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コラム

【K-1】聖地・代々木第一で思い出す2つの光景。「無差別級トーナメント」と「幻の世界王座」

2022/03/31 19:03
 2022年4月3日(日)東京・国立代々木競技場第一体育館で開催される『K-1 WORLD GP 2022 JAPAN~K'FESTA.5』。1993年にK-1が初開催された生誕の地で行われる今大会に、スポーツライターの茂田浩司氏が想いを馳せる。 代々木第一で見た2つの光景  K-1の年間最大のビッグイベント「K‘FESTA.5」が4月3日、国立代々木競技場第一体育館(以下、代々木第一)で開催される。1993年4月30日にK-1が初めて開催された「聖地」での開催と聞き、代々木第一で見た2つの光景が浮かんだ。  1つは、真新しくて、きらびやかで「格闘技らしからぬ格闘技イベント」K-1を初めて見た時の驚きと興奮だ。  私が初めて生で見た格闘技イベントこそK-1グランプリ94だった。当時、フジテレビがゴールデンウィークに開催していた「LIVE UFO」の目玉企画の1つで、会場内に一歩足を踏み入れた瞬間に「別世界に来てしまった」と実感したものだ。  会場の真ん中に設置されたリングはスポットライトで煌々と照らされ、まばゆい光を放っていた。リングサイドにはテレビでおなじみの芸能人や著名人が顔を揃え、華やかな空気に包まれている。  やがて場内に大音量の入場曲が流れ、体の大きなヘビー級選手が次々とリングに上がっては豪快な倒し合いを演じる。  当時の私は週刊情報誌の編集ライターになったばかり。選手の名前もろくに知らなかったが、ワンナイトトーナメントは勝ち上がる選手を何度も観ることになる。気づけば「さっきKO勝ちした選手だ」「手数の少ない選手だな」などと顔と名前をしっかりと覚え、ファイトスタイルまでインプットされていた。  決勝戦でピーター・アーツが佐竹雅昭を判定で下し、23歳の若きK-1王者が誕生した頃にはK-1のド迫力とKO連発のスリリングな試合に魅了されていたものだ。  その後、K-1はゴールデンタイム進出(96年)、三大ドームツアー敢行(97年)と年々スケールアップ。アンディ・フグやピーター・アーツ、マイク・ベルナルドらの活躍はリング上にとどまらず、バラエティー番組やCM出演も果たして全国区の人気者に。それらのすべては、93年~95年の「代々木第一」から始まったのだ。  あれから約20年、聖地に戻ってきたK-1はあの頃と同じ「無差別級トーナメント」の開催に踏み切った。  試合前の注目は、元柔道金メダリストの石井慧と、ボクシング日本王者から10年ぶりにK-1復帰を果たした京太郎に集まっている。だが、たった1発のクリーンヒットで勝敗がひっくり返るのが無差別級トーナメントの面白さであり、怖さでもある。  初出場時は無名だったホーストやアーツのように、大物喰いで聖地・代々木第一を熱狂させて、名前と顔を観客にインプットする選手は現れるか。予測不能のトーナメントが幕を開ける。  2つ目に思い出したのは2010年7月5日の代々木第一。旧体制のK-1として最後の「聖地」開催だった。  2009年大みそかに魔裟斗が引退し、大会の注目は「K-1MAXに新たなスターは誕生するのか」。そこで新設された「日本人最激戦区」63kg級の日本代表決定トーナメントにエントリーした大和哲也が、得意の左フックを炸裂させて3連続KO勝ちでのトーナメント制覇。待望のニュースター誕生だった。  もし、あの時、当初の予定通りに63kgの世界トーナメントが開催されていたら、初代K-1世界王者のベルトは大和が獲得した可能性が高かったと思う。それほど、実力者揃いの代々木第一で見せた3連続KOのインパクトは絶大だった。だが……。  当時K-1を運営していたFEGが経営危機に陥り、63kgの世界トーナメントは開催されないまま活動休止。大和は「K-1MAX初代63kg級日本王者」となったものの、世界の舞台に上がることは出来なかった。その後はヒジありのムエタイ、キックボクシングに戻り、数々の世界タイトルを獲得した。  それでも大和は言う。 「やっぱりK-1世界王者になりたかった」  2017年に大和はK-1 JAPAN GRUOPに参戦。K-1世界王座への再挑戦を始めたが、現在まで2度、タイトル獲得に失敗している。  その大和が、実に12年ぶりにあの代々木第一大会のリングに立つ。しかも現王者の山崎秀晃の持つK-1 WORLD GPスーパー・ライト級王座への挑戦。ここでタイトルを獲得すれば、12年越しの「K-1世界王者」という夢を達成することになる。こんなドラマティックな展開もないが、対する王者の山崎にとってはおいそれと王座を明け渡すわけにはいかない事情がある。  12年前、大和がK-1MAX日本王者になった時、まだ山崎は無名の選手だった。 「自分がエントリーすら出来ない大会でK-1のチャンピオンになられたのが大和哲也選手。しっかり結果を残す選手で素直にリスペクトと憧れの気持ちがありました」  その後、二人は別々の道を歩む。大和がムエタイを主戦場に移して数々のベルトを獲得している時、山崎はKrushのチャンピオンとなり、新体制のK-1が旗揚げされるとK-1王座に挑戦した。  K-1での山崎は苦戦の連続だった。頭がい骨の陥没骨折やヒザの靭帯損傷など、選手生命すら危ぶまれる怪我を負ったこともある。それでも不屈の闘志で復活を果たし、2020年9月には王者の安保瑠輝也をKOしてK-1世界王座を獲得。実に4度目の挑戦だった。  ようやく掴んだ夢のベルト。そう簡単に渡すわけにはいかない。 「大和選手にはリスペクトもありますけど、僕の前に立つ以上は残酷なくらい一瞬で切り落としたいと思います」  山崎の「非情のKO宣言」に、大和はこう応じた。 「(山崎を)選手としてもすごく尊敬していますし、人としてもすごく好きな熱いタイプの人と思っているので。リスペクトした上でしっかりと敬意を払って全力で倒しに仕留めにいきたい」  王者・山崎の「ゴールデンフィスト(黄金の拳)」か、挑戦者・大和の12年間の思いを込めた「一撃必倒の左」か。  聖地、代々木第一で二人の拳が交差する瞬間を見逃してはならない。
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