテイクダウンする必要があるし、その後も相手がすぐにプレイ・ザ・ボールできないように抑え付ける必要があるんだ」
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コンクリート職人とラグビー選手をしながら、MMAの試合に出た。いつかUFC王者になろうって
──本当に興味深いです。グレコローマンレスリング、ラグビーリーグ、MMAとあなたの辿った足跡には確実に共通性があるのですね。ところであなたはラグビーリーグで活躍しながらも、別の仕事もされていたのですよね。
「そうさ。僕の所属したウォーリラ・ゴリラズはいわゆるセミ・プロフェッショナルだったから。僕はコンクリート職人だったんだよ。で、MMAを始めた当時は、コンクリートも扱って、ラグビーリーグの試合も出て、同時にMMAでも戦っていたんだよ」
──すべて肉体労働ですね!
「僕は何かをやりたいと思ったら、絶対にどれも妥協しないんだ」
──ラグビーリーグでは大男たちとぶつかり合い、キャリア終盤にはチームを優勝に導き、最優秀選手に選ばれる等の大活躍をされたと聞きます。それほどラグビーに向いていたあなたがMMAを始めた理由は? ラグビーに役立てたかった?
「僕は昔からマーシャルアーツが好きだったんだよ。UFCもボクシングもね。だから以前からやりたかったし、ラグビーのシーズンがオフになった時が、格闘技をやるのにいい時期だと思ったんだ。オフシーズンに格闘技をやれば、次のシーズンまで良いコンディションを保てるからね。当時の僕の体重は約97kgだったんだけど、オフにサボって110kgとかになりたくなかったんだよ(笑)」
──なるほど。
「それでやってみたらすごく楽しくてね。だからコンクリート職人とラグビー選手をしながら、年に数試合、MMAをすることにしたんだ。そのうち、いつの間にかMMAに集中して夢を追いかけようと思うようになってたんだよ。UFC王者になろうってね」
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フェザー級で戻って来る。俺をいつも忙してしてくれ
前述の通り、アレクサンダー・ヴォルカノフスキーはラグビーリーグの選手から、MMAに転向し、2012年から7年をかけて王者マックス・ホロウェイを撃破。豪州出身者として初となるUFC世界フェザー級王座獲得に成功した。その対戦者のなかには日本の矢地祐介、粕谷優介、廣田瑞人も含まれる。
今回、緊急参戦で「ライト級」王座に2度目の挑戦を試み、敗れた。
試合前のインタビューで彼は「すべての試合、勝ったものからも学びがあって、勝利した試合でもやっぱり間違いというものは必ずどこかに見つかるものだ。いわんや、負けた試合だったらなおさら学ぶべきことは山積みで、実際に試合で起きていたことはテクニックそのもの以上のものがあるというか、そこのディテールが見えてくる。
なぜ上手くいかなかった? 逆になぜ上手くいったか──そこには小っちゃな小っちゃな戦いがたくさんあって、ミリメートルのほんの刹那で何かが変わる世界でやっているから、その詳細を紐解いていくようなことをしてるんだ。チェスの対戦のような頭脳戦で、自分はこの一手を打つとなると、じゃあ相手の動きは次はどうだ? ということをやり、その理解と、己の筋肉のメモリーというのを照らしわせる──そういう作業の繰り返しだ」と、勝因も敗因も検証して、身体の動きで確認するとしていた。
そして試合後、ケージのなかでヴォルカノフスキーは、こう語っている。
「(傷を指して)見ろよ? UFCにひとつ言いたいのは、俺をいつも忙してしてくれ、ということだ。自分は戦っていないと調子が良くないんだ。家にじっとしていずに、ジムでトレーニングして働いてないと頭が働かないからこの試合を受けた。だから忙しくしてくれ、次は1月にでも試合をしたい。傷も治療をしておく。(自身の階級の)フェザー級で戻って来るよ。いまここでやるべきはやったよね。それしか言うことはない。故郷のみんなありがとう。僕は元気だ。毎朝、感謝している。アブダビはいつもいい場所だ。もっといいショーを見せたかった」
フェザー級に戻り、早期復帰を望んだヴォルカノフスキー。アブダビ大会前には、2024年1月20日の『UFC 297』カナダ・トロント大会で、MMA14戦無敗・フェザー級5位の挑戦者イリア・トプリア(ジョージア)を相手にフェザー級王座6度目の王座防衛戦の可能性も報道されていたが、TKO負けから3カ月。60日間のメディカル・サスペンションを経て、再び減量して万全の状態に戻せるか。