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インタビュー

【INOKI BOM-BA-YE×巌流島】ジョシュ・バーネット「自分は、”猪木のサイボウ(細胞)”というべきもの。彼の“トウコン(闘魂)”を注入する」=12月28日(水)両国

2022/12/27 13:12
 2022年12月28日(水)東京・両国国技館『INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国』(U-NEXT生配信)の「中堅戦」で巌流島特別ルールで、シビサイ頌真(日本)と対戦するジョシュ・バーネット(米国)が26日、個別インタビューに応じた。  アントニオ猪木氏の追悼大会となる両国での試合に向け、バーネットはセコンドにUFC参戦中のビクター・ヘンリーを帯同。猪木氏との思い出を、噛みしめるように語った。ジョシュとの一問一答の全文は以下の通りだ。 自分はまだ『お別れ』を言う準備ができていなかった ──お久しぶりです。 「ヨロシク、オネガイシマス。日本には25日に着きました。ホントノヒサシブリ! タブン、サンネンブリ。随分長く空きました。サビシイ。ビクター・ヘンリーのRIZINのセコンドできたのが最後でしたね、あれは名古屋でした。相手は誰だっけ?」 ビクター えーっと、カネハラさん? いやトレント・ガーダムです。 ──アントニオ猪木さんの追悼大会に出場となります。猪木さんとの思い出を聞かせていただけますか。 「彼は、自分を新日本プロレスへたどり着かせた人の一人、原点ですね。自分が24歳で、フレッシュなUFCヘビー級チャンピオンだった頃から、ずーっとプロレスへの夢を抱いていましたので、他のことをしていたとして、全てはその道に繋がっているのだなと。猪木さんの存在は、自分にとってあまりにも眩い存在です。というのも私が彼のプロレスリングにおける考え方を理解するために、時間を割いてくれた人だから。自分にとって彼と過ごした時間があるということはどれほど幸運なことか。  たいてい彼の経験談、彼が抱いた他の試合に対する印象だったりというものを聞き、そこから学びを得ることっていうのは──それが彼の試合としてはどんなに古いものだったとしても──どんな風に彼が試合へのアプローチや、対戦相手へのアプローチを考えかつ実行していたのかよく理解できるし、彼自身からたくさんのテクニックを教わりました。  その時、すでに御歳75歳であったにも関わらず、とんでもないパワーがありました。彼のアキレス腱固めはいまだに相手に断末魔の叫び声をあげさせるものであったし、フェイスロックにも破壊力があった。シンプルに言うならば、自分は、猪木さんの進んだ道を辿ることを使命としている、ということ。自分にとって、彼がプロレスやソウゴウカクトウギにおいて抱いていた夢や目標の一部として関われていることは誉れであるし、つまり私は自分とは、”猪木のサイボウ(細胞)”というべきものであると思っています。  だからこそ彼の“ストロングスタイル”をこの巌流島の自分の試合で見せたいと思うし、自分はあらゆるリングで、どのようなプロジェクトであっても、そこには自分がやっているブラッドスポーツというイベントももちろん含まれるのだけど、彼の“トウコン(闘魂)”を注入するんだ。そして自分の教えているアスリートたちにもそれを伝承しています」 ──猪木さんを通して新日本プロレスを知った、ということですが、実際にはどうやってでしょうか? たとえば何かの試合を見て、ということでしょうか。 「自分にとって大きいのは、自分のコーチでもある、ビル・ロビンソン戦、60分の試合(1975年12月11日、蔵前国技館)。自分にとってあれは“カンペキなプロレスのシアイ”だった。全プロレスラーはあの試合を見て学ぶべき。もうひとつ重要な試合は、猪木vs.アクラム・ペールワン戦(1976年12月12日、パキスタンのカラチ・ナショナルスタジアム)。知られている通り、あの試合はワン・ウェイで予定されていたが、当日直前のルール変更があった。その時に猪木さんは『いいだろう、レッツ・シュート』と言ったわけだよね。そして彼を終始制し、ノーマルなプロレスリングマッチよりも価値のある試合を残した。つまり、猪木さんはプロレスは強くなければならないということを、身をもって体現していたんだ」 ──彼と最初に会ったのはいつですか? 「2003年に新日のツアーに初めて参加したときの、北海道・札幌のドームだったと思います。NJPWのスタッフが一人やってきて『ミスター・猪木があなたと話したがっている』と。で私は『分かりました』と返事して、彼の部屋に招かれた。彼は私の向かいに座ると、彼の人生や経験をたくさん話してくれた。色々教えてくださいましたよ、プロレスのアイディアだったり、そしてプロフェッショナル・レスリングにおいて何が重要かの薫陶を受けたわけです。この時っていうのは何て言うか、“プロレスとは何か”という基礎が詰まった大きな塊のような時間でした」 ──1対1で話したのですね。ほかにも印象に残っていることが……。 「本当にいっぱい、たくさんあるんだ。ここ何年か、会えたらいいのに、と思っていたのにそれが叶わなくて。それにまさかそれが最後になるだなんて、彼と最後に会った時は想像もしていなかった……。点と点がすべて一本の線に繋がっているんだよね。ただ、そうだな、プロレスラーも格闘家もファイターであり、ファイターというのものは、“戦う意志というものを常に示すということ”を、いかなる困難も乗り越え、そして時に耐え忍び立ち向かうということをしなくちゃいけない。これは非常に大事なことなんだ、プロフェッショナル・レスリングを理解するためには。そして、それは生活全般においても同じなんだということを」 ──訃報を最初に聞いた時の正直な気持ちは? 「……みんな分かっていることだ、いかなる生物にも不死はなく、そしてあらゆる事象にも永遠に残り続けるものものはない。私は、猪木さんは病院で快復に向かっていると思っていたし、おそらく彼にはまだまだ何年か残されていると思っていた。もちろん彼はかなり歳を召されていたし、我々人間にとって、時として年齢というものはすごく大きく堪えるものだ。自分の現在の状態から急降下する、なんてこともあり得る。ただ、何かがあがって、容体が深刻化していたのだろうけど………自分はまだ、お別れを言う準備ができていなかったんだ。  でも自分にはどうすることもできない。だから受け入れざるをえなかった、これが、最期なのだ、と。だからとても心が傷ついたけれど、ただ、そのことで、自分にとって、猪木さんは自分の人生に刻まれた存在だし、彼のことを、自分のメンター、師と感じ、そうなってもらえるだけのものが自分にあったということ、そして彼の存在を代表して生きることができ、彼が必要とすれば彼のソルジャーとして、自分はいつだって行動するし、彼に『あなたがどこで何をしていようと、自分はあなたのためにいる』と言える相手であったこと、それがどれほど光栄で、幸せなことなのか、それを思い出したんだ。誰もがそんな人生を送る幸運に恵まれているわけではないのだと」 [nextpage] グラウンドの30秒は全て俺の時間 ──猪木さんとのもっとも印象深い瞬間はどんなことでしょう。 「ベストメモリーが何かは分からないけど、あるとき、生徒をLAの猪木道場に連れて行った。トレーニングのためと、彼に会わせるためだ。その生徒っていうのは、ジョニー・ハスキーと、ビリー・ウィックスのもとで学んでいる子だった。それで猪木さんのことはちょっとだけ知っているけどそんなに知らないという程度の子で、総合格闘技、キャッチレスリングを練習していた。とても才能のある子だったんだ。  それで『猪木さん、ちょっとテクニックを教えてよ』と。すると叫び声が轟いたんだ。フェイスロックを軽く、顎をテンプルに抑えただけで絶叫して、“こんなに痛いとは思わなかった”と。レッグロックはその生徒のストロングポイントのひとつだったのに猪木さんのアキレス腱固めをもらったら、足が“焼けるかのように痛かった”と。彼は、“いっそ足が焼け落ちてしてしまえば痛みが和らぐんじゃないか”と思ったそうだ(笑)」 ──ボーントゥボーンですね。この試合で猪木さんの「闘魂」をいかに表現したいと思いますか? 「自分がそもそも巌流島に出ようと思ったのは異種格闘技というコンセプトが面白かったから。それはまさに猪木さんがやってきたこと、違うジャンルの選手と戦うという、つまり“いつ何時、どこで誰とでも戦う”というものだ。MMAや総合格闘技をやるってことは当たり前すぎて、自分の頭の中ではなんと言うか“どうすればいいか分かっている”ことのような感じだ。新しいスタイルセットで、巌流島でやることが有利な相手と対戦するというのは自分にとって面白いところだ。シビサイは一度だけ鈴川真一にやられている(押し出しによる転落)が、非常に巌流島で良い結果を残している。こういう、異種格闘技戦に挑戦する精神が、自分にとって、それこそが“トウコン(闘魂)”であるのだ」 ──巌流島で好きな試合は? 「たくさん見ているけど、よく見るのが、菊野克紀vs.小見川道大。ファンタスティックな試合だ。あと菊野とジミー・アンブリッツ戦も。それと鈴川は無敗だよね。それからシュレック関根さん。巌流島1の、マーカス・アウレリオも見た。あれは本当にエキサイティングだった。普通に巌流島のビッグファンだよ。もっと巌流島を見たい。谷川さんがもし興味があるなら、アメリカのストリーミングテレビで流してほしいところだ。自分にはそういう知り合いもいるし。いろんなオタクに『どうやって見ればいいの?』って聞かれるんだ。『見たいなあ』っていうアメリカのオタクは多い。もちろんUFCみたいな大きなビジネスみたいなのとは違って、ザ・格闘技オタクみたいな人たちなんだけどね。で、それは僕も(笑)」 ──巌流島ルールでグラウンド時間に制限がありますが、猪木さんのようにアームロックなどを短時間で極められるという自信がありますか? 「もちろん。まあ30秒で短いので、実は交渉もしました。ただ、巌流島の場合まったく関節技がないっていうこともあるから。プロレスやるのと巌流島をやるのとでは全く違うスタイルにはなる。そうだね。“サンジュービョー”は短いけど極めようと思えばできる。まあ、俺の生徒のフジメグはSMACKGIRLでそうやって極めてきた。サブミッションを極めるには時として我慢も必要だけど、瞬間というのもある、まるで閃光のように極めるということもね。だから、30秒あれば大丈夫。この30秒は全て俺の時間。シビサイをサブミットするか、殴る時間になる。自分はシビサイの関節技のことは気にしていない、彼を悪く言うつもりはないけど、自分は自分の経験というものを信じている」 ──シビサイ選手には柔道の投げ技もあります。 「まあ俺はプロレスラーだから。それは俺も得意だよ。シビサイのスープレックスは見たことがないけど、彼がもし“柔道の投げ技”をやろうとしたら、まるで吉田秀彦みたいにね、それは俺にとってはカウンターができるってことだ」 ──いかにして勝ちますか。 「たくさん前から圧力をかけて……特に戦略がなくても、リングアウトで勝つということはあるな(笑)。実際、自分のヘビー級の運動量とか、鈴川よりも優れたストライカーであることとか色々あるんだけど、ただシビサイは爪痕を残すためアグレッシブに来ると思うんだ。コンタクトを試みようと。だから、いま124キロあるんだけど、その重さで押し出しになるね。別にリングアウトを望んでるわけじゃないから(笑)。マジレスするなら、関節を極めるよ。レガースはなく、ロングスパッツにリングシューズで試合に臨むよ。え? なぜかって? それは俺がプロレスラーだからだ! ただまあ、リングシューズだからキックができないね。これはちょっとした“犠牲”さ」
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