ジェロム・レ・バンナが6月4日(日本時間5日)、母国フランスのル・アーブルで開催された「MMA GP: The Last of Kings」に出場。セルビアのイワン・ヴィチッチ(MMA12勝22敗)と対戦し、自身初の一本勝ちでMMA戦績を5勝3敗とした。
2020年からMMA(総合格闘技)が解禁されたフランス、そして故郷セーヌ=マリティームでの凱旋試合。2001年の「INOKI BOM-BA-YE 2001」で安田忠夫を相手に初のMMAを戦った49歳のバンナにとって、8戦目のMMAだった。
1R、バンナは、サウスポー構えから右ジャブを見せてヴィチッチをダブルレッグ(両足タックル)テイクダウン。下から右腕をオーバーフックするヴィチッチを剥がしてガードのなかからパウンド。
しかし、ヴィチッチも下から右足をバンナの腰に置いて蹴り上げてバンナの身体を離すと、そのスペースで立ち上がり。
バンナもスタンド勝負で左ハイ。これは空振り。ヴィチッチが右インローを返すと、バンナは強烈な右カーフキック! バランスを崩したヴィチッチは右フックを打つが、それをかわしたバンナは右から左のワンツー、さらに右ローをヒサ横に効かせると、打撃戦を避けたいヴィチッチは左右を振ってダブルレッグへ。
それを金網際でがぶるバンナは、足が金網に詰まらないようにヴィチッチの頭を押さえながら左に回り、タックルを切ってサイドバックから左で脇差しリストコントロールしながら、右の鉄槌連打。
(C)MMA GP
さらに右ヒザを脇腹に差し入れ、左足をかけながら引き込んでリアネイキドチョークへ。最初は左腕で、続けて右腕を喉下に差し込むと、両手のひらを合わせたパームトゥパームに組んで引き絞り。ヴィチッチの腰は右足の上に乗っていたが、バンナの速い仕掛けにタップ。
1R 2分06秒、バンナは初の一本勝ちを故郷でマーク。
メディアインタビューでは、自身の格闘技のキャリアから遅れてやってきた母国でのMMAの盛り上がりについて、ユーモアを交えながら、格闘技への情熱とともに語った。
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シリル・ガーヌやアラン・ボドウらとの練習が刺激になった
(C)MMA GP
「最後にMMAを戦ったのはもう2年前(2020年1月日本の「HEAT」でキム・チャンヒに1R TKO勝ち)。その後、新型コロナウイルスのせいもあり、去年の夏にはシャワーで滑った時にハムストリングスを傷めてしまった。(格闘技を30年やってきてまだ戦いに飢えている?)そう、まだお腹が空いている。私は戦う腹づもりだよ」と、現役を継続させたいと語ったバンナ。
近年は、フランス出身MMAファイターの活躍に触発されることが多いという。
「シリル・ガーヌやアラン・ボドウら最高のUFCファイターたちと練習することで、この3年間は、また楽しくトレーニングができるようになったんだ。もちろんスーパーハイレベルで戦うのは年齢的に無理だし、UFCには“ベテラン”というカテゴリーも無い(笑)。でも、人生には失望や敗北、ペースを落とすようなことがあるものだ。今回はルアーブルの人たちを喜ばせて、地元にケージファイトを持ってきたいと思ったんだ」
フランスでの格闘技の理解に、バンナも一役買っている。「週に数回ボクシングの練習をしている」と報道されたエドゥアール・フィリップ市長(2017年5月~2020年7月まで首相)の練習パートナーは、実はバンナだった。
「エドゥアール・フィリップは、月・水・金の午前中によく一緒にトレーニングをする仲間。誰も語らないけど、フランスにMMAを持ち込んだのは彼なんだ。元スポーツ大臣と私たちは何度もその話をし、彼は最終的にその合法化を推し進めた」と、長くMMAが禁止されていたフランスで、いまやBellatorもUFCもMMA大会を開催するようになったきっかけを作ったことを明かした。
【写真】パートナーのコラリー・カミリも合気道家からキックボクシングデビューした。
そして、49歳のバンナ自身も、格闘技への情熱は枯渇していない。
「私自身も毎日、トレーニングをしているからね。そして、ソルボンヌ大学の哲学教授から格闘家になった婚約者がいるんだ! 彼女は32歳で、私も常に自分を超えなければならない。“自分を超えること”それは、柔道でも空手でも武道の一部だからね。MMAは、様々なスポーツの要素をピックアップして、自分のバッグの中に知識を加えることができる」
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『無冠の帝王』の夢「フランスに武術学校を作りたい」
6歳から14歳まで柔道を学んだ。14歳の時に『ドラゴン怒りの鉄拳』を観てブルース・リーに憧れて空手とジークンドーを習い、サウスポー構えになった。18歳でキックボクシングを始め、K-1やプロボクシングでも戦い、MMAに出会ったのは、29歳だった。
ルアーブルでの試合が最後の試合になるか、と問われたバンナは、「分からない。MMAで新しい人々に出会った。何も言わないのは、毎回、自分について聞いてくる人たちに嘘をつくことになるから。立ち止まって、1週間後にまた練習に行きたくなるということもある」と苦笑する。
“K-1の番長”として君臨するも“無冠の帝王”とも呼ばれた。「もっと早くMMAを始めていれば、偉大なチャンピオンになれたという声もあるが?」と聞かれ、「間違いないね」と大きな笑顔を見せる。
「もっと早くMMAを学び、フェルナンド・ロペス(シリル・ガーヌ、フランシス・ガヌーの元コーチ)のような先生がいれば、“無冠の帝王”ではなく、“王冠を持った王”になれただろうね。ラスベガスで、シリル・ガーヌやアラン・ボドウと一緒にいたとき、『俺は15年早く生まれすぎたんだ!」と言ったのを覚えているよ」
柔道などアジア武術との接点がありながら、長く格闘技に対する禁止事項が多く、寝技でのパウンドも許されなかった。ようやくMMAが解禁され、母国のリングでキックボクシングで戦ったバンナは、今回は故郷のケージの中でMMAを戦った。
今後は、後進の育成と母国でのさらなる格闘技の普及に尽力するといい、新たなキャリアにも意欲的だ。
「フランスに武術の学校を作りたいんだ。タイにある寄宿学校のようなものをね。それにバーチャル格闘技のトレーニング用にARヘルメットを接続してトレーニングするプロジェクトも進めている。そうすれば、あなた方と戦うこともできる(笑)。それに、私を信頼してくれたステファニー・ピロンカ監督と2021年に公開された『J'irai au bout de mes reves』(夢の果てまで行く)に出演した──この映画はたくさんの感情が込められた映画なんだ──ミカエル・ユンとの仕事もあるし、イタリアでクエンティン・タランティーノとの映画も完成させなければならない。撮影はあと15%しか残っていないしね」。