『無冠の帝王』の夢「フランスに武術学校を作りたい」
6歳から14歳まで柔道を学んだ。14歳の時に『ドラゴン怒りの鉄拳』を観てブルース・リーに憧れて空手とジークンドーを習い、サウスポー構えになった。18歳でキックボクシングを始め、K-1やプロボクシングでも戦い、MMAに出会ったのは、29歳だった。
ルアーブルでの試合が最後の試合になるか、と問われたバンナは、「分からない。MMAで新しい人々に出会った。何も言わないのは、毎回、自分について聞いてくる人たちに嘘をつくことになるから。立ち止まって、1週間後にまた練習に行きたくなるということもある」と苦笑する。
“K-1の番長”として君臨するも“無冠の帝王”とも呼ばれた。「もっと早くMMAを始めていれば、偉大なチャンピオンになれたという声もあるが?」と聞かれ、「間違いないね」と大きな笑顔を見せる。
「もっと早くMMAを学び、フェルナンド・ロペス(シリル・ガーヌ、フランシス・ガヌーの元コーチ)のような先生がいれば、“無冠の帝王”ではなく、“王冠を持った王”になれただろうね。ラスベガスで、シリル・ガーヌやアラン・ボドウと一緒にいたとき、『俺は15年早く生まれすぎたんだ!」と言ったのを覚えているよ」
柔道などアジア武術との接点がありながら、長く格闘技に対する禁止事項が多く、寝技でのパウンドも許されなかった。ようやくMMAが解禁され、母国のリングでキックボクシングで戦ったバンナは、今回は故郷のケージの中でMMAを戦った。
今後は、後進の育成と母国でのさらなる格闘技の普及に尽力するといい、新たなキャリアにも意欲的だ。
「フランスに武術の学校を作りたいんだ。タイにある寄宿学校のようなものをね。それにバーチャル格闘技のトレーニング用にARヘルメットを接続してトレーニングするプロジェクトも進めている。そうすれば、あなた方と戦うこともできる(笑)。それに、私を信頼してくれたステファニー・ピロンカ監督と2021年に公開された『J'irai au bout de mes reves』(夢の果てまで行く)に出演した──この映画はたくさんの感情が込められた映画なんだ──ミカエル・ユンとの仕事もあるし、イタリアでクエンティン・タランティーノとの映画も完成させなければならない。撮影はあと15%しか残っていないしね」。
写真は7月18日午前、大森ゴールドジムでの練習後のジェロム・レ・バンナとチャクリキ古河の相澤宏使師範が、横断歩道で転倒したお年寄りを助け起こした時のもの。バンナはおばあさんの手を取って一緒に横断歩道を渡っていきました。 pic.twitter.com/wpUJpfALOp
— ゴング格闘技 (@GONG_KAKUTOGI) July 18, 2014